日本社会党と朝鮮労働党の共同コミュニケ ~ 社会党訪朝団

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平成01年11月01日 衆議院 予算委員会
[252]
自由民主党 野呂昭彦
社会党の訪朝団がたびたび訪朝をいたしておるわけでありますけれども、一体どれぐらい毎年行っておられるのか、しかも、その渡航目的は何でございましょうか、外務省にお尋ねします。

[253]
政府委員(外務省アジア局長) 谷野作太郎
お答え申し上げます。

最近、委員長または書記長クラスを団長とされます社会党の代表団の方々は、ほとんど毎年北朝鮮を訪問されております。これは公表されておりますものですから、私どもも承知しておりますけれども、先方を御訪問の目的、先方との話し合いの内容、それについては私どもは詳細は承知いたしません。

[254]
自由民主党 野呂昭彦
私の方にあります資料でも、社会党の訪朝団、昭和35年の8月から本年の9月まで、これは団の数で数えてみますと101あるのであります。これは30年間に101。これはいろいろ各種さまざまな社会党の団だと思うわけでありますけれども、そのうち、最近の15年間だけで何と82回になるのです。しかも、後半になるほど頻度が多くなりまして、昭和59年以降の5年足らずで46回、もっと中を言いますと、59年で13回、60年が10回、61年が11回、この3年なんか特に多いのであります。

それはともかくとしまして、昭和49年以降急激にふえておりますのは、これはその前の年、48年に、佐々木更三団長のときに朝鮮労働党との間におきまして合意書が取り交わされております。そして49年には、成田知巳団長のときでありますけれども、朝鮮労働党と共同コミュニケが発表されているんですね。これを境に北朝鮮と社会党というものが大変緊密、密接になりまして、それまでの共産党と取ってかわったというような状況になっておるようであります。

先ほど私申し上げました共同コミュニケ、49年のほかに1978年、すなわち昭和53年ですね、これは飛鳥田委員長の訪朝団でありますが、このときにも共同コミュニケというものが出されております。

この共同コミュニケを見ると、かなりびっくりするのであります。例えば、この中では「日本社会党代表団は、「国連軍」の帽子をかぶったアメリカ占領軍は南チョソンからただちに」南チョソンというのは南朝鮮のことですね。「ただちに撤退し、アメリカ帝国主義、日本と南チョソンの反動勢力は「二つのチョソン」の策動をやめ、チョソンは単一国号によって国連に加盟すべきであると強く主張した。」これは日本社会党代表団が主張した。あるいは別のところには、「日本の一部反動勢力がアメリカ帝国主義と共謀して」云々、「日本政府が「日韓条約」を廃棄し、」こういうふうなことも中に出てきております。それから、まだいろいろありますね。「日本社会党代表団は、日本社会党の正当な闘争にたいするチョソン労働党とチョソン人民の全面的な支持と連帯に深い謝意をあらわし、」云々というようなこともあります。そして、双方がチョソン労働党と日本社会党がますます親密な関係を持って発展していくことを喜び、今後さらに両党間の関係を密接なものとして発展させていくということで一致しておる。

これが実は1974年の方のコミュニケです。それで、53年になってもこれはほとんど字句が一緒であります。なおかつ驚きますのは、日韓条約の廃棄とかあるいは日米安保条約の廃棄、こういった我が国の安全保障上ゆゆしき事柄についても、日本社会党もその場にいてこの声明内容について同意し容認して合意しているわけですね。

こういうことが、しかもこれは今も生きておるのじゃないか。

これは外務省にお尋ねいたしますけれども、共同コミュニケというのは一般に相手方にどういうふうに、いつまで効力があるものでございますか。

[255]
政府委員(外務省アジア局長) 谷野作太郎
お答え申し上げます。

委員御指摘のとおり、74年9月の当時の成田委員長の北朝鮮御訪問の際、あるいは78年5月の当時の飛鳥田委員長の北朝鮮御訪問の際、それぞれ共同コミュニケが出ておりますし、これは公表されたものでございますから、私どもも十分勉強させていただいております。

委員御指摘のように、その中には日韓条約の破棄、それから日米安保条約あるいはそれを受けての米軍の基地の存在、これを安保条約を破棄すべし、米軍の基地を撤退すべしということについて、社会党と先方の間で見解の一致があったということが書いてございます。

さて、そのような共同コミュニケがどういう効力を持つかということは、これは政府間のものでもございませんし、私どもが、当事者でない私ども政府関係者が一々これについて意見を申し述べるのは適当ではないかと思いますけれども、いずれにいたしましても、ただいま申し上げた日米安保条約の破棄あるいは日韓条約の破棄あるいは米軍の撤退という御主張につきましては、少なくとも日本政府の見解とは著しく意見を異にするということだけは申し上げておきたいと思います。

[256]
自由民主党 野呂昭彦
これは共同コミュニケとして1974年と1978年、2回、よく似たコミュニケであります。その以後、こういうコミュニケは出していないのでありますけれども、当然私は、これは双方の信頼関係のやはり一番基本になっていくものであろう、そういう意味では、今も社会党と北朝鮮の朝鮮労働党の間においてこのコミュニケに基づいた信頼関係、友好関係というものを結んでおるのであろう、こういうことでございます。ですから、私は、社会党がどう言おうと、これは韓国を承認できるわけがありません。そして、先ほど言いましたようにまことにゆゆしき問題であるように、日米安保条約の破棄をうたっておる。

これはその後の訂正が共同コミュニケで別になされているわけではありません。これはやっぱり生きておるわけであります。そうしますと、社会党の方で連合政権構想で当面安保保持なんというようなことを言いながら、これはどっちが社会党の本質であるのか、私はこういうことからしても疑わざるを得ない。まことにこれは、中身からいきましても、日本の安全保障の上からでも極めて重要な、問題のある文言だと思うわけでございます。

このことに私は、ただ昔のことだというのではなくて今もこういうのが生きているのだということについて、驚きとともに、これは一度総理にぜひこれについての御感想、御意見をいただきたいと思います。

[257]
内閣総理大臣 海部俊樹
その共同コミュニケは公表されておりますから私も拝見をいたしました。けれども、やはり社会党と北朝鮮労働党との間の、党と党とのことでありますから、私は今ここでそれをどうのこうの論評するのは適当ではないと思いますし、それから日米安保条約あるいは日韓条約についても触れられておるのですけれども、最近の社会党の発表していらっしゃる日米安保条約に対して、当面存続でありましたか、とにかく今まで非武装非同盟であったのから歩み寄っていらっしゃるということ等もあるわけでありますから、そのコミュニケのことについてここで論評することは避けたいと思います。

[258]
自由民主党 野呂昭彦
総理のお立場はなかなか表現しにくいのかもしれません。ただ、北朝鮮という国につきましてはもう既にこの委員会でも、昨日も小里委員の方で実は拉致事件等もとらえながらその国の状況というものを明らかにしてきたわけであります。特にビルマ・ラングーン事件とか大韓航空機爆破事件、そういった問題についても質問をなされております。あの事件等は犯人が日本人のパスポートを使用いたした。これは犯人が捕まらなければ、まさに日本が、日本人があの事件を起こしたのだ、そう国際社会から大変な非難を受けるところでございました。それが実は、一人は死にましたが一人は助かって、今その事件の中身も大分わかってきたわけであります。北朝鮮は、その中でどうも国家機関がスパイ活動を行っておる、こういうふうなことを私ども聞いておるわけであります。