第一大邦丸事件

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昭和28年02月13日 衆議院 水産委員会
[053]
無所属 大橋忠一
本日の朝日新聞に、佐世保海上保安部が得た情報によりますと、第一大邦丸という船が韓国船に拿捕されまして、その漁労長である瀬戸重次郎という人が銃殺をされた、しかも日本漁船員収容所内において銃殺をされたというニユースが載つておるのでありますが、政府はこれに関してどういう情報を持つておられますか、またこれに対していかなる措置をとろうとしておられるのでありますか、この点をお伺いいたします。

[054]
説明員(外務事務官(アジア局第二課長)) 廣田しげる
お答えいたします。今外務省の方で持つておりまする情報では、詳細つまびらかでございませんが、持ちまする限りでお答えいたしますと、日本遠洋底びき漁業協会からの報告によりますと、事件の起りました2月4日、第二大邦丸から当時電報が入つておりますが、電報でこういうことを言つております。「4日8時6分、位置、白浜沖にて朝鮮手繰に横づけされた。船は約50トンくらいの木船。挙銃5発受けたが被害なし。」云々と、それからまた続いて8時30分に「今曳航されている。自動小銃で撃たれる。被害なし。」こう言つております。この電報が、つかまつた当時に入つております。

そうしてこれに2隻1組になつておりますが、第一大邦丸の方からは、無電はあるのですが、つかまつた当時は何も電報がないので、もしこの被害事件があつたとすれば第一大邦丸の方ではないかと思うのでございますが、これに関しまして、佐世保の国連軍の、これは名前はわかつていませんが、某陸軍大佐の談として海上保安庁から私の方に連絡がありましたところによりますと、拿捕された際に日本側乗員1名が射殺されたようである、こう言つております。それからアメリカ大使館の方にも情報が入つておりまして伺いましたが、大体同様な情報で、追跡中に射撃されたようだということで、まだ詳細わかつておりません。

現在わかつておりますのは、第二大邦丸の方が被害なしという電報が入つておりますので、もしあつたとすれば第一大邦丸の方だと思います。

それから新聞に出ておりますように、収容所内ということでなくて、拿捕された際ではないかと思つておりますが、いずれにいたしましても詳細わかりませんので、今各方面に照会しております。

今後の処置でございますが、韓国側にはもちろん拿捕されたことに対して抗議を申し込むと同時に、本件についてこういう情報を得ているのだが、事の性質にかんがみて重大な関心を持つているから、厳重に調べてこちらに知らして来いということを言つております。それからアメリカ大使館を通じまして、アメリカ側に対しても、本件の詳細調査方を依頼しております。なお船の釈放その他についても、前回同様にあつせんを依頼しております。





昭和28年02月13日 衆議院 法務委員会
[053]
委員長 田嶋好文
外務省のアジア局第二課長廣田説明員がただいま出席されましたので、廣田説明員に日本漁夫射殺事件に関する外務省としての今までの取扱いについて説明を求めることにいたします。

本日の新聞によりますと、韓国官憲のために、拿捕された漁船に乗つておつた日本の漁夫が射殺されたということが報道されております。

新聞の記事によると、外務省が何らかの処置をとつたというような報道がありますが、この点について今日まで外務省がとり得た処置並びに今後これに対していかような処置をとるべく、外務省は今日対策を練つているか、それを事務当局として説明願える範囲で詳しく御説明願いたいと思います。

[054]
説明員(外務事務官(アジア局第二課長)) 廣田しげる
今委員長から御指摘になりました新聞報道がけさほどございましたので、私けさアメリカ大使館の方に行きまして、これの真偽を確かめましたところ、氏名等まだ大使館側にもつまびらかな情報が入つておりませんが、大使館の得た情報によりましても、日本人の漁夫が1名射殺されたという情報が入つているそうでございます。なお詳細調査方大使館の方に依頼しておきました。但しこの新聞にございます、漁船員の収容所内で射殺されたのではなくて、拿捕の際に、あやまつてか何か知りませんが、射殺されたように大使館には来ておりました。

そこで事件の起りましたのは2月4日の8時6分。大邦漁業株式会社に属します第一大邦丸が拿捕されたのでございますが、第二大邦丸からの拿捕されますときの電報に、これは8時6分に出ております電報でございますが、「1、白浜沖にて朝鮮手繰りに横づけされた、船は50トンくらいの木船、拳銃5発受けたが被害なし」となつております。それから少したちまして第2電が入りました。これはおそらく根拠地から打つた電報だと思いますが、「今曳航されている、自動小銃で撃たれる、被害なし」となつております。

第二大邦丸の方から拿捕されましたときにこういう電報が入つておりますので、拿捕される際にもしそういう事件が起つたとすれば、第二大邦丸の方ではなくて、第一大邦丸の方であろうと思います。と申しますのは、第一大邦丸の方も無電は持つておりますけれども、拿捕当時の第一大邦丸は何ら発電しておりません。従つてどういう事件がそこで起きましたか、今のところ詳細になつておりません。いずれにいたしましても、アメリカ側の方には事情調査方を依頼して、向うで引受けてくれております。

なお韓国側に対してでございますが、御承知の通り韓国側はいわゆる李承晩ラインというものを引きまして、その中に入つて来る日本の漁船を拿捕するという不法行為をあえてしているわけでございますが、これに対しましては外務省からその都度抗議をしております。

本件につきましても、この2隻の漁船の拿捕について抗議しますと同時に、情報によればそういう射殺事件が起きたようだが、本件は人命に関することだし、政府としても重大関心を持つているので、厳重に調べて回答してくれ、そして損害賠償その他の点を留保しておく、こういう趣旨の抗議文を起案して、韓国代表部を通じまして韓国政府の方にもうすでに発送するばかりになつてございますが、そういう措置をとろうとしております。





昭和28年02月16日 参議院 水産委員会
[072]
無所属 木下辰雄
お伺いいたしますが、数日前に済州島沖で日本の漁船乗組員を射殺したというような記事がありましたが、その真相について水産庁より御説明を願いたいと思います。

[073]
説明員(水産庁次長) 岡井正男
只今木下委員からの緊急質問にお答え申上げます。御質問は第一、第二大邦丸拿捕事件並びに乗組員の射殺事件に関する事項であろうと思われます。只今まで水産庁が入手いたしておりまする経過をこの際一応申上げてみたいと思います。

去る2月の4日8時19分福岡大邦漁業所有第一、第二大邦丸が済州島の北西岸シラハマ沖で韓国底曳船に拿捕されまして、連行されたという連絡が水産庁の福岡漁業調整事務所及び海上保安庁からそれぞれ同一の連絡がありました。越えて2月9日に、海上保安庁佐世保保安部長が韓国武官より聞いた情報が保安庁より水産庁へ連絡がありましたが、その内容は次のようなものでありました。

第一、第二大邦丸が済州島済州で抑留されている。拿捕した韓国船は第一昌運丸という底曳船で、これには憲兵、警官が乗組んでいた。この事件は海軍と関係なく、内務部の所管である。第一、第二大邦丸乗組員中1名が射殺された模様であるというような連絡があつたのであります。

更に2月12日に至りまして、佐世保安保部長がアメリカの防衛艦隊司令官J・グリツヂ少将から得た情報が海上保安庁から連絡がありました。それは次のようなものであります。

防衛海域に日本漁船が立入ることは遺憾であり、今後かかるようなことがあつては生命の保障はできません。第一大邦丸乗組員であつた瀬戸重次郎は射殺された。というようなことでありました。

更に2月16日に福岡漁業調整事務所からの電報によりますると、瀬戸重次郎は拿捕を受けた際に銃撃せられて負傷した、その後済州島で死亡した。第一、第二大邦丸は2月15日13時済州港を釈放され、アメリカの軍艦の護衛を受けて帰途についた。瀬戸重次郎君の遺骨は持帰つている。

更に2月16日11時20分、福岡漁業調整事務所からの電話連絡によりますると、第一、第二大邦丸は16日の10時佐世保に入港した。死亡者の瀬戸重次郎君は、従船、従船といいますと、親船に従う。いわゆるサブ船のことでございまするが、従船第一大邦丸の責任者で、而も全体の副漁労長である。水産庁といたしましては、第一、第二大邦丸乗組責任者から事情を聴取の上、関係省と打合せ、措置するつもりでおります。

以上が大体今まで水産庁で入手いたしました経過でございます。





昭和28年02月17日 衆議院 水産委員会
[030]
無所属 大橋忠一
昨日、済州島沖において、第一大邦丸の漁労長瀬戸軍次郎氏が射殺をされた件に関しまして、政府に緊急質問をすべきやいなやということについて小委員会を開いたのでありますが、まだ真相をつかみ得るような情報が当時入つておらなかつたのでありますから、結論に達することなくして散会をしたような次第であります。

本日はすでに第一大邦丸も港に着きまして関係当局においては直接当事者について御調査になつたことと思いますから、まずその真相について当局者並びに現地の責任者池端部長から、当委員会に御報告を願いたいと思います。

[031]
委員長代理 田口長治郎
本日の委員会に出席されておりますのは外務省アジア局第二課長廣田説明員、海上保安庁次長山口一政府委員、同じく公安課長高見説明員、第八管区本部長池端説明員であります。

[032]
政府委員(海上保安庁長官) 山口傳
ただいま第一、第二大邦丸の拿捕事件の真相について御質問がございましたが、実は昨夜海上保安庁の本庁の方へ、現地の佐世保海上保安部から電話である程度の情報が入つておりますので、まずそれを御報告申し上げます。これは実は書類にして差上げようと思いましたが、時間の余裕がないので、いずれ後刻印刷にして提出いたしたいと思つております。

第一、第二大邦丸は、米国の軍艦に護衛されまして、昨日の午後3時20分佐世保におけるアメリカ海軍のベースに到着いたしました。しかしいまだこれを佐世保の海上保安部の方へ引渡すけはいがなくて、同日2時半に同地のアメリカ側の司令部から次のような連絡があつたわけであります。18日、すなわちあすでありますが、あすの午後4時リツチモンド、これはあそこの防衛部隊の旗艦でありまして、そのリツチモンド号においてオールソン少将、この方はあそこの司令官であるらしいのです。オールルソン少将から、佐世保の海上保安部長と、それから第一、第二大邦丸の船主である大邦水産の大野社長の来艦を待つという連絡がございました。従つていまだ船並びに船員の引渡しを受けておらないのであります。次に、これは向うと交渉いたしまして、第二大邦丸の通信士である切手律君に会わしてもらいまして、この方からいろいろと聴取いたしたわけであります。すなわち拿捕当時の模様及び拿捕後の措置であります。これは電話連絡で十分わかつておりませんが、大体電話の要旨をそのまま申し上げます。

当時第一、第二大邦丸は273と、283区の中間で操業中、去る4日午前8時ごろ、韓国の手繰り船第一、第二昌運号、これは約50トンくらいの船で、速力が9ノツトないし10ノツト、船橋に韓国旗を掲げておりました。これが北東方面より近づいて、魚はとれるか、という声をかけられました。数日前に同様のことが他の漁船にもあつた情報を大邦丸は承知しておりましたので、何ら心配もせずにそれに受答えをしておつたのでありましたが、8時5分また近づいて参りまして、銃撃を受けた、その際、国防色戦闘服を着た兵隊らしい人が自動小銃と思われるものを持つておつて、約40発ぐらい発射して来た。第一大邦丸に20発・第二大邦丸に5ないし6発玉を受けた。8時10分第一大邦丸の漁労長である瀬戸重次郎氏が右後頭部に盲貫銃創を受け、その後船は済州島の翰林という方に引つぱられて行つたわけでありますが、11時にその翰林港に入港し、ただちに病院に入れて診断は受けたようであります。お互いにその責任を転嫁して要領を得ない。それで同人は、その日の午後11時遂に死亡されたようであります。それで責任の所在を確かめるために解剖を願つたところ、頭の中からカービン銃弾が出て来た。

7日の日に死体は翰林郊外で火葬に付した。その間におきまして魚は1650箱没収された、魚の種類はかながしら、かれいというようなものであつたそうであります。乗組員は軟禁状態で、憲兵あるいは特務機関等の尋問を受けました。その尋問の要旨は、これは答えは知らして参つておりませんが、まず第1に領海に入り魚を盗むとはけしからぬ。次に共産党員ではないか。思想は何か。操業の位置はどこだ。その他住所、生活状態、財産状態、拿捕当時の感想、これらのことを尋問を受けたようであります。

それから越えて2月の10日から15日まで済州島の警察に留置された。食糧はあら麦3合、副食はほんだわらの塩づけを給せられた、その間に無線機械あるいは測量機械の部分品等がかなり盗難にあつたということであります。

なお尋問中に第一昌運号の供述調書をぬすみ見たところ、60メートルに接近、停船を命じたが、停船せぬので発砲と記載しておるようであつた。これは本人の言うことでありますが、但し本船はさような信号を受けていないと申しております。

それから警察の倉庫番、これは従前に林兼に勤務したことがあるもののようでありますが、その人の話によりますと、前日すなわち2月の3日の日に、この拿捕しました昌運丸が、20時――午後の8時でありますが、翰林港に入港して密告をした由であります。

それから内地返還のために米軍に引渡されたときに、韓国の水上警察あるいは査察課長は漁労長の死に同情し、かつ早く漁業協定を結ぶべく努力するつもりだから、帰国したら妄動をせぬように希望をした由であります。それから帰国にあたりましては、食糧を要求いたしましたが、これは聞き届けられず、物々交換でメリケン粉などを入手した。乗組員は全部元気である。なお、これから先は余分なことでございますが、ちよつと速記を……。



[037]
無所属 大橋忠一
本件はきわめて重大なことでありまして、さらにアメリカ側から船の引渡しを受けた上で徹底的に調査して、適当な措置を講ずる必要があると思うのでありますが、当局においては、何がゆえにアメリカ側がすでに日本の港に着いた船をわが方に引渡さないのでありますか。その理由についてお伺いしたいと思います。

それからいま一つは、本日の新聞によりますと、外務当局においては、こういう事件が起るのは、韓国側が何とか早く日本と会談を始めたいと思つても、日本の方で始めぬから、いら立つてこういうことをやつた。そこで政府の方ではひとつ急速に会談の準備を始める、こういう意向であるというような記事が載つておつたのであります。

ところが向うが会談を始めたいがゆえに、かくのごとき暴行を演じた、そしてこの圧迫によつて会談を始めるというようなかつこうになつては、これはますます向うを強がらせまして、とうていその会談というものは成功するものでないと思うのであります。従いましてわれわれとしては、当然強硬な態度をもつてこの問題を徹底的に解決しない以上は会談は始めない。

さらに一方において、何らかこれに対する報復手段、たとえて言えば、朝鮮でとれた魚を買わないとか、あるいは向うに必要な物資を供給しないというような報復手段を一方において講ずる、そうして本件の徹底的解決を遂げる、遂げない場合は会談を始めないというくらいの徹底的な態度をとらないことには――向うの圧迫下にやむなく会談をするというような形をとつては、会談を始めたつて絶対にまとまるものではないと私は思うのでありますが、これに対する外務当局の所見はどんなものでありましようか、御質問いたします。

それからちよつと前後いたしましたが、停船をしなかつたがゆえに銃撃をしたと向うは言つている。今までも多数の船が拿捕されたのでありますが、その際、向うはやはり停船を命じて、停船命令を聞かなかつた際には銃撃を加えたという実例があるのでありましようか。あるいは銃撃を加えたことは今回が初めてであるのでありましようか、その点も保安庁当局にお尋ねいたします。

[038]
政府委員(海上保安庁長官) 山口傳
まず最初に、佐世保で米当局が釈放しない、引渡しを遅らしている理由でありますが、これはよくわかりませんが、先ほど申し上げましたように、あすの4時までに社長に出て来てくれということを言つておりますので、その上でその処置がとられるのではないかと想像するのでありまして、特段の理由というものは、ちよつとわかりかねます。

次に、今まで銃撃を受けたことがあるかということでございますが、これは遺憾ながら相当頻繁に行われております。そういう事実は、東支那海におきましてもありますし、それから朝鮮海峡の韓国側にもございます。その例は従前にもございまして、今回が初めてということではございません。

[039]
説明員(外務事務官(アジア局第二課長)) 廣田しげる
ただいま御質問ございましたけさの新聞の点でございまするが、私が承知しております限りにおいては、そういうことを外務省側で言つたこともないし、新聞の方でそういう臆測記事を書いたのではないかと思います。

なお韓国側に対しましては、すでに情報として、わが方の乗組員が1名射殺されたという情報が入りましたので、詳しいことはわかりませんでしたが、さつそく拿捕に対しまして抗議いたしますとともに、そういう情報があるが、これが事実とすれば、外務省としては深甚の考慮を払うことを余儀なくされますので、本件事件の有無について厳密に調査せられ、その結果釈放せられるよう要請することを申し入れておりますが、ただいま日本の船の方も帰つて参りまして、だんだん真相がはつきりして参りましたので、なおこの上とも厳重に申し入れるつもりでございます。

なお、今後政府のとるべき処置につきましては、至急に関係方面とも相談して、研究中でございます。





昭和28年02月21日 衆議院 外務委員会
[002]
外務大臣 岡崎勝男
去る2月4日に済州島の西方距岸約20マイルの海域で、本邦の漁船の第一大邦丸及び第二大邦丸が韓国側の漁船らしきもの2隻から銃撃を受けまして、その後拿捕され、しかもその際第一大邦丸の乗組員1名が頭部に盲貫銃創を受けて死亡した事件が発生いたしました。その後第一、第二大邦丸は済州島に抑留されておりましたが、2月の16日に釈放され、同日米国軍艦の護送のもとに、佐世保に帰港して、2月の18日在日国連軍防衛艦隊当局から佐世保アメリカ海軍司令官を通じて、船体と乗組員と双方ともわが方に引渡されたのであります。

両船の帰港によつて発生事件の経過がようやく明らかとなりまして、その状況は国連軍海軍とはまつたく関係のない韓国船によつて公海上で加えられた行為である。また乗組員の被害者は拿捕の際受けた銃撃によつて死亡したものである。この2点が確認されたのであります。本件につきましては、まだ報告がはつきりいたしません2月13日でありますが、韓国の東京の代表部に対しまして、口上書をもつて外務省から抗議をいたすとともに、拿捕船及び乗組員の即時返還方を要求するとともに、特に今申しました第一大邦丸の乗組員の射殺が事実であるとすれば、わが方でもこれは深甚な考慮を払わざるを得ないのであるから、その事情の有無を至急調査して回答するように要求をいたしました。

なおこれととも、在京の米国大使館に対しまして、同じく13日付の口上書をもつてこの事件を通報するとともに、国連軍がかかる事件の再発を防止するために取締りを厳重にし、かつ韓国政府に対して、本件漁船と乗組員をすみやかに釈放帰還せしむるようにあつせんを希望することを申し出てそのあつせんを依頼しました。なお乗組員射殺の点についても、現地当局について調査の上回答方を依頼いたしたのであります。これに基いていずれも調査等を進めておつたと思われるのでありますが、今回漁船が帰りまして、その事情が明らかとなりましたので、韓国代表部に対して、さらに18日付の書簡をもつて重ねて抗議をいたしました。かつ責任者の処罰とか事件の再発防止とかいうような措置をとり――これは常にこういう事件が起つたときの措置でありますが、こういう一連の措置をとることを要求いたしました。なおこの際かかる事件が頻発することは、日韓両国の親善関係を樹立しようとする努力に対して、いい影響を与えないのであるということが懸念される旨を述べて、韓国側の注意を喚起しておきました。

私としては、本件がもちろん故意で行われたものでなくして――本件というのは射殺事件でありますが、間違いで起つたことと期待しておるのであります。従つてわれわれとしては、日韓両国間の従来の特殊の関係、ことに独立後の韓国との友好関係の樹立の必要を強く感じておりまする現在、また李承晩大統領が先般来日された場合の声明等もありますので、もしこの事件が解決されて、今後かかる問題が再発しないということが信じられるような状況であるならば、本事件を、将来長きにわたつて日韓友好関係樹立の阻害となるようなことにさせないという決心で努力をいたすつもりでおります。





昭和28年02月21日 衆議院 本会議
[028]
無所属 大橋忠一
去る2月4日、韓国側によるわが第一大邦丸の漁労長瀬戸重次郎氏を射殺いたしましたる事件は、その影響するところまことに重大でありまして、もしもこれを放置しておきますならば、韓国周辺のあの豊富なる漁場は、韓国のために奪取せられるおそれがあるのであります。従いまして、これは、ただ単に一人の日本人の漁夫が殺されたというような小さな問題ではないのであります。詳しいことは時間がないから説明いたしません。

外務省は、これに対して、韓国側と交渉を開始するということを言つておりますが、私の考えでは、こういう相手に対して口先でもつて交渉したところが、とうていらちの明くものじやないと思つておるのであります。

そこで、私は当局に向つて、この際断固として経済的の報復を加えよということを要求しているのであります。

年々韓国から日本に持つて来る水産物は、大体10億円内外になつているといわれておるのであります。その中には、日本の漁船から取上げましたところの魚も入りておる。日本から拿捕いたしました船で漁獲をした魚も入つておる。一体、そういうようなものを日本が買うということは、元来おかしいのであります。

従いまして、当然もう少し早くこういうことをやらなくちやならぬのに、一向やつておらない。そのわけを聞いてみますと、通産省においてこれに反対しているというのであります。どういうわけで通産省が反対しているのか、通産大臣にひとつお伺いしたいのであります。

問題の李承晩ラインなんというものを、もし日本人が認めて、そこに出漁をしないということになつたならば、おそらく他の国々も、第2、第3の李承晩ラインというものをつくつて、日本の公海漁業というものは滅亡に瀕するおそれがある。これは重大問題である。この重大問題を解決する手段として、日本の船から取上げたような魚の入つているものを韓国から輸入するのを禁止することがなぜ悪い。それを通産大臣にお尋ねしたいのであります。

なお、韓国の魂胆は、この漁場を日本から取上げようというのである。年々約70億円からの漁獲物を、日本の漁船だけでもとつておる。阪神方面の5割くらいの魚はここから来るという豊富な漁場、これを日本から奪取しようとしておる。こういう大きな問題を解決するために、なぜ韓国に対する経済的の報復ができないのか、その点をひとつお伺いしたいと私は思うのであります。

今回日本の船を拿捕いたしましたる韓国の第二昌運丸という船は、もともと福岡県の船であつて、日本の船である。それを日本から取上げまして、今度はそれを拿捕用に向うで使用しているのである。かくのごとき暴挙にわれわれが屈従して、あつけらかんと見ておるということになれば、愛国心の高揚も、独立国の誇りもあつたものではないのであります。(拍手)

従つて、彼らは、この次には対馬をよこせと出るに相違いないと思う。われわれも、もういいくらかげんで敗戦の昏睡からさめて、腹帯を締め直して立ち上らなくちやならぬと思うのであります。

韓国の公海に対するかくのごとき行動は、明白に海賊行為であります。この海賊行為に対して、日本の官憲は一つも保護を与えておらない。

私は海上保安庁の主局に質問いたしますが、何のために監視船を出しておるのか。よろしく、向うの手繰船くらいがやつて来たら、これを撃破して、わが漁船を保護するのがあたりまえである。もし現在の船だけで足らぬというのならば、それをもう少し増強したらどうか、この点をお尋ねしたいと思うのであります。また、わが保安庁は、最近アメリカからフリゲート艦を借りた。借りた以上は、ちつとこういうことで働かしたらどうかということを、私は保安庁長官にお尋ねしたいと思うのであります。

私は、再軍備という問題については、これはなかなかむずかしい問題で、まだ結論が出ておりません。しかしながら、わが漁船が、かくのごとくひんぴんとして、隣邦の韓国、中共や台湾政府からひどい目にあうのを見るとき、やはりある程度の自衛力というものはぜひ持たなくちやならぬというように考えるようになつたのであります。(拍手)

アメリカは、防衛水域というものを、昨年の9月から韓国の周辺に設けたのであります。この問題につきまして、水産委員会で外務当局に質問いたしましたところが、防衛水域はできても、向うの指示に従つてさえおれば、決して操業にさしつかえないという説明であつたのであります。しかるに、最近現地のアメリカ海軍当局の言明によりますと、もう防衛水域内に入つてもらつちや困るということを言い出しておるのであります。大分外務省の説明と違つておるのであります。これについて、岡崎外務大臣はどうお考えでございますか。ただちにアメリカ側に折衝されて、向うの言い分をただして、やはり防衛水域の中でも操業のできるようにする必要があると思うのであります。

それから、最近新聞の報道によりますと、第一、第二の大邦丸が佐世保に護送されました後に、2日の間アメリカ軍艦のわきに横づけされて抑留をされておつた。そして、なかなかその船員が帰つて来ないので、われわれ困つたのでありますが、一体、日本を基地とするところのアメリカの軍艦が、日本の船を2日間もとめ置くということが、はたして法律上できるものでありますかどうか。国連軍をおそらく兼ねておるだろうと思いますが、国連軍がはたして日本の船をそういうように抑留することができるものでありましようか。この点を岡崎外務大臣に私は質問するのであります。

私は、かつて満州国におつた者でありますが、関東軍が、いろいろな、かつてな行動をやつた。それをわれわれが黙つて見ているうちに、満州国は遂に第二の朝鮮となつてしまつたのであります。従いまして、この日本の独立というものは、よほど神経質になつて擁護しないと、日本もそのうちに、知らぬ間に第二の朝鮮のようになつてしまうおそれがあるのであります。従いまして、こういう点は、外務省においてもよくよくお取調べになつて、そうして向うが悪かつたならば、断固として抗議せられんければいかぬと思うのでありますが、この点をどういうふうにお考えでありますか。

今や、九州から中国方面の漁民は、朝鮮近海の豊漁場におけるこの韓国側の暴行に対して非常に憤慨しておる。憤慨はしておるけれども、何ともできぬというので、それを押えておるのであります。しかし、もしわれわれがこれをほうつておいて、こういうような事件が繰返されますると、遂にその怒りというものが、もし日本における朝鮮人に向つて加えられるようなことになつたならば、この大事な日本と韓国の関係はどうなるでありましよう。私は憂慮にたえないのであります。

そこで、外務当局に私は希望を述べて質問を終りたいと思うのであります。本件は、むろん韓国がやつたことでありまするが、その背後にあるところのアメリカが大切であります、このアメリカに向つて、この際強く交渉をせぬことには解決しない。占領時代のような、へつぴり腰の通訳的な態度を続けておつては、アメリカさんとしても、たよりなく思うに相違ないと思うのであります。私は、よろしく東亜問題は日本がリードする、アメリカをひつぱるくらいの気魂をもつて、ある意味においてわが生命線にかかるような重大問題、この抜本的の解決に努力されんことを希望して質問を終りたいと思います。(拍手)





昭和28年02月23日 参議院 水産・法務・外務連合委員会
[003]
証人(第一大邦丸船長) 浜行治
私は第一大邦丸の船長浜行であります。

私は昭和28年1月22日午前10時、僚船第二大邦丸と共に福岡を出航し、同日18時頃二神、大島海より農林漁区275区に進路を定め、同月24日午前2時、推測275、推測左下附近に到着操業を開始しました。

同附近で3日、更に推測283区西下附近で操業、2月4日推測284区西下附近で操業中午前7時本船の南西方より北上する漁船2隻あり、本船の西方約1マイル附近より順次進路を東に転じて、本船第一、第二大邦丸に接近して来ました。接近して来て日本語で「魚は獲れますか。」と話をした。そのまま行過ぎ、その附近で停止して操業状態にありました。当時船上には投網準備がしてあり船員のみしか見えませんでした。それで私たちはこれはこの附近で操業するもののみと思つて操業しておりましたが、丁度揚網時間が来たので第一、第二大邦丸を接近して第二大邦丸のワイヤロープをもらい、第一大邦丸は揚網作業にかかつたのであります。

この接近した船は約55トンくらいの木船で、一見日本の漁船と何ら変るところはありませんでしたが、南鮮のマークが操舵室の横に書いてありました。

そこで第一大邦丸が揚網中ワイヤロープ600メートル、綱約200メートル揚つたとき、右舷船尾距離30メートル附近より突然発砲して来ましたので、その綱を切断して直ちに遁走に移りました。当時この昌運丸船上には兵隊らしき服を着た者が5、6名自動小銃で狙撃いたしておりましたが、我々は一心に遁走しましたが、8時15分頃僚船第二大邦丸が拿捕されておりましたが、私たち第一大邦丸はそのまま逃走しておりましたが、操舵室附近に命中弾が余り烈しかつたので遁走を断念して停止しました。このときに昌運丸は本船に接近して来て「翰林に行け」と日本語で言いました。そのときに第二大邦丸は第二昌運丸に曳航されて翰林へそのあとは随航して行きました。

そのときに操舵室の中央に休憩中でありました瀬戸漁労長にこの旨を伝えましたが、瀬戸漁労長は何も返事をしなかつたので、不審に思つてよく調べてみると、右後頭部に弾丸が命中しておりましたので、早速船医を呼び手当をしました。

拿捕された時間は午前8時30分頃で、これより、昌運号に守られながら済州島の翰林面という所に随行しました。時間は午前11時30分頃で、入港後早速憲兵に負傷者のある旨を伝え、病院の手配を依頼し、収容されましたのが翰林面の高医院という普通の民間家でありました。病室は勿論設備も全くなく、医師は診ただけでこれは駄目だと言つて何の手当もしてもらえなかつたので、我々船員は警察へ行つてこのことを言つて、軍病院かどこかに入院させることを依頼したのでありますが、警察は、我々は軍の命令によつて行動したのであつて、我々に責任はないと拒絶されたので、憲兵隊に行つてこのことを言つて、病院に収容することを依頼しましたが、そのとき憲兵隊長は盲貫銃創だからとても駄目だと言つて断られたのでありましたが、船員側から再三再四頼んだあげくやつと軍病院へ入院することが許可され、そのときに車は直ぐ来ますからというのでそのまま負傷者のところへ行き、軍病院へ行くまでの間でも死なないようにと思つて、医者にリンゲルを1本うつてくれることを要求しましたが、リンゲルは韓国では11万円ぐらいしますので、医者は躊躇しましたが、我々は私物を売ることを約束してやつとリンゲル1本うつてもらいましたが、待てども車は遂に来なく、4日の23時リンゲル1本をうつたのみで負傷者はそのまま死亡しました

そしてその翌日負傷者を解剖しましたが、その解剖は死因の究明でなく、命中した弾の摘発によつて軍の弾であるか、或いは警察の弾であるかということを判明さすためでした。これは私が解剖した医師より直接聞いたのであります。結局解剖の結果摘発されたのは憲兵隊の弾であることが判明しました。

そして翌日火葬いたしましたが、5日目より警察にいろいろ我々より頼んでみましたが、何の手配もされなかつたので、私たちは寝棺から荼毘に至るまで一切我々船員の手でいたしましたが、薪に至つては1把1万幾らもするので、私たちはそれを買う金も持つていなかつたので、私物を少々売つて少し薪を買いましたが、私物にも限度があり、火葬するだけの薪が集められなかつたので、足らない分は附近の松の枝などを折つて来て我々の手で火葬したのであります。場所は翰林より約2キロぐらい離れた野原で行いました。

そして漁獲物は一、二大邦丸共合せて1650箱約1万貫ぐらいありましたが、それは韓国の警察によつて没収されました。我々が入港当時、負傷者を病院に連れて行つた後、憲兵が武器の有無を理由に船内を調べましたときに、私物及び船備品の目ぼしい物はすべて持去られておりました。翰林に入港して7日より全員監禁状態にされ、場所は警察署の前の防空団詰所でありまして、広さは約4畳ぐらいの所に18人監禁されました。食糧に一切支給されず船内食糧を差入れておりました。取調べの内容は本籍、現住所、氏名、宗教、思想、出航より拿捕されるまでの操業状況及び拿捕位置こういうものがありまして、拿捕位置については我々は翰林に入港した行程及び針路を逆算し、又操業当時の水深底質等で推測北緯33度33分、東経125度55分でありましたが、当時昌運号船長の証言は翰林より9哩附近であると主張しましたが、私は昌運号のコンパスの時差及び速力などを鋭く指摘しますと、それでは君たちの位置と昌運号の位置の中間をとろうというので、翰林より約13哩附近を拿捕位置として捺印させられました。

10日20時頃突然済州に連れて行くというので、私たちは私物を警察に預けて、中型自動車に乗せられましたが、そのとき船内に残つておりました者が何も遺骨を持つて来なかつたので、私たちはせめて遺骨だけでも我々と共に行動したいと言いますと、警察署長はもう時間がないから駄目だと言つて断られましたので、我々は車に乗ることを強硬に反対しますと、それでは1人だけ残して残つたあとの者は船で明日済州へ回送するというので、やつと納得して10日に済州に送られました。済州では10日23時頃済州警察査察課第二係に渡されました。その日は食事を与えられずそのまま留置場に入れられました。留置場は約4畳ぐらいの間に便所があり、他の韓国人と一緒に入れられました。食事は粗麦を約1食1合くらい、1日2食で、おかずはほんだわらの塩もみでした。

済州での取調べの当時、我々に最初は李ラインをどうして侵犯したというので、私たちは李ラインは韓国が一方的にきめた法律であつて、何ら国際法上認められていないということを言いますと、次にそれではクラーク・ラインはどうして侵犯したかと言いますので、クラーク・ラインは設定された当時、業者側より陳情に来たときに、米国公使より作戦の妨害にならなければよいという説明がありましたので、私たちはそれを信用して入つた、こういうことを言いますと、韓国の領海は島と島とを結んだ線より外3哩は領海であると言い張りましたが、島と島とを結んだ線が領海であるということを言つておりました。そうして私を調べるに当りましては、最初に瀬戸漁労長はこういうことを言うたが、君の言うのは嘘だ。漁労長のとは全然違つているというようなことを言つて、係官はメモをして来たものを持つて来た。それは韓国字と日本字で書きましたので、調書にはどういうことを書いたか私たちにはわかりませんでしたが、あとでそれを読んで聞かせましたが、そのときに済州島の極く近距離まで接近したということが書いてありましたが、その場所は海図上においても実際に曳網される場所ではありません。海図を出して調べるときには丁字定規一つを持つて来て、たばこ及びマッチを以て測るような測り方をしておりました。

留置場に入れられて食糧は我々は全然口に入れられぬような有様であつたので、取調べの際に再三、再四私たちより外事主任に何とかしてくれるようにと頼みましたが、その後何とか考えましようというだけで、何ら待遇を改善されませんでした。

そうして突然2月15日午前7時頃外事主任より君たちは今日帰すというので、留置場から出されて、その日査察課に全員集り、中型ジープで水上署まで連れて行かれました。そのときに、査察課の課長が挨拶をしましたときに、死亡した人に対しては非常にすまない。今韓国は戦時下であるので、君たちに食糧をやりたくてもやれないのだからと、こういうことを言つておりまして、余り内地へ帰つても韓国のいわば官憲の悪口を言わないようにしてくれというような挨拶があつて、午後1時に船体の受渡があり、13日済州を出港して、16日17時半頃佐世保に入港しました。航行中は米国のフリゲート艦70号より護衛されながら佐世保まで入港して、19日佐世保を出港、20日午前7時福岡に入港しました。

大体私の証言はこのくらいです。



[005]
証人(第二大邦丸通信士) 切手律
私が第二大邦丸通信士切手律であります。只今第一大邦丸の船長より説明がありましたのでそれの抜けましたようなところをば入れましてこれを補足したいと思います。

拿捕されたときの状況は第一大邦丸、第二大邦丸が操業しているとき、私の乗つておりました第二大邦丸の左舷約5メートルから10メートルのところに来まして、魚は入るかということを聞きましたので、今船長が申上げた通りであります。そのとき私はブリツジの戸をあけて見たのでありますが、そのときは官憲らしいものは全然なく、網を使つて投網できる状態にしてありました。

次に8時5分頃より私は通信状態に入りまして、韓国手繰りに接近され襲撃を受け今遁走中という第一報を発しました。その後詳細に福岡漁業無線所に対して電報を出したのであります。

8時5分頃通過して行つたその第一昌運号は再び引返しまして、そのときワイヤ・ロープを第一大邦丸に渡して水深測定のため後走を開始しました第二大邦丸の左舷後方より突然発砲して来たのであります。そのときに停止命令は全然私ども2隻の船員全く聞いておらないわけであります。そのとき拳銃であつたように記憶いたしております。そのとき私らは何のために打たれたのかもわかりませんし、身の危険を感じて遁走を開始したのであります。遁走を開始いたしましたけれども相手は相当に速力が速く、私らの7マイルぐらいの速度に対して9マイルくらいの速度であり、又最初から距離が近かつたので約5分から10分にして拿捕されましたのであります。第一大邦丸に残している弾痕は約78発でありまして、私の第二大邦丸に命中しております弾痕はブリツジ1発、艫その他で約11発であります。

拿捕されました時間は第一大邦丸の船長は8時30分と申しておりましたが、私の時計ではそのとき8時20分。そうして約1時間曳航されてロープが切れ、そのためあとは独走して来たのでありますが、最初から曳航されている途中も第二大邦丸の後走しておりますので速度は大体同じくらいの速度であつたと記憶いたしております。

11時20分翰林に入港し、それより瀬戸漁労長の収容なんかありまして、そうしてその日の夕方より船員名簿の作成その他船長の留守を預りまして私が代理したのであります。そしてその夜狭い消防団詰所に収容されまして、そして大体9日頃までに調書の作成を終りまして、そして10日の夜済州邑に着き、そして済州邑でも同じく取調を受け、そして15日釈放され、まあ日本に帰国したのでありますが、その取調の内容につきましては、大体本籍、現住所その他大体今船長が申しました通りで、そのとき、翰林面におきましては僕らの主張する点を大体に認めてもらえたように思いましたけれども、済州邑に行つて警察局の外事係で取調を受けましたときに、私らは申し立てましたが、そのとき、向うが、あとで調書を作成したものを読み聞かしてくれた前のとは全然別個なものが来ておつたと感じました。それは位置その他につきましては特にそれがひどく、お前はこういうことを翰林では申し立てながら、どうして済州邑に来て、ここではこういう嘘を言うかというように強要され、今船長が相手の測定方法を申しましたが、船員が、大体済州島より30マイルぐらい、これはまあ最初操業しておつたときの状態でありますけれども、30マイルぐらい離れたところで操業しておつたと申述べるのに対し、相手の係官はその30マイルを、あそこの済州に漢羅山という高い山がございますが、あれの頭より、その方向を以て測りますためにその位置たるや、同じ30マイルでございましても、それの下のほうから、少し西のほうの海岸のほうから測りましたら、そこがたつた7、8マイルぐらいしか離れていないのであります、海岸線のほうから。そういう測り方をしまして、それでもどつちにしても、繰業していた位置が領海内に入らないために、第一、第二大邦丸が拿捕されたときの向うの証言が9マイルだとしましても、これは国際的な面で規定されております3マイルに入らないわけであります。それで今度は拿捕される前、操業しているときに、馬羅島の近所に1回、それから済洲島の真西にあります遮帰島沖というところがございます。それが約2マイル半くらいのところ、辛うじて領海に入つておる、そこへ入つて操業したことがあるということを船員の1人が洩した。お前からはどうしてそれを承認しないかという、そういう全く嘘をでつち上げて来て、私らがそれを反駁するにもかかわらず、遂にそれに強制的に捺印させられたようなわけであります。

それから待遇その他につきましては、浜行証人より大体申上げましたから、その程度にいたしまして、拿捕される当時乗つておりました向うの官憲は、警察、憲兵隊、特務隊、情報隊の4つの官庁の方でありました。警察が約6人から7人くらい、憲兵が2名、特務隊1名、情報隊1名、土地の顔役らしい人が2名ぐらい乗り込んでいました。これは翰林港入港以後判明したものであります。

そして私らが釈放されますときに、今浜行船長より話も出ましたが、米軍に対して第一、第二大邦丸の船体及び船員を受渡すというその調印が行われましたあとで、査察課長は、今浜行証人の申しました通りでありましたが、食糧の点につきましても、差上げたいのは山々であるが、まあ買つて帰つて欲しいというようなふうで、そのときは警察でお世話しましようというような状況でございました。それから参考事項としまして、済州島周辺で拿捕されました船が現在済州島に、水上署に保管されている点を少し申上げたいと思います。第二十八海鳳丸、これは米式網巾着漁船であります。それから松寿丸及びその附属の火船1隻、それから七福丸という以東底曳船が繋留されております。網は、カバーをかけてあるのはほんの一部分に過ぎず、全く使用されないような状態になつておりますし、併しながら、浸水、浸入して来る水だけは辛うじて引いておるようでありました。

大体これを以ちまして終りますからあとは質問によつてお聞き下さいませ。



[090]
無所属 千田正
外務大臣にお尋ねいたしますが、防衛水域内部におけるこのたびの不祥事件でありますが、これに対して拿捕に向つたところの韓国軍は、これは国連軍の命令によつて行われたものとお思いになつておりますか。それともこれは韓国独自の行動でこうした拿捕をやつておるというふうに外務大臣はお考えになつておりますか。

[091]
外務大臣 岡崎勝男
国連軍の命令ではないと信じております。

[092]
無所属 千田正
もう一つ伺いますが、先般これは外務大臣のお口から伺つたのではありませんが、新聞紙上に現われておるところによりますと、当方からの一応の申入れに対しまして、韓国の代表部の金代表の答弁によるというと、日本は我々が共産軍と対峙して戦つておるときに、後方において安易な生活を行いながら何ら協力しないじやないか、こういう言葉を表現しておりますが、これは現在の日本にとつては非常に重大な問題だと思うのでありますが、全然日本が国連軍と協力しておらないというふうに隣国の韓国の代表は考えておるようであつては、この問題はますます紛糾するほかないと思うのでありますが、この点につきましては、外務大臣は、どういうふうにお考えになつておられますか。

[093]
外務大臣 岡崎勝男
これは私も新聞紙上で見ただけで、外務省に申入れがあつたわけでもないですからして、正式のどういう申入れがあるか、こちらからは抗議を出しておるわけであります。その申入れを待つて判断したいと思うのです。新聞等によりましてこちらがそれで以ていろいろ批評を加えるということは、徒らに問題を紛糾することにとどまると思いますから、正式の申入れを待つて私は政府の態度を明らかにしたいと考えますが、新聞に出たところを見ますると、これは甚だ当を得ていないということは私も考えております。





昭和28年09月04日 衆議院 外務委員会
[097]
改進党 岡田勢一
簡単にお尋ねいたします。先般第一大邦丸の拿捕事件と漁労長の射殺事件がありまして、当時政府は韓国政府に対して厳重な抗議を申し込まれたと承つておるのでありますが、この事件は日本の水産界、漁業界だけの問題ではなく、国民全部が悲憤の涙をのんでおる事件であるのでありますが、その後政府の韓国政府に対する賠償あるいは交渉の経過はいかがでありますか、その結果をお伺いしたい。

[098]
外務大臣 岡崎勝男
これはこの前申しました通り、抗議を申しますと同時に、損害の補償とか、今後の再発防止とか一連の措置を要求しておりますが、これに対して先方は領海侵犯であるというようなことで、逆に日本でそういうことを今後しないように注意してもらいたいと主張をいたしております。

またわれわれの方でそういう事実はないというので詳細にやつておりますが、今のところまだ残念でありますが、文書において双方でやりとりをしておるという段階であります。できるだけ忍耐強くと思いますが、なかなか解決いたしません。しかし当時と違いまして、戦闘行為も終りまして、朝鮮側もだんだん平静になつて来ると思いますから、今後話合いによつてさらに進展する望みもなきにしもあらず、こう思つて忍耐強く交渉を進めております。





昭和30年12月12日 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
[017]
参考人(日韓漁業対策本部事務局長) 田中道知
また先ほどの御質問にもどりまして、補足して申し上げますが、26人の人間がやられた、こう言っていますが、1953年の2月4日には、御承知の通り第一大邦丸という船が向うの砲に当りまして、頭蓋骨に命中して即死いたしております。これが最初の事件でございます。当時の週報におきましては、それをとるのに、これはたれが撃ったのか、警備隊が撃ったのか、ほかの警察隊が撃ったのか、たまを調べるために、のこぎりで頭を切ったというあの事件でございますが、それ以来のは、先ほど申し上げたように、遁走するときに銃弾に当ったというような事情でございます。なお26名のうち21名は、韓国のフリゲートが後から乗り上げて、直ちに21名の生命を奪ったという実情であります。