新撰組はテロリスト

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平成16年03月30日 参議院 総務委員会
[057]
松岡滿壽男
是非その方向で頑張っていただきたいと思うんですが、次の質問、2つほどあるんですが、麻生大臣にも御意見を伺うことができたらと思います。通告しておりませんでしたけれども。

せんだって、ある民放を見ておりましたら、モーツァルトとかリンカーン、それから森鴎外、それから、要するに子供に教えてはいけないかどうかという偉人伝ですね、やっぱりそういうリンカーンとかモーツァルトとか、優れた事績をした人たちに二面性というものはやっぱりあると思うんですよ。その醜い部分だけを民放が強調しておる。これは視聴率稼ぎということであると私は思うんですけれども、やはり人間のみに自ら制御できるものがあるわけです。こういうものがそのまま、10人ぐらいの子供が出て、子供に聞かせていいか悪いかという、非常にモーツァルト、我々が好きな作曲家ですけれども、非常に汚い言葉を使っていたとか、一休さんが非常に女性が好きだったとか、リンカーンは大変な恐妻家であったとか、そういう部分を面白おかしくやっているんですね。これは、やはり非常に私は問題があるというふうに思っております。

それと同時に、先ほど、海老沢会長のお答えでございますけれども、日曜日の8時からの大河ドラマの新撰組ですよ。それで、非常にNHKらしくない荒唐無稽な、史実にないんじゃないかというものが出てくるんですね。例えばペリーの黒船が150年前に浦賀沖に現れた、その現場に坂本龍馬、桂小五郎、近藤勇などいて、仲良くしゃべり合っていると。桂小五郎が近藤勇の仕官の世話をする、あるいは坂本龍馬が土佐勤王党の加盟血判状を近藤勇に渡すなど、これ、もう全くあり得ない話だと私は思うんです。こうなってくると、ドラマというよりもバラエティーになってきているというふうに私は考えるわけですが。

私は山口県の出身なもんですから、新撰組には、随分、長州の先輩たちが血祭りに上げられておるわけでありまして、多くの犠牲者を我々は池田屋の襲撃事件、その他あるわけです。それで、新撰組によって暗殺された側から見ると、彼らは幕府に雇われたテロリスト集団という見方でありまして、幕府に忠勤を励むことによって、あわよくば幕府に再就職をしようという浪人集団でもあったと思うんですね。

封建制度を変えることによって日本を救おうという志で働いておる活動家を、京都警備の名によって暗殺することを目的とする集団だというふうに我々は受け止めるわけでありまして、こういう徳川幕府体制を維持するために暴力装置がこの新撰組であったということになると、少なくとも新撰組を英雄扱いにする、あるいは正当化するということは、やっぱり史実に反する部分が私はあると思うんですね。

そういう誤解を生むような描き方はやはり避けるべきだというふうに思うんですが、いかがでございましょうか。

[058]
参考人(日本放送協会専務理事) 関根昭義
これは新撰組に限りません。歴史ドラマを私どもが作っていく上で、例えば歴史的な事実を踏まえながら現実味を失わないというんですか、そういった範囲内で、脚本家、作家の想像力といったものもある程度加えながら物語を展開しているということであります。率直に申し上げまして、歴史的な事実だけを並べて果たして面白いドラマができるかどうかという感じはいたします。

この新撰組に関しましては、私ども、この幕末の時代とか新撰組を研究されている専門家の方々、3人にお願いしまして、この時代の時代考証、そういったものも、いろんなことをお伺いしながら作っているということであります。そういう意味で、ある程度脚本家の想像力といったものを交えて、余り現実味を失わない範囲内でドラマを作っているということであります。

それと、新撰組の暗殺者集団云々という御質問がありましたけれども、歴史上の出来事とか人物、そういったものについて、例えば視点をちょっと変えて描いていくということになりますと、何か異なった歴史観とかいろんな人物像なんかが浮かんでくるんじゃないかというふうに私も考えています。

今回のこの新撰組の執筆に当たっている三谷幸喜さん、この方が新撰組の局長をやっている近藤勇について、こういった言い方をしています。若さに満ちあふれた、未熟だけれども理想に燃えた人物として描きたいというようなことを言っています。まあこれからは新撰組、京都府に、京に舞台が移りますけれども、新撰組はいろんな時代に翻弄されて、挫折を繰り返しながらも、最後まで未来を信じて生き抜いたこの時代の若者の姿といったものが描かれてくるんじゃないかというふうに思っています。

[059]
総務大臣 麻生太郎
ゲリラとテロリストは基本的には違います。少なくともあの時代は政権は徳川が持っていたんであって、ゲリラの方が薩長ということになる。ただ、終わって、1868年、ひっくり返りますんで、勝てば官軍ということになっただけのことであって、あの当時は、テロリスト、じゃなくて、ゲリラはむしろこちら側、こちら側って、私も薩摩側ですから、私の方が具合悪いということに多分、歴史考証としては多分そうなるんだと思っております。

ただ、新撰組の方は、壬生を含め、あの辺の、まあ東京の田舎なんと言うと怒られるね、今、三多摩、あの辺から一杯人を集めてきてということになりましたんですが、これは、一応雇用者は幕府という時の政権側ですから、これは基本的には幕府がお墨付きを与えた京都所司代の方側に立ったパートタイマー、今風で言えば。多分そういうことになるんだと、なりましょうけれども、一応ちょっとあれが違うと、京都見回り組始め、いろいろちょっと立場は違うんだろうと思いますけれども。

したがいまして、これは何となく、どちら側に立つかによって歴史はなかなか難しいところだと思いますんで。

リンカーンの話がさっき出ていましたけれども、リンカーンも、南の方の、アメリカのルイジアナとかミシシッピというか、あの辺へ行けば北の侵略者として描かれたリンカーンしかありませんので、そういった意味では、同じ国の中でも北と南では全然、リンカーンの評価が全然違っておるのと同じように、なかなか今の話は、片っ方側にちょっと偏ってはせぬかという御意見は、薩摩側に立ちます私としては、ちょっと分からぬでもないところなんですけれども。なかなか、これ、時代考証を正確に言うと、ちょっと難しいなというのが、感想を述べろと言われたら。