昭和26年05月28日 衆議院 行政監察特別委員会
[130]
日本共産党 梨木作次郎
今海上保安庁では船をどれくらい持っておりますか。その隻数と内容をお聞かせ願いたい。
[131]
証人(海上保安庁長官) 柳澤米吉
現在海上保安庁といたしましては、マ書簡による造船、26年度による造船、この2つの造船の最中でありまして、ただいまここで適確な数字は申し上げられませんが、先ほど申し上げました通り、現在におきましては巡視船としましては96隻、なお港内艇といたしまして178隻、但しこの中でまだ竣工が終らないものもありますし、適確なる数字は申し上げられませんが、大体以上の数字がこの8、9月までにはでき上る数字でございます。
[138]
日本共産党 梨木作次郎
それでは掃海艇というのがございますか。
[139]
証人(海上保安庁長官) 柳澤米吉
掃海艇はございます。
[140]
日本共産党 梨木作次郎
幾らくらいありますか。
[141]
証人(海上保安庁長官) 柳澤米吉
私の記憶では30隻ちょっとと考えます。
[142]
日本共産党 梨木作次郎
この掃海艇が朝鮮沿岸までも警戒しておるそうですが、そういう事実はありますか。
[143]
証人(海上保安庁長官) 柳澤米吉
そういう問題に関しましては、証人としてお答えはちょっとできません。
[144]
日本共産党 梨木作次郎
掃海艇が魚雷か何かのために沈没した事件はありますか。
[145]
証人(海上保安庁長官) 柳澤米吉
沈没したものでございます。
[146]
日本共産党 梨木作次郎
何隻沈没したのですか。
[147]
証人(海上保安庁長官) 柳澤米吉
私の記憶では2隻と思います。
[148]
日本共産党 梨木作次郎
密入国の問題でありますが、いわゆる韓国から非常に大量の人が日本に送られて来ておりまして、それが軍事訓練を受けておる事実をわれわれは聞いておりますが、これはどういうぐあいにして入って来ておりますか。
[149]
証人(海上保安庁長官) 柳澤米吉
これは私存じ上げておりません。
[150]
日本共産党 梨木作次郎
こういうことがアメリカの新聞に出ておるのでありますが、この点をお伺いいたします。シカゴ・デーリー・ニュースでは、今度の朝鮮動乱の問題につきまして、こういう記事を掲げておる。「日本の援助がなければわれわれは朝鮮から駆逐されたかもしれないということは誇張でも何でもない。日本人によって補充された上陸用舟艇団は、軍隊輸送手段がきわめて必要であったその時機に、最初にアメリカ軍の朝鮮輸送を援助した。日本人は、援助部隊の輸送が、戦局の維持か、完全な敗北かを意味したその時機に、すなわち7月第1騎兵師団の浦項上陸を援助した。日本人によって補充された19隻の船団は、9月中旬に仁川突入に参加した。」というのでありますが、これは海上保安庁で承知しておりますか。
[151]
証人(海上保安庁長官) 柳澤米吉
この問題は海上保安庁と関係がないように思います。
昭和29年01月30日 衆議院 本会議
[021]
日本共産党 川上貫一
しかしながら、私はここで、吉田内閣が過去幾年の久しきにわたり、平和を念願する方法ではなく、アメリカのために戦争の拡大に協力した事実を指摘しなければならぬ。すなわち、朝鮮戦争の際に吉田内閣は直接これに参加しておきながら、その事実を、国会においても、また国民に向っても秘密にして来たということは、総理大臣御自身が一番よく知っておられると思う。しかるに、今日に至って、元山上陸作戦には海上保安隊の掃海艇のほとんど全部が参加して、その1隻が沈没しておるという事実が報道されております。私はこれは単なる報道かと思うておりましたら、当時の国連軍最高司令官であったマッカーサー元帥の最近の証明によって、このことははっきりと裏づけせられたのであります。
昭和30年06月16日 衆議院 内閣委員会
[137]
日本社会党(社会民主党) 下川儀太郎
その件でありますが、しかしそれは戦後におけるいろいろな日米関係の実態におきまして、たとえば朝鮮戦争時代におきましては、やはり日本は当然海外派兵をしなくてもいい立場に置かれておった。ところがこれは当時の文献にもありますけれども、釜山沖等々に日本がいわゆる国家公務員のいろいろな名において出動せしめられておる、こういう実態がある。ですから、われわれはそういう実態が今度波及した場合に、勢い大きな戦争の中に介入するおそれがある。現実的に過去において日本が派兵の任務を果した、掃海艇が大きな任務を果しておるとか、あるいはたま運びの役割を果しておるとか、いろいろな形が今日実証されてきている。ですからそれをわれわれはおそれるのです。
昭和47年05月24日 衆議院 外務委員会
[058]
日本社会党(社会民主党) 楢崎弥之助
いま海上保安隊とおっしゃいましたが、これは海上保安庁の間違いだろうと思います。いま保安隊はありません。
しかし、私はその可能性は全然ないとはいえないという心配をするわけです。なぜならば、1950年の朝鮮戦争のときに、実は海上保安庁のいわゆる掃海部隊が国連軍及び米軍の編成の中に入って朝鮮の掃海作戦に従事をした。しかもその際、掃海艇が2隻沈没している。そして戦死者が1名出、負傷者が8名出ておる。
平成02年10月24日 衆議院 国際連合平和協力に関する特別委員会
[260]
公明党 市川雄一
危険なところには行かせないのだと総理は何回もおっしゃるのですけれども、言葉だけでして、どこが危険でどこが危険でないかというのは、これは非常に特定は難しいと思うのですね。
例えば昭和25年10月6日、海上保安庁の2隻の哨戒艇が、朝鮮戦争にマッカーサー司令部の協力で行って機雷に接触して瞬時に爆発、沈没したという事件が昭和25年に起きております。これは「海上保安庁30年史」という本、あるいは当時の海上保安庁の長官が後で「海鳴り」という回想記を出版しております。それを拝見しますと、かなり生々しく当時の状況が描かれております。1人が死亡、18名が死傷、日本の掃海艇が2隻、機雷に接触して瞬時で爆発、沈没、こういうことが昭和25年の10月6日、朝鮮動乱のときに起きているわけですね。
このときの国会の本会議のやりとりとか予算委員会のやりとりを拝見しますと、非常に政府側はのんきな答弁をされているわけですね。青森とか向こうに機雷が流れてくることがあるので、海上保安庁が出ていってそれをやることがあるでしょうとか、機雷の処理というのは非常に困難で、ときどきぶつかって死ぬのはしようがないんですとか、こういう答弁をされているわけですよ。
確かに機雷の処理というのは非常に危険な作業だと思う。だけれども、こういう既に朝鮮動乱という実際の事件で海上保安庁の船が2隻機雷に触れて爆発して、18人の死傷者を出したという事件がある。こういうことを考えますと、総理が言う危険なところとか、どこが危険でどこが危険でないのかというのは極めて私は難しいと思うのですね。
平成03年03月14日 衆議院 予算委員会
[300]
社会民主連合 楢崎弥之助
後ほど申し上げますけれども、かつて朝鮮戦争のときに、当時は帝国海軍の生き残りの掃海部隊を海上保安庁が受け継ぎました。そして朝鮮戦争に米軍司令官の要請で派遣をし、20隻です、そのときは、2隻爆沈して、1隻は座礁して、そして1人が亡くなられて、17名が負傷されたという事件があります。この事件を、こういう内容を明らかにしたのは、ジェームス・E・アワーというアメリカの海軍少佐、この人は掃海艇長の経験がある方で「よみがえる日本海軍」という本を出された、昭和47年に。で、私はその昭和47年の5月24日、外務委員会でこの掃海艇問題の質問をいたしております。
平成03年03月19日 参議院 予算委員会
[029]
日本社会党(社会民主党) 安恒良一
掃海母艦、例えば「はやせ」は定員150ですね。補給艦「とわだ」定員140、中型掃海艇定員45です。
やるとすれば1隻では行けないと思うんですね、朝鮮戦争のときには20隻行っていますから。そうしますと、これで海上自衛隊を一挙に1000人ないし2000人派遣することになりますが、やる場合にはそういう規模になりますか。
平成03年04月02日 参議院 外務委員会
[342]
スポーツ平和党 猪木寛至(アントニオ猪木)
もう一つは、一番ペルシャ湾を航行する船が心配をするのはやっぱり機雷ですね。それがつないであったものがどんどん流れ出したとかというような情報も得ておりますか、例えば、もの戦争も終わったわけですから、日本が掃海艇を、朝鮮戦争のときには掃海艇を出したという話を聞いておりますが、これについてはどうでしょうか。思い切った貢献というのはできるんじゃないでしょう
平成03年04月18日 参議院 内閣委員会
[242]
日本共産党 吉岡吉典
掃海艇問題で、少し古くなりますが、日本の掃海艇が朝鮮戦争の際は明確に参加した。旧日本海軍掃海部隊が米占領軍によって戦後も引き続き温存され、当時海上保安庁に所属していましたが、これがどういう規模でどういう活動を行ったか、また死傷者は何人出たか、それの処遇はどのように行われているか、叙勲等も含めて報告してください。
[243]
政府委員(防衛庁防衛局長) 畠山蕃
御指摘の朝鮮戦争当時行われました掃海業務に関しますその経緯、派遣隻数、人員数、死亡者数等の内容につきましては、昭和62年に委員が提出されました質問主意書に対しまして政府から本院に提出したところでございます。
その概要について申し上げますと、第一に、その件に関し幾つかの刊行物に種々の記載がなされており、またかつて国会において議論がなされたところでもあるが、今日においては正確に事実関係を調べることは困難である等でございます。
それで限られた資料をもって判明する限りでおおよそのことを申し上げますと、25年10月に極東米海軍司令官から日本側に朝鮮半島の掃海業務に関する協力要請がございまして、当時日本政府が占領下にあったことでもあり、これに応じまして、海上保安庁により特別掃海隊の編成、これは計26隻というふうに思われますが、及びその下関集結が行われたわけであります。同特別掃海隊は、昭和25年10月10日から12月6日まで朝鮮半島沿岸の各港の掃海作戦に従事いたしまして、27個の機雷を処理し、12月15日に部隊を解隊したということで、この間、1隻の掃海船が触雷、沈没し、1隻は座礁して沈没して、殉職者1名、負傷者8名というふうに、これは限られた資料からの総合的な判明する限りで申し上げるとそういうことでございます。
最後に、その処遇といいますか、それの叙勲等についてというお話がございましたが、これについては現在、私、手元で明らかでございません。
[244]
日本共産党 吉岡吉典
時間がありませんから私その叙勲の内容等をここでしゃべることはやめますが、全部きちっとわかるようになっていますからこれは調べてください。
それから、人数は何人ですか。人数だけ言ってください。
[245]
政府委員(防衛庁防衛局長) 畠山蕃
1270名が参加人員というふうに記録から判定されるところでございます。
[246]
日本共産党 吉岡吉典
朝鮮戦争のとき日本の掃海艇が26隻、1270人参加した。死傷者が今1名と8名、別の資料では18人の負傷者という数字もあります。その記録は既にこういう本でも詳しく詳細に出ているところです。
平成03年04月23日 参議院 外務委員会
[166]
日本社会党(社会民主党) 清水澄子
もう既に日本は朝鮮戦争のときに、昭和25年ですね、実際は国民には知らされなかったのですが、機雷の掃海艇をアメリカ軍が仁川上陸するときのために行かせているわけですね。その当時の海上保安庁初代長官が、そのとき日本人が19人死傷者を出している、それについて何ら補償が明確でなかったといういろいろ本を出していらっしゃいます。きょうはちょっともうそこは述べませんけれども、非常にそういう点、一方は非常に危険な軍事的な行為であるにもかかわらず補償というのはやっぱり不明確だと思います。
平成03年04月25日 参議院 内閣委員会
[022]
日本社会党(社会民主党) 小川仁一
そうする場合に、例えば今まで掃海艇でも朝鮮戦争のときに事故が起こって死んだ人もあったし、負傷者もあった。他国の領海内で他国の要請を受けて機雷除去等をした場合に、もしそういう事故が起こったときにはどの国がどう補償するんですか。それをやるためには当然その国との間に補償条約等があってしかるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
平成05年10月25日 参議院 決算委員会
[016]
自由民主党 守住有信
そのもっと前、朝鮮戦争時代、朝鮮動乱、そのときはまだ海上自衛隊も自衛隊もありませんでした。そのときに私は思い出しますのが、吉田茂内閣のもとで、いわゆるアメリカが仁川沖に上陸するためにアメリカから掃海艇を持っていくのにはペルシャ湾に持っていくぐらいの時間がかかるわけです、1カ月以上かかる。そこで吉田茂総理のときに、あのときは海上保安庁でございます、運輸省でございますけれども、自衛隊はなかった、海上自衛隊もなかった。しかし、戦後日本の周辺に機雷等がいろいろ残っておりました。商船も漁船も非常に危険な状態の中で、海上保安庁がいわゆる掃海の、機雷の除去、そのノウハウがあるというふうなことですぐ隣の朝鮮半島の、我が国ののど首でございますが、仁川沖に出かけていかれた。
こういう事実を私は知っておりまして、掃海艇派遣のときに自衛隊はなかったけれども、我が国の運輸省の海上保安庁が出航していったということを非常に先覚的な意味で評価をしておるわけでございますので、運輸大臣も今度は運輸大臣におなりになりまして、まずそういう歴史的なもの、仁川沖の機雷除去に、いや海上保安庁しかなかったんですから、これが実行されたそのときが私は日本の運輸省の海上保安庁の歴史的な使命の一つの大きなスタートだ、このように評価しておるわけでございます。
平成08年06月14日 衆議院 安全保障委員会
[068]
新進党 西村眞悟
機雷という武器をつぶすのは武力行使なんですよ。だからみんなできないのですね。具体的なケースで検討するといったって、日本は30隻の世界一の掃海能力を持っておる。第7艦隊は2隻しかない。韓国にはないと思いますよ、それはちょっと不正確ですけれども。だから必ず要請されて、朝鮮戦争で仁川沖で、掃海作業に日本は行きましたよ。
時間がありませんから、そして、例えば武力行使ではないという前提で、北朝鮮が放った機雷を掃海している部隊がおる、何のために掃海するか、そこを通る船のために、そこを通る船はアメリカ艦艇であるという前提のもとで、武力行使でないなら出られるとおっしゃった。武力行使でないなら出られるといっても、敵さんから見れば、相手方から見れば武力行使なんです。
平成09年03月13日 参議院 予算委員会
[356]
日本共産党 聴濤弘
私は最後に、現実に過去にこういう問題があって、日本でやっぱり大きな問題になったということについて触れたいと思うんです。
かつて朝鮮戦争のときに、日本の海上保安庁が米軍を主体とする国連軍に編入されまして朝鮮海域に派遣されました。そして、機雷掃海を行いました。掃海艇26隻、それから大型試航船と合わせると46隻、約1200名が参加をして、1950年10月2日から12月12日まで掃海活動を行いました。死傷者まで出ました。
このことは、私ここに本を持ってきておりますけれども、ジェイムズ・アワー元米軍の政治顧問ですね、この「よみがえる日本海軍」とか、当時の海上保安庁の長官である大久保武雄氏の「海鳴りの日々」といった本に書かれておる。これは全くの事実であります。
平成27年08月04日 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会
[161]
民主党(民進党) 櫻井充
それから事実に関して申し上げておきますが、これは何かというと、朝鮮戦争のときにアメリカ軍に言われて当時の海上保安庁が出撃しております。そして、その機雷の除去作業中に1隻の掃海艇が沈没し、1人が戦死、18人が負傷しております。ですから、この当時の日本の海上保安庁は、日本海軍が敷設した機雷が日本近海に約5万個ございました、それから米軍が敷設したものが約5000個ございました、これをずっと除去をしてきたと。このぐらい熟練している人たちが、実は朝鮮戦争に行って、ロシア軍が敷設した機雷の処理中に沈没していると。
[163]
民主党(民進党) 櫻井充
その上で、もう一つ申し上げておきたいのは、朝鮮戦争で、実は多分、これ後方支援部隊であると思います。後方支援部隊の方が56人亡くなって、正確に言うと55かもしれません、掃海艇が沈没したときに1人亡くなっていますから。
だけど、この方々は何をやっていたかというと、物搬などをずっと担っておられました。ただし、その物搬というのは、アメリカの軍人の方を搬送したりとか、韓国の軍隊の方も搬送したというふうに記録にはなされています。それだけではなくて、武器弾薬なども搬送していたと。1隻はもうはっきりしているんですが、機雷に触雷しまして1隻が沈没し、22人がそのときに亡くなってきております。