押し寄せる朝鮮人 押しかける朝鮮人 ~ 在日特権への道 2/3

検索語「朝鮮人 押し」国会会議録検索システムで検索





昭和27年04月22日 衆議院 行政監察特別委員会
[020]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
3月1日の万才革命記念日において、大々的に闘争するということはかなり前から計画していたようでありますが、具体的には、2月の24日に民戦の中央の方から広島に指導者が参りまして、指導してから表面だつて来たようであります。そうして2月の25日ごろから、前日の2月の29日まで、日本人側と朝鮮人側で再三個別に、あるいは両者合同で計画の会議を持つております。

その計画によりますと、広島で総評系の開く弾圧法規反対の大会を利用するということが骨子でありますが、それが通らなければ、広島の市民広場で独自で無許可の集会を持つ、そこを陽動作戦として広島に警察力を集中する。そして県内の尾道であるとか、呉であるとか、可部であるとか、あるいは海田市、大竹、そういうふうな県内の各所でそれぞれ朝鮮人が行動を起す。そうして警察力の分散をはかつておいて、最後に広島に集結する。こういう方針を立てているのでありますが、その現われと申しましては、3月1日のまず、海田市地区、これが安芸地区になるわけでありますが、海田市地区では、1日の午前10時ごろから解放救援会の事務所に広島、安芸、可部方面の北鮮系の朝鮮人約130名が集合して、記念大会を開いて一応それは11時ごろに終つておりますが、大会が終つたあとで、一部の朝鮮人、60名くらいが、広島に向つて出発しております。

それから11時30分ごろに、海田市町の税務署に70名くらいの者が押しかけて、朝鮮人側の代表者5名と、税務署の署長、間税課長、これらと面接しております、密造酒の取締りを撤廃しろということを交渉して、税務署側の2人の代表者をとり囲んで、約1時間交渉したのでありますが、拒絶されたために退去した。その際に催涙びんを2箇、税務署の屋内に投げて帰つております。

それから一旦税務署を引揚げた後に、約20名くらいの者が、民団の事務所を襲撃する目的でこん棒、手おの、催涙びんを持つて、午後4時ごろ民団の安芸支部の事務所を襲撃して、事務所におりました団長の金龍鎬、議長の李昌煕、李初鐘、この3人のいる2階に6名の者が土足で上つて、電話線を切り、民団支部の旗を倒して、畳、ふすま、机、いすなどをぶちこわして、議長2名と格闘した上、李初鐘は前額部に切傷1箇所、顔面打撲傷数箇所、李昌煕には後頭部に切傷1箇所、顔面に打撲傷を与えて、午後4時20分ごろ退散しております。国警の安芸地区署では、ただちにこれが捜査に着手して、同夜すでに李龍文という朝鮮人と、金文禎という朝鮮人と、李点俊という朝鮮人、それから矢野町の金判守という朝鮮人、合計4名の容疑者を検挙しております。

なおこの安芸地区署の闘争で注目せられるものとしましては、そういうふうな襲撃事件が終つたあとで、全部の婦女子まで朝鮮人を動員して、おのおの班をわけて、しつこく警察に釈放運動に行く、そして署長が釈放を聞き入れないと、署に子供を養えないから置いて行くというふうな態度に出る。検察庁に対しても連日班をわけて、数名あるいは数10名が押しかけて来る。検察庁にも約2週間くらい毎日来ておりました。なお海田市方面におきましては、警察署長をたたき殺せというふうなビラを電信柱その他に張つて、相当警察署長に対して脅迫を加えておるのであります。検察庁に対しましても、3月11日の勾留理由開示公判の法廷に、約300名が押しかけまして、300名の者が検察庁職員などに暴行を働いております。

なお当日はいわゆる尾道、大竹等においてもデモが行われましたが、これらはいずれも平穏でありました。安佐地区署の管内、地名で申しますと可部でありますが、可部におきましては、まず2月27日に安佐地区の民団の団長に対して、死にたくなければ民団を解散しろという脅迫文を投げ入れておりますが、さらに3月1日当日になりますと、午前8時半頃、北鮮系の朝鮮人が160名くらい可部に集りました。型通り記念式をやり、町役場に押しかけて、朝鮮人の自律教育を認めよ、生活困窮者に保護法を適用せよ、同籍選択の自由を認めろという要求をしたのでありますが、町長不在のため、比較的おとなしく約20分間で退去しております。

これらの集合者が2つの隊にわかれまして、1隊30名くらいは可部に、他の1隊は広島に行つております。可部に行つた者にはさらに30名くらいが加わつて、合計60名くらいが可部の税務署に押しかけ、そのうちの30名くらいが税務署の2階に行つて、署長に面会を求めました。署長、課長が不在でありましたために、前のしようちゆうの検挙事件はどうするかというふうに脅迫をした後、帰る際に、催涙ガスのびんを1個やはり税務署の中に投げて帰つております。それから可部の税務署から引上げた60名が、今度は町役場に行つて町長に面会を求めたのですが、これも町長がいないために引上げております。

なお国警安佐地区署にも一部押しかけておりますが、その際は別に暴行はなかつたのであります。そうしてこの安佐地区のデモ隊の100人あまりが、午後の4時半ごろ広島におもむいて、広島で行われた総評の決起大会の流れの自由労組のデモ隊の40人くらいと一緒になりまして、そこで市警本部、広島市の西警察署の前で無許可のデモをやつた。そうして特審の中国支局の前に来て、先ほどお話しいたしましたような暴行を加えたわけであります。



[315]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
わかりやすいように簡単に地理的な関係を申しますと、可部町というのは広島市から大体16キロの地点にある町であります。古市町というのは可部に行く途中でありまして、広島市から大体10キロ程度のところにある。祇園町は安佐地区警察署のある町でありますが、これが大体8キロの地点、これは大体広島市から一直線に並んでおります。それから安芸地区署管内の海田市並びに船越の関係を申しますと、船越町というのは広島市から大体6キロの地点にある町であります。海田市というのは船越町からわずか1キロも離れておらない程度のほとんど隣接の町であります。

そこでまず可部の税務署の襲撃事件から申しますと、当日3月1日午前9時ごろ、古市町の朝鮮人の中心地である部落に、朝鮮人が大体180名くらい集合いたしまして、朝鮮語で演説をして気勢をあげております。10時ごろからプラカード60本くらいを手に手に持つて古市町の役場にデモ行進をしております。役場で何をしたかと申しますと、別に不法行為を働いておりません。朝鮮人子弟のみの小学校分校を設置してくれ、朝鮮人の専任教師を雇つてもらいたい、教育費の負担をしてくれ、こういう3点を中心に要求をいたしまして、11時30分ころ引揚げております。

ところがその後約60名くらいが三々伍々、この古市町から可部町へ来る――距離が5キロくらいあると思いますが、バスまたは電車等によりまして可部町に行きまして、可部税務署に押しかけた。そこで署長がおらなかつたものでありますから、署員に対して密造酒の取締りの不当をなじり、一応合法的な談判――陳情と申しましてもはげしい陳情であります。談判をやりまして、そこまではよかつたのでありますが、帰りぎわに150CC程度のびんに入つた催涙液、これは後ほど鑑識で分析してみますと臭素クロームとアセトンの混合液だそうでありますが、これを帰りぎわに事務室の机の上に投げつけて、さつと引揚げてしまつたのであります。この液は後ほど税務署員が医師の診断によつて見てもらいますと、急性眼瞼結膜炎、急性刺激性咽頭炎を起させる液体だそうであります。そこへ私服警察官が2、3名、警戒と署に対する連絡の意味で派遣されておつたそうでありますが、帰りぎわにびんをいきなりぱつと投げてそのままさつと引揚けたので、警戒員が本署へ連絡して本署から警察官が来たときには、すでにもう引揚げて逮捕できなかつた、こういうのが実情であります。

次にこの可部税務署を襲撃した一隊と思われる者が、今度可部からただいま申しました4キロないし5キロばかり離れておるところの古市町に現われまして、古市町から今度はさらに約1.5キロほど離れた祇園町、ここは警察署の所在地でありますが、祇園町の役場に行きましたけれども、町長がおらなかつたために事なく引揚げております。

次にこの一隊が、さらに午後1時半ごろ安佐地区警察署へ押し寄せております。これは密造酒取締りの不当について署長に談判するというので、署の前へ集まつたそうでありますが、署長の方で解散を命じたので、これは何らなすところなく解散をいたしましたけれども、それから先約130名の者が、徒歩で広島市に向つて出発をしております。これは午後2時50分ごろ解散したという報告でありますので、およそ距離が8キロ、約2里少々の距離でありますが、徒歩でぞろぞろと広島市に向つたのであります。しかもこの半分以上は女子並びに子供の一隊であります。それで警察の方でも、いわゆる型にはまつた集団デモ行進というふうには見ずに、いささか軽く見た節があつたのではなかろうかと思つております。この旨は同時に電話で広島市警の方には通報はいたしてあります。

次に安芸地区署管内の状況を申しますと、やはり午前11時半ころ、安芸地区署の朝鮮人部落の中心地である船越町、この民線の地区事務所に朝鮮人約60名が集まりまして演説を行い、気勢をあげまして、正午前ころプラカードを40本くらい立てまして、海田市税務署に参つております。この海田市税務署というのは、この部落から徒歩で約20分くらいのところであります。海田市税務署に参りましてこれは税務署長がおりまして、これに対して密造酒取締りを緩和せよ、われわれの生活を破壊するなというような要求をしたのでありますが、午後1時半ころになつて、税務署の方で退去要求をいたしました。それまでは合法的な談判に終始したのでありますが、署長が退去要求をいたしますと、この60名ばかりの朝鮮人が引上げぎわに、玄関のところと応接間のところに2本同様の催涙液入りのびんを投げつけてぱつと退散したのであります。当時警察の万でも不法行為を予期しておつたのでありますが、彼らの行動は、いわゆる合法と非合法のすれすれのところを巧みに行くという戦法と思われますが、談判に終始すると見せかけておいて、帰りぎわにさつとこういうびんを投げつけて行くという、実にすばやい巧みな行動に対して、実は警察の方で逮捕するのが間に合わなかつたように聞いております。

それでこの税務署を出た一隊は、午後一旦部落に帰つたような様子でありますが、それが再び午後4時ごろ、部落から30~40名程度の者が出て参りまして、広島市方面に向つたのであります。ところが広島市方面に向うと思われたその一隊のうち約30名程度が、いきなりぱつとこの同町にある民団の安芸支部の事務所に押し入りまして、そこにやはり催涙液の入つたびんを室内に投げ入れ、窓ガラス等を破壊し、民団支部長を殴打暴行を加えて引上げたのであります。警察の方でも、支部長の宅に対して襲撃があるかもしれないというので、かねて警戒はいたしておりましたが、これまた現場で逮捕するに至らず、わずかに道を迷つたとおぼしき1名を逮捕したのみで、その当日は逮捕しておりません。これは翌日逮捕しておりますが、当日は逮捕しておりません。この人間が、約2、30名だと思いますが、これが徒歩で広島市に向いまして、後ほど申し上げたいと思いますが、可部から参つたこの30名程度の婦女子を交えた一隊と広島市において合流しまして、市内をデモ行進した、こういうわけであります。





昭和27年05月20日 衆議院 法務委員会
[002]
判事(最高裁判所事務総局刑事局長) 岸盛一
それではこれから最近起りました広島地方裁判所と大阪地方裁判所堺支部における暴力行使の事実について説明いたします。

最近法廷で被告人と、傍聴席を埋めた一部の多数の傍聴人と相呼応して気勢をあげて拍子、怒号、罵詈雑言を放つて、裁判官の命令や係員の制止を聞かず暴力ざたに及んで、厳粛なるべき法廷が喧々囂々の騒乱の場所と化した例は、まれではないのでありますが、この広島の事件と堺支部の事件は、ごく最近のその傾向を最も顕著に物語るものであります。

まず広島の事件から説明いたしますが、広島の事件と申しますのは北鮮系の被告人の姜一龍外3名によつての勾留理由開示期日におけるできごとであります。この勾留理由開示期日は、この5月13日に開かれたのであります。これはむろん被疑者に対する勾留理由開示の手続であります。係の裁判官はこの期日について、できる限り平静裡に勾留理由開示手続を終了せしめようとしまして、平常通りの傍聴人の制限とか傍聴券の発行制限等をいたさなかつたのでありますが、手続開始に先だちまして、この事件の特殊性と客観的の情勢を考慮しまして、不測の事態が惹起されることをおもんばかり、法廷警備、審理妨害排除の目的のもとに、当日午前9時過ぎ、あらかじめ電話で検察庁に対し警備の手配方を連絡して、その了承を得ていたのであります。この被疑事実と申しますのは、5月1日の日に広島市南三篠町古田シゲミ方を焼いてしまう目的で爆発物である火炎びんをこの古田宅に投入して破裂発火させ、その住居に使用する家屋の一部を焼いたという事実と、やはり同じ日その家の表門に、国民の血を吸う特審の古田を殺せ、広島301部隊と記載した紙きれを添付して古田氏の甥の法務府特別審査局中国支局員の古田巖という人の生命身体に危害を加うるごとき気勢を示して脅迫したというのが、被疑事実になつております。なおそのほか4人の被疑者には、事実は多少ずつ違いますが、そのうちのおもな被疑者に対する被疑事実はかような事実になつております。

先ほどの話にもどりますが、当日地方裁判所の2階の判事室において、その日の午後0時半から、裁判所の事務局の訟廷課の職員と、広島拘置所の看守部長2名と、裁判官が法延に入廷する場合のことについて打合せをいたしたのでありますが、その打合せを開始したとたんに40名を越える朝鮮人の男女が、男2名を先頭にして係の裁判官に面会を求めて裁判官室に裁判官の制止を聞かずに入つて来たのであります。なおその際廊下にも多数の朝鮮人が集まつていたということであります。係の裁判官は、その面会要求を拒絶して室外へ退去を命じました。なお同じ部屋にいた他の裁判官もかわるがわるそれらの人々に対して、面会を求めるときは、それぞれその順序を経てやつて来るようにということをさとしたのでありますが、その人たちはそれに耳をかさず執拗に係の裁判官に面会を強要して、裁判官の周囲に立ちふさがるに至つたのであります。

たまたまそこへ高橋弁護士が入室した。裁判官は同弁護士に事態の収拾について協力を求め、高橋弁護士のあつせんによつて代表10名に限り面会をする。他の者全員は階下に退去する。面会時間は15分限りとする。この3つの事柄を条件として面会を約束し、即時強硬にその他の人々に対しては全員退去を命じたのでありますが、結局ほかの人たちは廊下や出入口に立ちふさがつたまま応じなかつたのであります。それで係の裁判官は、判事室の隣りの応接室で、先ほどの代表者と面会をいたしたのであります。当時その裁判官室では他の裁判官も執務中でありました。これらの裁判官からも退去を求めたのでありますが、応ずる気配がなかつたので、そこに居合した長井判事補が、検察庁に行つて待機中の警察官の応援を求めるべく、地方裁判所訟廷課及び検察庁へ連絡をいたしました。その命を受けた訟廷課では、ただちに事務官がその旨を地検の公安部に連絡をいたしましたが、その当時まだ警察官は検察庁に到着していなかつたのであります。そこで急を要するので、訟廷課は在室しておつた広島市西警察署員をして、西署へ至急警察官の来援方を電話で求めたのであります。その関係の裁判官と代表者は応接室において高橋弁護人及びちようどそこへ来合した、やはりその事件の弁護人である原、原田両弁護人立会いのもとに、代表者10名と面会しましたところ、同人らは即時釈放を要求いたしましたが、係の裁判官はこれを拒絶して、約10分余りで物わかれとなり、裁判官は裁判官室にもどつたのであります。

間もなく西警察署から山崎警部補指揮の警官約33名が検察庁に到着いたしました。それを知つた訟廷課の職員は、ただちに裁判所に派遣するよう検察庁へ連絡いたしたのでありますが、たまたまその際検察庁へも一部の朝鮮人が押しかけて検事に面会を求め、被疑者の即事釈放を叫んでいたころで、一時警察官は検察庁にとどまるのほかない状態になつたのであります。ところがその後その人たちは波状的に即時釈放、スピーカーの設置等について、係の裁判官のものに押しかけて参りましたが、裁判官は右の要求を拒絶して問答を重ねているうちに、面会人を去らせるために隣室から長井判事補が電話で、警官を出動させた方がよいと現場の係裁判官に勧めましたところ、その小声の電話の応答で、面会を求めていた朝鮮人たちは警察に連絡しているということを感知したものか、全員退去いたしました。

そのころ法廷内には傍聴人が150、60名入廷いたしており、これらの傍聴人は被疑者の入廷を機会に騒然となつて、被疑者に声援を送つて、警備の制止も聞かず、遂にごたごたになつたのであります。その状態をそのまま放置すれば、遂には法廷占拠という事態に至るのではないかを案じられましたので、この際待機中の警察官の応援を求めようと一度は考えられたのでありますが、とにかく1個小隊の警察官の増援があるということを聞きましたので、係の裁判官は2時55分に法廷に入つたのであります。

法廷に入つた後における状況でありますが、法廷内の状況は次といたしまして、まず外部の状況を申し上げますと、係裁判官が入廷しますと傍聴人は静粛になつて、ただちに勾留理由開示期日が開かれまして、順次手続が行われており、その間は被疑者との間に多少の応答あるいは傍聴人の声援等の事実がありましたが、格別騒ぐ気配も見えず、このままに進行すればあるいは平穏裡に当日の手続が終了するのではないかと思われたということであります。法廷内にはそのころ200人くらいの傍聴者がおり、法廷外には100人くらいの人が集まつておりました。ともに大半は朝鮮人でありました。一部分は日本人の自由労働者がおつたということであります。

そして法廷外の傍聴人は、法廷各所の出入口に多数集合して立ちふさがつて、内部を整理中の裁判所職員の制止をも聞き入れない状態でありました。

開廷後約15分くらいで増援の警察官の1小隊が到着し、警察官が合計ここで71名となりましたが、これらの警察官を裁判所庁舍東側の階下の各室に分散待機せしめ、指揮官の板倉警部が民事の裁判官室におつて指揮をとる態勢を整えたのであります。そのうち法廷は平穏に終りに近づいて参りましたが、閉廷直後における被疑者の身柄、裁判官その他の職員の身体の安危、記録の安全が気づかわれるので、閉廷前あらかじめ警察官を法廷の各出入口に配置するということも考えられたのでありますが、せつかく法廷が平穏裡に進行しておるのに、外部からさような措置をとつて刺激し、ごたごたを誘発してはならないという考慮から、裁判所職員が各出入口の警備に当ることにしまして、ただちに高等裁判所、地方裁判所の職員約20名を、裁判官の出入口等法廷の東西両側に随時配置いたしました。傍聴人の出入口方面は傍聴人が多数であり、かつ廊下が狭隘のため、職員の配置は困難であつたということであります。

そのうち法廷内は最後の陳述者である原田弁護人の意見陳述が行われておりました。その陳述が終つたと思われるころ、突如法廷内が騒然となり、法廷外において監視中の裁判所職員は急を知つて、待機中の警察官に緊急出動を要請したのであります。すでにそのころ法廷の裁判官席のうしろのとびら等も、傍聴席から柵を越えて入つて来た朝鮮人によつて法廷の内部からとざされ、法廷の内部と外部との連絡が不可能になつたということであります。ここで待機中の武装警官が指揮官のもとに出動しましたが、そのときすでにおそく、法廷内の傍聴人が被疑者を法廷外へ逃走せしめたので、警察官はただちにこれを追跡しましたが、被疑者らは傍聴人の応援を受けて、裁判所の西側の土堤を乗り越えて広島市内に逃走しました。なおも追跡を加えてようやくそのうちの1名を逮捕し、他の1名は自首し、他の2名は目下指名手配中であるということであります。一方裁判官の出入口に待機中の裁判所職員は、裁判官を救出すべくそのとびらに迫つたのでありますが、その付近にいた傍聴人たちの阻止を受け、もみ合いを始めましたが、そのうち法廷内の傍聴人が退去するころ、これらの外にいた傍聴人も逃走して、職員はやつと法廷から脱出することができたのであります。また事件の記録は、裁判官からすぐ廷吏に渡し、廷吏がからみつく傍聴人を押しのけ、その妨害を排除して、東側の窓から脱出して、柵の外で待機していた書記官に柵越しにリレーして、記録は安全に保護されたということであります。

その開示手続の法廷内の模様を、係の裁判官はかように言つております。自分は午後2時52分入廷するために出て行くと、出入口付近に10数名の男女の朝鮮人がいたので、かたわらの裁判所職員に、出入口に4、5名ずつの警官を配置するように警官隊に連絡を命じた後、中央入口から入廷すると、傍聴人は多少ざわめいていたけれども、傍聴人席におつた1人の男の制止によつて、すぐに静粛になつた。自分は小声で籾山書記官を通じて廷吏に対して、万一の場合は警官隊の入廷を求める、その暗号として持つている記録を立てるから、そのときに警官隊に法廷内に入廷してもらいたいという打合せをいたしました。型通りに人定質問、勾留理由開示、次いで被疑者並びに弁護人の意見の陳述を求めたところ、各被疑者もそれぞれ大体制限時間内で陳述をいたした。その間傍聴人はときどき拍手、声援を送つたり、あるいは自分に無断で被疑者に水を飲まそうとしたこともあつたが、その都度自分が注意すると、すなおにこれに従つて、予期した以上に法廷内は平穏の状態で、裁判官に対する侮辱的、攻撃的な発言や態度はなかつたので、自分は無事閉廷まで行けるものと思つておつた。5時20分過ぎになつて、原田弁護人の最後の陳述も終つたので、すぐ閉廷を宣して立ち上つた。そうして自分の背後の出入口に歩を進めたところ、突如傍聴人が騒ぎ出し、付近の傍聴人5~6名が自分の腕を握り、自分が出るのを阻止するので、振りかえつてみると、傍聴人、被疑者、看守らが、うずを巻くごとくもみ合い、大混乱を呈しているので、自分は大声で、警官をすぐ呼べと廷吏に命じ、持つていた記録を廷吏に渡すと、廷吏は東側の窓から妨害を排除して出て行き、柵越しに書記官に記録を渡すと、防衛のためにすぐ自分の身辺に来た。その際裁判官席付近にいた1人の男が、大声で、引揚げろと絶叫すると、残つていた傍聴人らは各出口から退却した。自分はすぐ法廷を出て、警官隊の控所に急行すべく、2号法廷東隣の付近まで行つたところ、警官隊は出動しかけていたところであつた。自分は2号法廷の裏にまわつて見ると、傍聴人たちが西裏門の方に逃げて行くのが目撃された。かようにその当時の法廷の様子を述べております。なおこの係の裁判官は、自分はさようなことには気がつかなかつたと言つておりますが、法廷が混乱に陥つて、被疑者の奪還最中に、傍聴人のうちの1人が、あれを投げるのはよせということを言つたということを聞いた。廷吏や刑務官がそれを聞いたということで、あれを投げるというのは、非常に意味深長なものがあろうと思うのであります。

これが広島のできごとであります。

それから2日置きまして、5月の15日に、一部の新聞に出ましたが、大阪地方裁判所の堺支部に事件があつたのであります。

その概略を申し上げますが、公判期日におけるできごとであります。ことしの3月27日に起訴された被告人津田一朗、これは保釈中でありますが、これに対する昭和25年政令325号違反事件の第1回の公判期日におけるできごとであります。係の裁判官は松田判事であります。当時の模様は、まず傍聴券を発行したかどうかということですが、堺支部の法廷の構造から、傍聴券の発行をいたして傍聴人を制限いたしましても、結局相当な警備態勢をとらない限りは、あまり実効がなかつたという状態と、ことにこの松田判事は相当しつかりした判事で、従来もかような事件をたくさん手がけてなれておる判事だそうであります。このときも平生通り、特に傍聴券の発行をせずに、期日を開いたそうであります。この法廷の中は非常に狭くて、定員がやつと30名か24~25名くらいの程度のところであります。この日は法廷内に約100人くらい、法廷の外に、入り切れないのが100人くらいおつたそうであります。この公判期日の数日前に、担当の裁判官は堺の市警察署長は面接して、もし不穏な場合には、何時でも警察官を派遣してもらうように打合せをいたしておきました。なお裁判所としては、法廷内に立会書記官のほかに書記官補1名、廷吏2名、法廷内外の連絡員として書記官1名を増員配置させたほか、法廷の北側屋内及び裁判官入口、傍聴人入口、裁判官室に通ずる廊下等にも、事務局の庶務課長ほか5名の職員を配置して警備いたしたのであります、

この公判は午前10時30分に開廷されて、人定質問に入り、裁判官が被告人に年齢を尋ねましたところ、被告人は非常に傲慢な態度で、そこに書いてあるじやないか、何度も同じことを聞かなくてもよいじやないかと述べたので、裁判官は裁判の手続上必要なわけを説明し、なお立会いの山本弁護人も裁判官に協力して被告人をたしなめたということであります。検察官の起訴状朗読が終つて、被告人の意見陳述に入りますと、廷内の傍聴人のうち何名かが大声で、しつかりやれしつかりやれと叫ぶ者があつたそうであります。そのうち廷内の傍聴人が、南側の窓寄りにいた傍聴人に向つて、被告人席のあいている所を示して、大声で、ここがあいているからここへ入れと誘いをかけ、傍聴人が靴ばきのまま窓越しに入ろうとしたのを裁判官が目撃して、これを禁止したという事実があります。

その後検察官から証拠申請があつて、その決定をしようとしていた際に、傍聴人の1人が突然立ち上つて、検察官に対し、何が悪いのだ、それでも日本人かとどなり散らしたので、裁判官は、かつてな発言は許さないと制止しますと、他の傍聴人がさらに、どうして発言して悪いのか、発言くらい許してやつてもよいじやないかとやじを飛ばすので、裁判官は、許可なく発言する者は退廷を命ずると告げましたが、これに従わず、なおまた執拗に発言を続けようとする気配が感じられた矢先、傍聴人席から、やれやれとアジる者が出て騒然となつたので、裁判官は制止を聞こうとしない傍聴人2名に対して退廷を命じましたところ、退廷しようともせず、再度退廷命令を発しましたが、それにも応じないので、このままでは法廷内が騒然として審理を進めることができないと考え、やむなく午前11時30分に一時休廷を宣したのであります。

裁判官が休廷を宣して、ただちに裁判官入口から廊下に出ましたところ、あぶれた傍聴人また傍聴人入口から出て来た傍聴人とが3人、4人と逐次数を増して裁判官の前後左右から取囲んで、法服を強くひつぱり、このまま公判を続けろ、休廷を宣言するのは卑怯だとどなつたり、ある傍聴人が殺してしまえと叫ぶと同時に足や裁判官のしりの所をけつたので、裁判官は自分のあとから続いて退廷して来た書記官にこの殺してしまえといつた男をさし示して、この男の顏をよく覚えておけといつたが、その書記官は、その男をつかまえろと言われたものと感違いして、その男をつかまえようとしましたところ、かえつてその男から頭をなぐられたりまた他の傍聴人たちから足をけられ、また法服をちぎれるくらいひつぱられたそうであります。

これを見た廷吏はその場にかけつけ、その書記官を救助しようとしましたところ、その廷吏もまたそこに集まつた傍聴人からげんこで後頭部を強く突くようになぐられたのであります。

その間裁判官は30数名の傍聴人に囲まれながら約4間ぐらい引きずられ、傍聴人入口角のあたりでもみ合つていたのでありますが、これを見た1人の書記官補は、これはたいへんと思い裁判官の急を救うために、そこへかけつけたところ傍聴人らは書記官に対して、お前は一体何者だ、警察の犬だろう、なぐれ、でつち上げろと叫んで、えり首をつかんで引きずりもどそうとひつぱつたり、傍聴人から両手で頭や顔を10数回なぐられ、かつけられ、ワイシヤツの左の方が破られ、くちびるから出血をしたということであります。

この乱暴最中に、庶務課長は急を知つて多数の傍聴人にもまれておる裁判官のところにかけつけ、裁判官を抱くようにして襲いかかつて来る傍聴人を払いのけて、ようやくのこと刑事書記官室に難をのがれたのであります。

なおその休廷を宣する少し前から、法廷内の状況が非常に険悪に思われたので、庶務課長は職員に命じて検察庁に待機中の警察官の出動を連絡させましたところ、職員がなかなかもどらず、また警察官も来援しないので、変だなと思つていたところ、そのころにはまだ検察庁に警察官が到着していなかつたということがあとからわかつたそうであります。さような事情で警察官5、60名、私服の警官10数名がやつて来ましたのは、事故が発生した後10分ぐらいたつてからで、そのときはすでに事態が平穏となつておりました。

暴行を働いた人々はいち早く逃走してしまつたあとであつたのであります。なおこの事件の被告人と日本共産党員と称する松葉某という者が、刑事書記官室に裁判官への面会を求めて来ました。手続の再開を要求しましたが、裁判官はこんな状態では裁判の公平を期することができないから、再開はしないと言いましたところ、なおも再開を要求するので、裁判官は武装警官を裁判所構内に、私服の警察官を廷内に配置して再開すると申しますと、被告人たちは室外に出てただちにもどつて参りまして、裁判官の申出を承諾したので、午後0時過ぎ再開して約10分足らずして閉廷いたしたそうであります。

この再開後はまつたく平穏であつて、その際次会を6月3日と指定いたしたのであります。その後午後2時か3時ごろに松葉某という先ほどの裁判官に再開を求めた者外1名が裁判所へ来まして、裁判所を騒がしたのは済まなかつたと陳謝してもどつたということであります。

以上が大体堺の出来事であります。





昭和27年05月22日 衆議院 法務委員会
[003]
参考人(大阪地方裁判所長) 小原仲
それでは本月15日に、私の方の大阪地方裁判所堺支部に起りました事件について、その経過を御報告申し上げます。

まず場所は、大阪地方裁判所堺支部、堺市に存在する支部でございます。事件は、昭和27年の3月27日に起訴されたものであります。事件名は、昭和25年政令第325号違反事件として起訴されたものでありまして、被告人は津田一朗、この被告人は、その当日は拘束を受けておりませんでした。保釈中でありました。事件の公訴事実は、被告人は、昭和27年の2月15日午後6時40分ころより、同7時30分まで近鉄の南大阪線恵我ノ荘駅付近で、安田茂子外10数名に対し、「高わし村の子供等8人米軍に鉄砲をつきつけられ靴でけられ命からがら逃げる――大正ヒコー場附近で」と題する文書を領布し、連合国に対する破壊的批評を論議したという公訴事実であります。それにつきまして、第1回の公判が、本月の15日午前11時30分に開廷いたされたのであります。係の裁判官は松田判事、それから立会いの書記2名、法廷におきましては、廷吏2名、検察官並びに弁護人、これが立会いのもとで開かれました。これにつきまして、開廷前の様子を概略申し上げます。

この堺の支部はまだ仮庁舎でありまして、非常に狭隘であり構造も至つて粗末なものでありました。でありますから、傍聴券というものも、今まで発行してみても、あまり効果がないと思われますので、従来傍聴券は発行したことはありませんでした。本件の場合にも傍聴券は出しませんでしたが、この法廷は非常に狭くて、わずかに24、5名くらいを収容する程度の広さしかございませんでしたが、その日は、法廷内に約100名、法廷外にまた約100名くらい傍聴人が来ておりました。が、この傍聴人のほとんど大部分は、自由労働者でありました。これは平生からでありますが、堺の支部のじき隣のところに堺市庁舎がありまして、ここで職業安定の方の事務を取扱つておりますので、毎朝その自由労働者がたくさん集まつて来ます。その職にあぶれた者が、時間つぶしに裁判所へ参りまして、裁判の傍聴をしておる。でありますから、どんな事件にかかわりませず、刑事裁判があるときには、傍聴人がたくさん押しかけて来ている状態であります。

それで本件につきましては、この公判の数日前に、あらかじめこの事件を円滑に審理を終りたいということからいたしまして、まさかの際をおもんぱかつて、担当の裁判官は、堺市の警察署長に面接しまして、被告人、傍聴人等において不隠の行動がある場合は、いつでも警察吏を派遣せられるように、打合せをいたしておつたのであります。またその日の裁判所としての手配としまして法廷内に立会いの書記を1名増加しまして、立会い書記官の補助者としまして、書記官補1名を加え、さらに廷吏2名を法廷に入れておりました。そうしてさらに法廷の内と外との連絡に当らすために、書記官補1名、合計3名というものは平生よりもよけいに配備しておつたのであります。

それから法廷外におきましては、北側の裏庭、それから裁判官の入口、傍聴への入口、それから裁判官室に通ずる廊下、これらの要所々々に、庶務課長指揮のもとで、5名の職員を配置して、万一に備えておつたのであります。ところがなおその日におきまして、朝検察庁の側から連絡がありまして、何か事があつたならば、すぐ検察庁に連絡ありたいということであつたので、係の裁判官は、すでに検察庁におきまして、警察職員の連絡もでき、検察庁に警察職員が待機しておるものと信じておつた次第でございます。検察庁はじき隣に建つております。

それで公判は午前10時30分に開廷いたしまして、そして人定尋問を始めたのであります。まず裁判官が被告人の年齢を問うと尋ねましたところ、被告人は非常な強い態度でもつて、そこに書いてあるじやないか、何度も同じことを聞かなくてもよいじやないかというようなことを述べたので、裁判官が裁判の手続上、それを尋ねる必要なわけを説き聞かせまして、そしてなお立会いの弁護人からも、裁判官に協力して被告人をたしなめたのであります。それから検察官が起訴状の朗読をいたしまして、これが終つてから、被告人の意見の陳述を始めましたところ、法廷内の傍聴人の中から、何人かが大きな声で、しつかりやれというような声を発する者がありました。そのうち法廷内の傍聴人が、南側の窓寄りにおつたところの傍聴人に対して、被告人の席のそばがあいておるそこを指さして、大声でここがあいておるから入れというような誘いをかけた。その傍聴人がくつばきのままで窓を越して入ろうとしたのを裁判官が目撃したので、これを禁止したのであります。それからその後検察官から証拠申請がありまして、そして裁判官が証拠決定をしようとしていた際に、傍聴人の1人が突然立ち上りまして、検察官に対して、起訴状にある犯罪事実は何が悪いのか、それでも日本人かという怒号を始めましたので、裁判官はかつてな発言は許さないと言つて制止しますと、ほかの傍聴人がさらに、どうして発言しては悪いのか、発言ぐらい許してやつてもいいじやないかというようなやじを飛ばした。そこで裁判官は、許可なく発言する者に対しては退廷を命ずることを告げましたが、これに従わないで、なおも発言を続けようとします気配がありました。その矢先に、傍聴人からやれやれというような扇動する者も出て来たのであります。そこで裁判官は、制止するのを聞こうともしない傍聴人2名に対して退廷を命じましたところ、やはりその命ぜられた者は退廷しようとしない。そこでまた再度退廷の命令を発したのでありますけれども、これにも応じないで、ますますやじが盛んになつて来まして、法廷内が騒がしくなつて来たのであります。とうてい審理を進めることができないと思われたので、やむなく午前11時30分に、裁判官は休廷を宣言したのであります。

そして裁判官は、この休廷を宣して、ただちに裁判官の入口の方から、自分の部屋へ帰ろうと廊下へ出て、6、7歩出て行つたときに、廊下にあふれておりましたたくさんの傍聴人や、それからまた法廷の傍聴人の入口から出て来た傍聴人、これらが3人、4人と順次増して来まして、傍聴人が前後左右を取囲み、そして法服をひつぱつて、このまま公判を続けろ、卑怯だぞというようにどなり、またある傍聴人は、殺してしまえというような叫び声を立てた者がありました。それと同時に、足や腰のあたりをけつた者もあつたのであります。そこで裁判官は、自分のあとから続いて退廷して来ました立会いの書記官に対し、殺してしまえと言つた男をよく目撃しておりましたので、殺してしまえといつた男を指さして、あとの参考のために、この男をよく覚えておけと言いましたところが、書記官はどうもそれを聞き間違えまして、つかまえろと言われたものと思つてか、その男をつかまえたのであります。ところがかえつてその男からその書記官は頭をなぐられて、また他の傍聴人から足を蹴られたり、あるいは服をひつぱられたりしましたので、これを見ておりました廷吏は、その場にかけつけて、その書記官を救おうとしましたところ、この廷吏もまた同じく傍聴人からげんこで1回後頭部を強く突くようになぐられた、さようにしております間に、裁判官は30数名の傍聴人にもまれながら、約数間の間廊下を押されて行きました。そして傍聴人入口の角までもみあつておりましたが、他の書記官補が見まして、たいへんなことと思つて、裁判官のその急を救おうとそこへかけつけて行つたのでありますが、傍聴人らはこの書記に対しましても、お前は何者だ、警察の犬だろう、なぐれ、でつち上げろということを口々に叫びながら、同人のえりがみをつかんで、引きもどそうとした。そして他の傍聴人からは、手の平で頭や顔を10数回なぐられた上に、足も蹴られ、またワイシャツも破れるほどひつぱられたのであります。かように騒いでおる間に、外に警備にあたつておりました庶務課長もそこへかけつけて、裁判官を抱くようにして傍聴人を払いのけようといたしました。そしてようやくその場を切り抜けまして、書記官室の方へ退くことができたのでございます。その初めにあたりまして、その公判の休廷を宣言する少し前から、法廷が少し騒がしくなつて来ましたので、庶務課長は職員に命じまして、検察庁に警察官が待機しておると思いましたから、その出動方を検察庁の方へ連絡させたのであります。その連絡にやつた者がなかなか帰つて来ない。また警察官もじきにはやつて来なかつたのであります。これは実は思い違いでありまして、検察庁の方には、まだ隣までは警察官が来ておらなかつたのだそうであります。それでようやく連絡がつまして、武装の警官が50~60人、私服10数人が來まして、まだこのほかにも警察官150~160人が検察庁の方に待機しておつたそうであります。そうしてこれらの警察官が来ましたが、その来たときにはもうすでに騒ぎのあとでありまして穏やかになつており、また騒いでおつた傍題人も、いち早くその場を去つてしまつておつたという状況であります。

それからその後の審理でございますが、その後そのある1名が裁判官のところに面会を求めて来ました。ちようどそこに弁護人もおりまして、被告人らから公判の再開を要求して来たのでありますが、裁判官はかような状態では裁判の公事を期することができない、再開することはできないと言いましたが、その面会を求めて来た者たちは、執拗にぜひやつてくれと希望しますので、裁判官は、武装警官を裁判所の構内に入れる、それから私服警察官を法廷内にそれぞれ配置する、その上で再開するといつたところが、被告人らもこれを了承したので、そこで武装警官を5、60名、これを裁判所の構内――建物の外だつたと思いまするかに、それから私服の警察官10数名を法廷内に配置し、そうして午後0時過ぎから法廷を再開し審理を続行いたしました。そうして10分ほど審理の後閉廷をいたした次第であります。このあとの公判中はまつたく平穏で過すことができたのであります。そうして次回期日6月3日ということにいたしたのでありますが、その午後2時か、3時ごろに、さきに裁判官に交渉に来た1名と他の人も来まして、裁判所を騒がして相済まなかつたと陳謝しておつたそうであります。

大体堺における騒ぎの概要はただいま申し上げた通りであります。私もその支部の方からの報告を受けまして承知いたしたのでありまして、現場を見ておつたわけではありませんから……。



[005]
参考人(広島地方裁判所長) 藤山富一
広島地方裁判所の状況を御報告申し上げます。

まず事件の概略を申し上げますと、去る5月13日、朝鮮人4名に対する爆発物取締罰則違反被疑事件の勾留開示期日その他の事件でありまして、この被疑事実の内容の大略は、5月1日のメーデー及びその前後の数日間に広島市隣接の古市という町の巡査駐在所に、朝鮮人多数襲撃して、駐在所内に火炎びんを投げつけ、また広島市内にある特審局職員の親族のうへ、同様火炎びんを投げ込み、なおその門に特審局職員に対する脅迫的な文字を連ねた紙を張りつけた、そのほかありますが、こういう被疑事実の概要であります。

そこで幸野裁判官は――判事補の方でありますが、この判事補が型のごとく勾留理由開示手続、つまり人定尋問、理由の開示、さらに続いて被疑者並びに弁護人の意見の陳述は至つて平静裡に終了しまして、裁判官は閉廷を宣して退廷せんとするそのせつな、俄然法廷内におつた約200人の傍聴人、大部分は朝鮮人でありまするが、幾分は日雇い労務者も加わつておつたようであります。この200人の傍聴人が被疑者の周辺に殺到して、またたくまに被疑者を拉し去つて法廷外に逃がし、さらに裁判所構内から逃走せしめた。これには法廷外にいた約100人ばかりの朝鮮人も相呼応して逃走を容易ならしめた、こういう事実でありまして、逃走後、待機していた警察官がただちにこれを追跡して、うち1名は広島市内で逮捕したのでありますが、他の2名はその後杳(よう)として姿がわからぬ、こういう事情であります。

そこで法廷の開始前後、裁判所の法廷内外の状況を申し上げるのでありますが、まず開廷までの状況を申しますると、担任裁判官幸野判事補はこの期日について、できる限り平静裡に勾留理由開示を終了したい、またおそらく平静裡に終了し得るであろうということを期待したのでありましたが、しかし事案の性質、また客観的社会情勢を考慮しますると、あるいは不慮の事件が起りはしないかということをおもんばかり懸念いたしまして、法廷警備並びに裁判所構内の秩序維持という趣旨で、広島市の警察署に、検察庁を通じて警察官、警察吏員の派出方を要請してその了解を得ておつたのであります。一方当日午後でありますが、判事室では午後0時半、1時前ごろに係裁判官と訟廷課長と拘置所の看守長が判事室で開廷時刻の打合せ、同時入廷というようなことを打合せしようとした。そこへ約40数名の朝鮮人がどやどやと判事室に入つて来た。そこで裁判官はその不法を責めて、ここで話は一切できない、退去しろということを命じたのでおりますが、なかなかそれに応じない。たまたまそこへちようど被疑者の弁護人である高橋弁護人が判事室に入つて来ましたので、その弁護人にも協力を願つて、被疑者関係の朝鮮人と協議して、そうして弁護人のあつせんによつて代表者10名に限つて面会する、他の全員は階下に退去すべし、面会時間は15分間に限る、こういう約束のもとに面会したのでありますが、多数の朝鮮人は判事室からは出て行きましたけれども、廊下には依然多数集まつて退去する模様がない。そこでそのままで裁判官は代表者10名と判事室の隣の応接室で面接したのであります。なお他の裁判官もその廊下から退去することを再三要望したのでありますが、依然として朝鮮人は退去しない。そこで当該裁判官以外の判事が事態の歩まりに急迫しておるような情勢を看取しましたので、たまたまこの事件の関係で来ておりました市の警察署員に対して、即刻警察官を派遣してもらうようにということを要求させたのであります。そうして一方裁判官は代表者と折衝をする。そこへ掴原、原田という弁護人も来られたので、折衝を重ねたのでありますが、被疑者の方では即時釈放を要求し、裁判官はこれを拒絶するということで約10分間ばかり交渉してものわかれになつて、裁判官は裁判官室に引揚げたのであります。

間もなく裁判所の要求によつて約1小隊と申しまするか、30数名の警察官が裁判所へ参つたのでありまするが、被疑者の関係の朝鮮人たちは依然として即時釈放、スピーカーの設備というようなことを波状的に判事のもとへ押しかけて要求する。判事はこの要求を拒絶しておる、こういう状況のところで、隣の裁判官が応接室で交渉しておるのでありますが、その隣の判事室にいた裁判官が電話で、こういう情勢ならばただちに警察官を出動さす方がよいのではないかということを、交渉中の裁判官に電話をかけますと、その電話を聞いたためか、押しかけていた朝鮮人が全部退去した、こういうのであります。ところがその後、一方法廷内には約150~160人の朝鮮人が入廷しておりまして、被疑者が看守に伴われて入廷すると騒然となつて、手錠をはずせとか、即時釈放しろとか、やはり同じようなことを言つて拍手、声援を送る。廷吏がこれをしきりに制止したけれども、それを聞き入れようともしない。こういう状況のままで進行するならば、法廷占拠というようなことが起るおそれがあるというふうに考えられたので、裁判所はさらに1小隊の警察官の増遣方を求めて、そうしてその裁判官がその増援がただちにあるということを聞いて法廷に入つたのであります。

それが開廷前の法廷外の状況でありまするが、裁判官が入廷しましてからの内部の状況を申しますると、裁判官が入るまでは、ただいま申しました手錠をはずせとか、即時釈放しろとか、あるいは万歳とかなんとか拍手をする、声援をするというようなことでかなり騒然としておつたのでありますが、裁判官が入廷するや急に静粛になつて、そこで勾留理由開示審理が開かれたのであります。その間多少の騒ぎというようなことも聞えたのでありまするが、格別に審理を進行できないような様子も見えない。このままならば、あるいは平穏裡に経過するのではないか、こういうふうにまず一般に考えられたのであります。しかし法廷外では法廷に入り切れない傍聴人が各出入口に蝟集しておるという状況であります。

そこへ第2回目に要求した警察官1小隊がやつて参りまして、警察官の数は約70数名になつたのでありますが、これらの警察官をあまり廊下やまた法廷の直近に置くということは、かえつて彼らを刺激するのではないかということもおもんぱかつて、それぞれ判事室あるいは書記官室に待機させて置いたのであります。そうして法廷が開かれて、法廷内が平穏裡にやや閉廷直前といろ状況になりましたが、そのころに法廷外におる裁判官――われわれの方では閉廷直後に判事や検事の身辺の安否あるいは記録の保全ということが脅されはしないかということを考えたので、その際警察官を派遣すべきではないかという意見もあつたのでありますが、せつかく法廷が平静裡に穏やかに進行しておるのに、外部からそういう刺激を与えて、かえつて混乱に導き、不祥事を起すというようなことがあつてはならないという考えもあつて、警察官はそのまま各部屋に待機せしめて、裁判所の職員約20名がそれぞれ急を告げる連絡係として待機したのであります。

ところで、ただいま申しますように、すでに意見の陳述も終了して閉廷になりますると、非常な混乱に陥つたのでありますから、ただちに警察官に出動を求あると同時に、裁判官も退廷しようとしたのでありましようが、できませんし、そこで警察官がただちに出動したけれども、ときすでにおそくて、冒頭申しましたように、彼らは多数の同志に擁ぜられて法廷外に逸走し去つた、こういう事情なのであります。ただその間に裁判官は自分の身辺の不安を感じつつも、記録も持ち出さなければならぬというので、記録をただちに廷吏に渡すと、廷吏が朝鮮人たちの非常な妨害を排除しつつ窓から飛び出して、その記録はリレー式に送つて無事に持ち出すことができた、こういう状況であつたわけであります。それが退廷前後の法廷外の状況であります。

次に法廷内の事情を申しますると、裁判官は法廷に入ろうとすると、その周囲に10数名の男女の朝鮮人がおるので、裁判所の他の職員に対して出入り口に数名の警察官を配置しておくようにというようなことを命じておいて法廷に入つたのであります。入つてみると、ただいま申し上げますように、入るまでかなり騒然としていた法廷が急に静かになつて、それで型のごとく人定尋問、勾留理由開示、さらに被疑者及び弁護人の意見の陳述を終つて、その間、ときに拍手あるいは声援があり、あるいはまた傍聴の朝鮮人が被疑者にコップで水を飲まそうとするようなこともあつたが、その都度裁判官がそれを制止し、それを拒むと、すなおにそれに従つて、予期したよりも平静な状態であつて、裁判官に対して侮辱的あるいは攻撃的な発言態度というものは少しも見えなかつた。それで裁判官も、このままで行けるならば、思つたよりもより以上に平静に閉廷、終了ができるということで、陳述を終るとすぐに閉廷を宣して、みずから退廷しようとしたのでありますが、ただいま申し上げますように、すでにそのときには、閉廷を宣すると同時に、200人の廷内の傍聴人は被疑者の周囲に殺到して、渦を巻くように喧々囂々騒ぎ立てて、またたく間に被疑者を抱えて、頭から送るような調子で抱え出した。そうして廷外にいた朝鮮人もこれに応援して、ただちに裁判所の西裏門から逃走したというような状況であります。

裁判官が閉廷を宣して、ようやく被疑者が法廷の出口から4人ともほぼ姿を隠して、外へ出て行つたと思うころに、裁判官の身辺にいた朝鮮人が、引揚げろ、こう絶叫したので、傍聴人もがやがやと引揚げて行つたというのであります。なおその際に、法廷内から外部に向つてか、あるいは法廷内の傍聴人に対してであつたか、あれを投げるな、びんを投げるな、こういうことをしきりにどなつておつたのでありますが、これはおそらくこの被疑事実と同様に、あるいは火炎びんというようなものを用意していて、もし被疑者の脱走が思うように行かないならば、火炎びん、あるいはその他の武器を法廷内に投げ込んで、その混乱に乗じて奪還するというような計画があつたのではないかと考えられるのであります。

5月13日における匂留理由開示の法廷の内外、前後の模様は、ただいま申し上げた通りであります。



[007]
説明員(最高裁判所事務総局刑事局長) 岸盛一
ただいま大阪、広島両地方裁判所長から、広島と堺市において起きましたこのたびの事件について、詳細御説明がありましたが、私から、やはり最近における同種類の事件の2つ、3つを御説明いたしたいと思います。

(中略)

もう1つ4月の14日に、静岡の地方裁判所で勾留理由の開示期日に起きた事件を説明いたします。

その当日、午前10時30分開廷に際して、警備員が6、7名廷吏が2名法廷に入つておりました。まず裁判官が入廷して、傍聴人、被疑者の順で入廷の順序をとつたところ、傍聴人は、傍聴券所持者の間に券を持つていない者を巧みにはさみ込んで、大勢の人の勢を利用して、入口から押込みの方法で入つた。法廷のうち側で傍聴券整理の任にあたる警備員が、これを制止いたしましたが、すでに入廷した全傍聴人が、総立ちとなつて警備員を罵倒して、その制止を妨害する挙に出で、その制止を押し切つて強引に数名が不正に入廷しましたので、警備員をさらに増加配置いたしましたが、入廷の傍聴人は完全なかたまりとなつて、4、5名の指導者に統率され、法廷外から腕力を振つて押し込んで来る、傍聴券を持つていない者を阻止している警備員の背後に立ちまわつてえり首をつかまえ、また不正侵入者を引入れる等の挙に出で、傍聴席にもぐり込んでしまい、警備員が不正入廷者の退廷を求めますと、傍聴人は口々に、公開の法廷だ、何が傍聴券だ、だれが来てもよい、などとどなり散らし、警備員の措置を罵倒妨害し、またいち早くその隣の者が、袖の下から自己の傍聴券を、券を持つていない者に渡し、不正入廷者は傍聴券があればいいだろう、とこれを提示をするといつたぐあいで、傍聴人の入廷に約1時間近い時間を要し、混乱を生じたのであります。裁判官はその際再々にわたつて不正に入廷する者の退廷を命じましたが、そのような状況のもとでは、傍聴券を所持する者と所持しない者との判別が困難となり、その命令執行は不能の状況でありました。

最後になりまして、定員60名以上が入廷している場合は閉廷し、全員退廷させる、その上にあらためて傍聴券所持者の入廷を許すという命令を出した。その人員を調査しましたところ、約15名の不正入廷者があつたのであります。その調査に際しても、いろいろそれを妨害する行為があつたそうであります。そこで全員退廷の命令を出しましたが、傍聴人は口々に先ほど申しましたような暴言を吐き、かたまりになつて退廷に応じない気勢を示し、法廷内は騒然となりましたので、裁判官は廷吏、刑務官12名、それから警備員15人と、この多数の傍聴者、つまり朝鮮人の傍聴者ですが、この75名との力の均衡を考えて、実力行使に出た場合には一層の混乱に陥ることを考慮して、そのまま開廷いたしました。

勾留理由の開示及び被疑者、請求者の意見陳述は比較的平穏に行われましたが、被疑者、請求者の意見陳述は各10分間の制限に、再三の制止にかかわらず従わなかつたので、やむなく意見中途の0時15分に閉廷を宣し、被疑者傍聴人の退廷を命じましたところ、被疑者、請求者、傍聴人は一丸となつて口々に続行を求め、総立ちとなつて閉廷が不当であると怒号罵倒して、数名の傍聴人は木柵を乗り越えて被疑者の席になだれ込み、被疑者の退廷を執行しようとする刑務官を突き倒し、刑務官を床の上に転倒させる等の行為に出て、傍聴人が被疑者を取囲んで混乱に立ち至つたので裁判官は待機警官40名、警備員30名を訟廷課長指揮のもとに入廷させて被疑者を救い出し、傍聴人の強制退廷をさせる等の処置をとりましたが、法廷の構造等の関係から警察官、警備員の活動は行動の自由を十分発揮されずに裁判官席、被疑者席になだれ込み、傍聴人とこれを阻止せんとする警察官及び警備員が正面から対立して、この退廷命令の執行に際し警備員の森下雇ほか数名は傍聴人によつて殴打され、またはけられ、あるいは突き飛ばされ、倒され、また洋服をつかまれて引ずられる等の暴行を受け、警備警察官が警棒一本を奪われたほか、腕時計を壊される者や腕に傷を受けた者等も出たということであります。この混乱は口や筆には尽すことができないということであります。この混乱は約15分くらいで済みまして、漸次法廷は静かになり、最初の命令通りようやく傍聴人を退廷させて閉廷することができたということであります。かような次第でありまして…。