市川房枝と菅直人

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昭和57年08月06日 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会
[016]
社会民主連合 菅直人
自治大臣がみずから法定選挙費用で成り立つかどうか疑問だみたいなことを言われることがどうかというのは、私は内閣として大変なことだと思いますけれども、私は昭和49年の参議院の選挙のときに、昨年亡くなられた市川房枝さんの選挙の責任者をやったことがあります。

そのときに、ちょっと当時の資料を引っ張り出してみたのですが、4184人の人からカンパが集まりまして、1326万8917円のカンパが集まっていました。選挙費用として使ったのは398万6567円、まあ400万円。その後、いろいろな報告書なんかを合わせても625万円程度で選挙をやって、たしか193万余の得票で当選をされた選挙だったわけです。

もちろんこれは、市川房枝さんという個人に対する非常な信頼が多くの国民の中にあったということですけれども、しかしこういうことは全くないわけじゃない。あり得ることだし、また、あってほしいことだと思うわけですね。それを逆に現状を半ば肯定した形で、ルールはあるけれどもそれはなかなか守れないのじゃないかななんということを大臣みずから言われるような形で、それで制度の根幹をいじり、場合によっては憲法に照らし合わせても疑問があると言われる一人の立候補を抑え込むということまでやっているというのは、まさに論理的に矛盾しているといいますか、逆の論理の組み立てになっていると言わざるを得ないと思うわけです。





平成03年09月10日 衆議院 本会議
[026]
社会民主連合 菅直人
最後に、私は今は亡き市川房枝先生の選挙運動を手伝ったことから政治家への道を歩み出した者でありますけれども、政治改革を生涯の目標とされた市川先生に満足してもらえるような政治改革が実現するよう、総理にも一層の努力を期待をいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。





平成22年01月20日 参議院 本会議
[017]
財務大臣・内閣府特命担当大臣(経済財政政策) 菅直人
松あきら議員から市川房枝先生のお名前を挙げられて、政治と金についての見解を求められました。

市川先生は本院に長く御在籍され、カンパとボランティアの選挙を実践されまして、私も1974年の選挙のお手伝いをしたことがこの政治の道に深くかかわるようになったきっかけになりました。

亡くなられて30年になりますけれども、私は、当時のことを思い出してみますと、少しずつは政治と金の問題、良くなってきていると、このように感じております。しかし、まだまだ道半ばでありまして、企業献金の禁止といったことと同時に、残念ながら個人献金の拡大ということが、当時から強く市川先生もおっしゃっておりましたけれども、残念ながらそのことが実現をいたしておりません。アメリカではオバマ大統領も多くの個人献金によって大統領に当選をされたわけでありまして、そういった道の拡大にも努力をする必要があると、このように考えております。





平成22年01月25日 衆議院 予算委員会
[072]
財務大臣・内閣府特命担当大臣(経済財政政策) 菅直人
松あきら議員の方から、30年前に亡くなられた市川房枝先生の名前を挙げてそうした質問をいただいたものですから、私としては、30年前あるいはその少し前からのおつき合いでしたけれども、当時はまだ今ほど政治資金規正法もしっかりしておりませんでしたし、あるいは資産公開もルールがありませんでした。さらには政党助成金もなくて、多くの資金は、自民党の場合は財界等から調達をされておりました。そういう意味では、いろいろ議論はありますけれども、私は、政党助成金などが導入されたことで、少なくとも、そうした30年前よりは透明性が、少しずつではありますが、高くなったと思っております。

そういった意味で答弁申し上げたわけですが、この国会で鳩山総理のいろいろな問題あるいは小沢幹事長のいろいろな問題が指摘をいただいていることは、よく私も承知をいたしております。そういう一つ一つのことについて私はあえてコメント申し上げませんでしたけれども、この長い政治の浄化の道筋の中で、各党それぞれ、いろいろな時期にいろいろな問題を抱えております。ですから、私は、何とか、このことがよりよい、よりクリーンな政治を実現していく上での一つの、それぞれの問題が今後に向かってプラスの効果を発揮するような形になってほしい、このように感じております。

[073]
公明党 富田茂之
菅大臣、ちょっと残念です、そういう答弁というのは。政治資金の問題については非常にクリーンにやられてきて、やはり市川房枝さんの精神を引き継がれているのは菅さんしかいないというふうに国民は思っているんだと思うんですね。

菅さんのホームページを見たんですけれども、後援会の規約のところにこんなふうに書いてありましたよ。真の改革を実現するには、利権構造とは無縁で、なおかつ市民の目線で政治に取り組むことのできる菅直人さんに総理大臣になってもらわねばなりません。そういう思いで後援会の皆さんが言っているのに、今の答弁、私はちょっと残念でした。





平成22年03月10日 参議院 予算委員会
[019]
財務大臣・内閣府特命担当大臣(経済財政政策) 菅直人
私も政治に携わるようになってこの政治と金の問題はずっと大きなテーマでありまして、基本的には藤末さんの考え方に私は賛成であります。亀井先生とは大変仲がいいんですけれども、ここでは少し意見が違うわけでありまして。

ある意味では、つまり政党助成法ができたことと相まって個人献金がいかに拡大できるか。オバマ大統領はそれこそ何10億、何100億円にも相当するものをそうした個人献金で受けられると。なぜ日本ではできないんだろうかと。

私が最初に選挙をお手伝いした市川房枝さんの選挙で1700万ぐらいお金が集まりましたが、それは当時としては例外的な存在であって、一般的に個人献金の集まる政治家はほとんどおりませんでした。私も約30年間余りずっといろいろ努力をしておりますけれども、残念ながらオバマ大統領の何100分の1程度しかなかなか集まらないんであります。





平成22年06月11日 衆議院 本会議
[011]
内閣総理大臣 菅直人
私の政治活動は、今をさかのぼること30年余り、参議院議員選挙に立候補された故市川房枝先生の応援から始まりました。市民運動を母体とした選挙活動で、私は事務局長を務めました。ボランティアの青年がジープで全国を横断するキャラバンを組むなど、まさに草の根の選挙を展開しました。

そして、当選直後、市川先生は、青島幸男さんとともに経団連の土光会長を訪ね、経団連による企業献金のあっせんを中止する約束を取りつけられたのです。この約束はその後骨抜きになってしまいましたが、まさに本年、経団連が企業献金への組織的関与の廃止を決めました。

一票の力が政治を変える、当時の強烈な体験が私の政治の原点となりました。政治は国民の力で変えられる、この信念を胸に、与えられた責任を全うしていきたいと考えております。





平成23年02月21日 衆議院 予算委員会
[009]
内閣総理大臣 菅直人
先日、「八十七歳の青春」という市川房枝先生の亡くなられて30年を記念しての上映会がありまして、私も顔を出させていただきました。

私が選挙というものに初めて深くかかわるようになったのは、1974年の市川房枝先生の参議院全国区の選挙でありました。

市川先生は、従来から理想選挙という言葉を使っておられました。

理想選挙というのは、もちろん、選挙違反をしてはならないということであると同時に、今、本多議員の言われたように、だれもが、必ずしも金がなくても、あるいは、そういう2世、3世でなくても、この人はと、つまり、出たい人より出したい人というのが市川先生のスローガンでありましたけれども、この人にはやってもらいたい、あるいは逆に、自分は何もないけれども、やりたいという思いを多くの仲間が認めた、そういう人が政治の中に出ていくことができるようにしたい、これが私は市川先生の言われた理想選挙の本当の意味だと私なりに当時から理解をいたしておりました。

しかし、それが実現できるかどうかというのは、本当のところ当初は自信がなかったんですが、市川先生の選挙をやってみて、そのときは、1971年に一度落選されて3年、もう引退しようかとされていたわけですが、それを当時の、私もまだ20代でしたが、そういう若者が支えて当選させて、その直後に市川先生は経団連に対して、当時自民党に経団連から直接多額の献金が行われていた、まさに大企業献金が当たり前のごとく行われていたことに対して、それをやめなさいといって、当時の土光会長は一たんやめましょうという約束をした。結果として、その後、国民政治会議とかいろいろな形で事実上戻ってしまったのは残念でありますけれども、そういうことが私の政治のスタートの問題でありました。

そういった意味で、私は、単に汚いことをやっちゃいけないということだけではなくて、やはり個人献金を中心として、若い人がどんどん、志のある人が政治に出ていくことができるような、アメリカの大統領選ではインターネットで多くの資金が集まるというのを見て、本当にうらやましく思っております。

ぜひとも、そうした政治文化を、まさに民主党の本多さんを含めて、そういう若い人たちの中で大きく伸ばしていただきたいし、そのため私も全力を挙げていきたい、このように考えております。



[417]
内閣総理大臣 菅直人
私も、先ほど30年、40年と申し上げたのは、今御指摘にあった、市川房枝先生の選挙の直後に、市川さんが最初に経団連に乗り込んだテーマが企業献金の禁止でありまして、一たんは、当時の土光会長が経団連が扱う企業献金、自民党への献金はやめるということを約束し、そこからまたいろいろな展開が始まったことを私もよく覚えております。

そういった意味で、先ほど1年ということを申し上げましたが、やはりこの国会で、今御指摘もあったように、機運が高まっている、あるいはそれをやらない限りは何事も前に進まないというその覚悟で、この国会での実現を目指して、私もこの問題、実はかなり古くからいろいろやってきた経験がありますので、もう一度その経験を、必要なところは思い出しながら、徹底的に踏み込んでやってまいりたい、こう考えております。





平成23年06月14日 参議院 東日本大震災復興特別委員会
[133]
内閣総理大臣 菅直人
私にとっては、政治と金の問題は、最初に政治運動といいましょうか選挙のお手伝いをした市川房枝先生のときからの一つの課題でありまして、そういう点では、その問題が政治をゆがめないようにということでやってきたつもりであります。

今もお話があった中でいえば、私は、今、小沢元代表のお名前も出ましたけれども、私としては、この政治と金の問題で小沢元代表についておかしいことはずっとおかしいということを申し上げてきたつもりでありますし、今日もその姿勢は全く変わっておりません。