前原誠司議員、紛糾する国会を抜け出して1週間の北朝鮮旅行、よど号ハイジャック犯とばったり会って記念写真

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平成23年02月01日 衆議院 予算委員会
[291]
自由民主党 稲田朋美
最後に、前原大臣にお伺いをいたします。

前原大臣は、昨年の暮れから、日朝直接対話を進める旨の発言をされています。しかも、日朝間の交渉の進め方は白紙とおっしゃっています。一体どういう意味かわかりません。日朝交渉の基本は、拉致問題の進展が前提のはずです。大臣の発言は、拉致問題で日本が軟化したとのメッセージになります。現に北朝鮮メディアからは、直接対話に意欲を見せる前原大臣の発言を歓迎し、肯定しております。

安倍総理のとき、6カ国協議で北朝鮮に重油支援をすることに決めましたが、日本はそれを拒否しました。国益に合致した正しい判断でした。ところが、大臣は、一貫して重油支援をすべきだという姿勢で質問をされたのです。

また、福田総理のときも、拉致問題の進展がなければ何もかも支援をしないということはむしろ外交の裁量を狭める、そういう質問をされております。

どうして大臣はそんなに北朝鮮に甘いのでしょうか。

大臣は、平成4年と平成11年、2度北朝鮮を訪問されています。平成11年、大臣は既に衆議院議員でしたが、御地元の支援企業と一緒に訪朝されています。その目的は何で、北朝鮮でどなたにお会いになりましたか。

[292]
外務大臣 前原誠司
まず、後者からお話をいたします。

私の地元の企業で手機の織物をしている会社が、中国で仕事をされておりましたけれども、中国の人件費が上昇したということで、北朝鮮で仕事ができないかということを相談を受けまして、そして、京都の朝鮮総連を通じて、その企業が北朝鮮に工場をつくられることになった。その工場ができたところを見に行ったというのが私の2回目の訪朝の全体像でありまして、それ以上でもそれ以下でもございません。

それから、白紙で臨むということを申し上げたのは、すべて、その白紙で臨むと私が申し上げた前後の記者会見なり発言を踏まえておっしゃっているのかどうかということをまず私は確認していただきたいと思います。

私は、日朝の問題に臨むときの大前提は、2002年の9月の17日の日朝平壌宣言、これを我々は政権交代後も継承するということを申し上げています。つまりは、拉致、核、ミサイル、これの包括的な解決をして、その上で日朝の国交正常化をするということを繰り返し私は申し上げております。そういうものを全くなくして、白紙でなんということを言った覚えは一切ございません。

私どもは、今回の北朝鮮の延坪島への攻撃、あるいは天安の撃沈事件、あるいは濃縮ウランの問題、どんどんどんどん挑発を重ねていく中で、また対話のテーブルにのせようとする北朝鮮のやり方というのは極めて問題だというふうに私は思っております。

この拉致の問題も極めて重要です。私が日朝の直接交渉をということを申し上げたのは、私も何人も拉致被害者の御家族とお会いをして、そして、どんどんどんどんお年を召されている中で、1日も早く解決をしてもらいたいと。そして、稲田さんもこの問題に取り組まれていると思いますけれども、前の家族会の会長をされていた横田さん、めぐみさんのお父さんは、とにかく日朝の交渉をやってくれということを稲田議員にもおっしゃっているんじゃないですか。直接交渉して、拉致問題を何とか切り開いてほしいということをおっしゃっているはずであって、2008年の前政権の、福田政権でありますけれども、6者協議以降、全然接触できていないんですよ。拉致問題をやるやる、やるやると自民党政権でおっしゃいながら、直接交渉もできていない。我々、政権交代で直接交渉もしなきゃいけない、そうでないと拉致問題は解決できないということを申し上げているわけです。

そして、先ほど、安倍政権とそれから福田政権のときの私の質問をとらえておっしゃいました。拉致も大切ですけれども、日本を射程に置いているミサイルの数は200発以上ですよ。核弾頭は何個あるかわかりません。しかし、核を開発してと言われている。もしこれが使われたときにどのような状況になるかということを、日本はみずからの危機と思って考える必要はないんですか。

つまりは、拉致も大事だけれども、このミサイルやそして核の問題を真剣に取り組まないと、今生きている日本人の国民の生命財産、あるいは何10年後まで禍根を残すようなことになったらどうするのかという思いの中で、総合的に判断をすべきだということを私は申し上げているわけであって、決して拉致問題を軽視しているわけではありません。

原点は、2002年の9月17日の日朝平壌宣言、核、拉致、ミサイルの包括的な解決で国交正常化をする、それであります。

[293]
自由民主党 稲田朋美
いずれにいたしましても、拉致問題が進展していないにもかかわらず北朝鮮に対して支援をすべきであるという姿勢の外務大臣が、北朝鮮と直接対話、または訪朝することは、日本の国益には合致しないと思います。

まだまだお聞きしたいことはありますが、続きはまたの機会にさせていただきたいと思います。ありがとうございます。





平成23年02月21日 衆議院 予算委員会
[041]
自由民主党 稲田朋美
それでは、事務総長にお伺いをいたします。

国会法では、国会議員が正当な理由なくして本会議や委員会に欠席をした場合、懲戒の対象になります。

また、それを受けて、衆議院規則では、衆議院議員が事故のため数日間議会に出席できないときは、請暇願、まさしく欠席申請を出さなければなりません。

それでは、衆議院議員が国会の会期中に私的な遊びで海外に行くことが、国会法の正当な理由で本会議や委員会を欠席することに当たり、また衆議院規則の請暇願の対象になるのか。

さらには、衆議院議員が国会会期中に議員であることを秘して、バッジを外して、私人であるとして海外に行くことが、国会法の正当な理由に当たり、また衆議院規則の議員が事故のため議会に出席できないときに当たりますか。

[042]
衆議院事務総長 鬼塚誠
お答えいたします。

海外渡航のため請暇の許可を求める議員は、所属会派の承認を得て議長に申請をされます。議長は、議運理事会の答申を得て許可をいたしますが、この議運理事会の審査は、渡航期間、渡航先、渡航目的についての書類審査でございますし、渡航目的は政治経済事情視察と一まとめにされております。

また、公費を使っているわけではございませんので、報告書を求めるということもございません。したがいまして、議員の海外における活動は正確には把握できません。

ただ、基本には、議員への信頼があるということでございます。

その上で、衆議院規則181条の「事故のため」とは、後の方に、衆議院規則185条で同じような規定が、欠席でございますが、総合的に御判断いただくということで、予定されているか突発的であるかの違いはありますが、請暇を求める、または欠席する何らかの事情ということで理解されるもので、重点は、後段の議院に登院されるかどうかという事実に置かれているわけでございます。

国会法124条の「正当な理由がなくて」の解釈は、請暇の理由もさることながら、その後の議長の招請にこたえるかどうかという、議員のその後の対応をあわせて懲罰を科するか否かについての判断をする基準でございますが、正当理由の有無は先例の積み重ねを待ちたいと思います。

この場合におきましても、基本的には、議員への信頼関係があるということでございます。

[043]
自由民主党 稲田朋美
るる述べられたわけですけれども、議員との信頼関係、まさしく、私は、国会会期中に遊びのために渡航するとか、議員バッジを外して私人であるといって海外に行くことは、常識から考えても正当な理由には当たらず、請暇の対象にはならないと考えております。

それでは、前原大臣にお伺いをいたします。

大臣は、今まで国交のない北朝鮮に2度行ったことを認めておられます。1度は、平成4年、大臣が京都府議会議員時代、大臣は当時日朝友好促進京都府議会連盟の一員でありました。また、2度目は平成11年、大臣が衆議院2期生のときであります。

この2度目の北朝鮮の訪問の理由について、大臣は、前回の2月1日の予算委員会の私の質問に対して、支援企業の工場が北朝鮮にできたところを見に行ったというのが私の2回目の訪朝の全体像でありまして、それ以上でも以下でもありませんとお答えになっています。

その後に発売の週刊文春では、支援企業の会長の話として、最初に北朝鮮につないでくれた前原さんを1回遊びに行きましょうかと誘ったら、行きましょうとなったとされています。

国会開会中です。

一体、何のために大臣は国交のない北朝鮮に行かれたのか、あなたから行くことを提案されたのか、それとも、文春に書かれているように、遊びに行きましょうと言われてついていかれたのか、もう一度御説明をよろしくお願いいたします。

[044]
外務大臣 前原誠司
まず、1回目の視察についてでございますけれども、何か私が、週刊誌はそう書きたがるものでありますけれども、日朝議員連盟にしか入っていないというような書き方の中で記述がございますけれども、京都府議会の中には、日中議員連盟、日韓議員連盟、日華議員連盟、日朝議員連盟、4つありまして、私はすべて入っておりました。したがって、日朝だけ取り上げて何かおもしろおかしく書かれていることについては、非常に不快感を持っているということについては申し上げたいと思います。

2回目でございますけれども、行きました。記事をもとに質問をされていると思いますけれども、バッジを外してという意味は、私は国会議員の立場で行っていないということではありません。私は、請暇願も出して行っておりますし、国会議員の立場で行っております。バッジを外すというのは、私の日ごろの活動を見ていただければ、私は院外へ出ますとバッジを外します。それでバッジを外してという話であって、国会議員として行っております。

そして、それと同時に、この河村織物という支援企業が1000名規模の工場をつくるということで、なかなか平壌に行くなんということは何かの機会がなければないことでありますので、行かないかと言われて、国情視察、そしてその地域の視察も含めて伺ったということであります。

[045]
自由民主党 稲田朋美
国会議員のバッジを外してというのは、常日ごろ外しているからと、そして国会議員として行かれたということなんですけれども、それではお伺いをいたしますが、国交のない北朝鮮に入るのに、ビザの申請は、肩書が衆議院議員前原誠司だったのでしょうか、それとも河村織物顧問前原誠司だったのでしょうか。

[046]
外務大臣 前原誠司
今、事前の通告がない御質問でございますので、それについては調べて答えさせていただきますが、あくまでも請暇願を出しておりますし、在北京の外務省にもちゃんとそれは通達しないと、北京経由で平壌に入っているわけですから、入れませんので、そういう意味においては、国会議員として堂々と私は平壌に行ったということは申し上げたいと思います。

[047]
自由民主党 稲田朋美
河村織物顧問前原誠司の肩書でビザを申請したかどうかお調べになって、ぜひお答えをいただきたいと思います。

また、北朝鮮で名刺を、衆議院議員前原誠司ではなくて河村織物顧問前原誠司という名刺を配られたのではありませんか。

[048]
外務大臣 前原誠司
どのように調べられてそれをおっしゃっているのかわかりませんが、私はあくまでも国会議員でありましたので、堂々と行っております。そして、国情視察ということで、河村織物の工場も視察をしましたし、さまざまな場所にも行ったということであります。

この間から稲田議員の質問を聞いておりますと、何か私が北朝鮮に甘いのではないかという前提でお話をされておりますが、今までの私の国会での、例えば朝銀を含めてどのように取り上げているのかということを徹底的にお調べをいただいた上で、偏見を持たずに、私の今までの国会の活動を前提として御質問いただきたいと思います。

[049]
自由民主党 稲田朋美
大臣、質問に答えられていないんです。私は、北朝鮮で河村織物顧問前原誠司という名刺をお配りになったのじゃないですかということについて質問をいたしましたが、大臣は答えられなかったんです、今。

待ってください。そして、私の質問についていろいろとおっしゃいましたけれども、もし私の質問が事実に反するのであれば、それは違っていますとおっしゃればいいことだと思います。

名刺が河村織物顧問前原誠司だったかどうかについてお答えください。

[050]
外務大臣 前原誠司
今御質問をいただきましたので、調べてお答えをいたします。

[051]
自由民主党 稲田朋美
では、ビザの申請の件と名刺の件については、調べてお答えください。

ところで、この国会なんですけれども、通常の国会じゃないんですよ。大変紛糾をしている国会なんです。国旗・国歌法とか、それから、大臣が行かれる前は、周辺事態法も、民主党が反対をして、成立をいたしております。また……(発言する者あり)

大臣が北朝鮮に行かれた、第145国会のことを言っております。

大臣が北朝鮮に滞在中の、6月2日の朝日新聞を私は持っております。このとき、民主党は徹底抗戦したけれども不発だった、そして通信傍受法案が衆議院を通過いたしました。この日、法務大臣の解任決議案が否決をされて、当時、総理は民主党の代表でいらっしゃったんですけれども、民主党と社民党は本会議場を退場して、そして、ここに総理の写真が写っておりますけれども、代議士会で説明をしている。

まさしく国会開会中であり、しかもかなり緊迫をした、紛糾した国会だった。にもかかわらず、大臣は、平成11年5月30日から6月5日、7日間、まさしく異例の長さの請暇願をとって、そして、自分の御地元の一支援企業の工場の視察のために行く。私は、これは言語道断だと思います。理解ができない。納得ができない。

もう一度、なぜ、このような時期に7日間の請暇願をとって北朝鮮に行かれたのか、お答えください。

[052]
外務大臣 前原誠司
一議員として、請暇願を出して行っているわけであります。まず、そのことは申し上げたいというふうに思います。

そして、それと同時に、週2便しか飛んでいないんですよ、北京と平壌の間は。それで、北京に入って、そして北京から平壌に入って、週2便しか飛んでいませんので、帰ってくるときは、当然ながら、また平壌から北京に戻って、そして北京から帰ってくるということで、最低でもその行程はそれぐらいはかかるということでございます。

[053]
自由民主党 稲田朋美
今の大臣のお答えで国民は納得しますかね。こんな紛糾した国会ですよ。解任決議をし、本会議場から退席をし、通過をする、そんな紛糾をした国会で、7日間も請暇願をとって、その理由が、大臣の一支援企業の工場の視察。別に国会会期中に行かれるようなことではありません。

また、先ほど、河村織物顧問の肩書きで行ったかどうか、それからそういう名刺を配ったかどうかについてはお答えになりませんでしたけれども、仮に、私的なそういう肩書きでもって、企業の視察のために、国交のない北朝鮮にこの紛糾した国会の中で行かれるというのは、私はおかしいと思います。もう一度説明をしてください。

[054]
外務大臣 前原誠司
先ほど、周辺事態法という話をされましたけれども、周辺事態法は、民主党は賛成していますよ。周辺事態法の修正の責任者は私でしたから。自民党の久間議員と私は修正協議をして、でも、その年だったかどうか忘れましたけれども、少なくとも民主党は、周辺事態法に対して私が修正の協議をしてまとめていますので、事実関係としてはしっかり確認してお話しをいただきたいと思います。

その上で、どういう国会の状況だったかということは別として、私は、北朝鮮の状況、そしてまた平壌の状況というものを、外交や安全保障を私は専門にやってまいりましたので、行かれるということで、いい機会だということで判断をし、そしてまた、国会にも請暇願を出して行かせていただいたということであります。

[055]
自由民主党 稲田朋美
今のでも納得できないんですよ。

国旗・国歌法で紛糾したり、さまざまな法律がこの国会では紛糾をして、結局、通信傍受法も今申し上げましたように否決をし、本会議場から退場する、そういう事態だったわけです。

総理にお伺いをいたします。

総理は当時の民主党の代表として、この145回の国会は国旗・国歌法を初めとして重要法案がメジロ押しで、そして民主党は徹底抗戦をして、8月まで国会を延長した、こんな紛糾した国会において7日間の請暇願、欠席をして国交のない北朝鮮に国会議員が行くことについて、当時の民主党代表でもいらっしゃいました総理の見解をお伺いいたします。

[056]
内閣総理大臣 菅直人
今の稲田委員と前原大臣のやりとりをお聞きしておりましたが、私は全く問題のない行動だったと思っております。

[057]
自由民主党 稲田朋美
そういう感覚がおかしいですね。国会議員が7日間も休んで国交のないところに、紛糾している国会審議をほっぽり出して行くということは、私は国民は納得はしないと思います。

では、前原大臣にお伺いをいたしますけれども、前原大臣は、その北朝鮮でよど号の犯人に会って何をお話しになり、なぜよど号の犯人にお会いになったんですか。

[058]
外務大臣 前原誠司
高麗ホテルというところに宿泊をいたしまして、その高麗ホテルでたまたまばったり玄関でお会いをいたしました。

[059]
自由民主党 稲田朋美
たまたまって、大臣、よど号の事件が起きたのは1970年で、大臣は8歳です。そして、北朝鮮で30年もたって、よど号の犯人が大臣を、大臣がよど号の犯人をお互いに知っているはずがないんですよ。

一体何のために会ったのか、そして、だれとだれとだれと会って、どんな話をされたんですか。

[060]
外務大臣 前原誠司
北朝鮮という国に行かれるとよくわかると思うんですが、通訳と監視役、そして屈強な男性がついております。そういう人が、ああ、あの日本人はよど号の元犯人ですよということで教えてくれて、偶然、高麗ホテルの出口でばったりお会いしました。全くの偶然であることは事実でございます。

[061]
自由民主党 稲田朋美
お答えになっていないんです。だれとだれとだれと会って、何を話したんですかということを聞いております。

[062]
外務大臣 前原誠司
恐らく4名だったと思いますけれども、名前は失念をいたしました。

[063]
自由民主党 稲田朋美
大臣は、帰ってから公安調査庁に報告をしたと記者会見でおっしゃっているんですけれども、名前はお忘れになったんですか。

[064]
外務大臣 前原誠司
1999年のことでありますので、帰ってから公安調査庁に話をいたしました、それは事実でございますが、4名の名前は忘れました。

[065]
自由民主党 稲田朋美
偶然に会ったとか4名の名前は忘れたとか、いわば日本に対する国家的な犯罪をして北朝鮮にかくまわれている犯罪者、犯人とお会いになって、公安調査庁でも報告をされた。それが偶然だとか名前を忘れたとか、私はちょっと理解ができません。

また、大臣はそのとき、よど号の犯人と写真を撮られたのではありませんか。

[066]
外務大臣 前原誠司
写真を撮りましたし、その写真も公安調査庁に渡しております。

[067]
自由民主党 稲田朋美
それが私は信じられませんね。普通、日本の国家犯罪をした人と偶然に会って、大臣はバッジを外して企業の工場視察に行って、そこでもって、バッジを外して、そこまで用心深くして行って、よど号の犯人と一緒に写真におさまる、これは私は信じられないんですけれども、最初からよど号の犯人と会うようにセットされていたんじゃありませんか。

[068]
外務大臣 前原誠司
弁護士らしからぬ極めてノスタルジックというか物語風の話をされますが、私は神に誓って、偶然に会った、そしてそういうものは予定をされていなかった。

そして、先ほどやじにありましたように、高麗ホテルというのは本当に危ないホテルなんですよ。それはもう府会議員のころからよくわかっているんです。つまりは、今まで泊まった人は、何か話をしたらすぐに飛んでくるようなホテルなんです。そういう意味においては、どういうところか、場所かということをすべてわかっておりますし、また、先ほどから繰り返して申し上げるように、よど号のハイジャック犯と私がもともとセットするって、どういう理由でセットしなきゃいけないんですか。

たまたまお会いをして、それで、4人だったと思いますけれども、写真を撮り、そして帰ってからは公安調査庁に話もし、写真も提出をした、それだけのことであります。

[069]
自由民主党 稲田朋美
大臣の話が信じられないから、私は事実を確認する質問をしているんです。

そもそも、北朝鮮にそれだけ長期間滞在をされていて、工場視察。工場視察は2時間ぐらいで終わると思いますよ。それ以外は一体何をされていたのか。よど号の犯人だけでなく、朝鮮労働党の幹部とも面談をされたのではありませんか。

[070]
外務大臣 前原誠司
実は会いたかったんです、朝鮮労働党の幹部とも。しかし、河村織物から申し入れをいたしましたけれども、結果的には会うことができませんでした。

[071]
自由民主党 稲田朋美
大臣が視察をされた河村織物の工場はどのような工場で、そしてその工場が閉鎖されたのはいつで、その閉鎖された理由は何ですか。

[072]
外務大臣 前原誠司
そこまでは知らないですね。

いつ閉鎖されたのかと、これは、累次の制裁決議がなされておりますので、結果的に、中国から物を持ってきて北朝鮮で。そして、つづれなんですね、河村織物さんというのはつづれをやっている。つづれをやっているというのは、電気を使わなくていいんです。私は高麗ホテルに2度泊まりましたけれども、高麗ホテルでさえ非常に電気事情が悪くて、エレベーターが時々とまるというような、極めて電力事情の悪いのが平壌の状況でありました。したがって、電気を使わなくて、マンパワーのみを使うという河村織物のつづれというのは、向こうでは非常に歓迎されておりまして、数100人規模の女子の方ばかりが働いていたように記憶をしております。

それで、広げようという話でありましたけれども、結局は、さまざまな制裁が行われて閉鎖をしたという話は聞きましたけれども、いつ閉鎖をしたかということは聞いておりません。

私は、河村さんには、北朝鮮というのは非常にカントリーリスクの高い国だから、出られる際もそれを前提として出られた方がいいですよということは前からお話をしておりました。

[073]
自由民主党 稲田朋美
河村織物から大臣に対して、北朝鮮に対する制裁をやめてくれるよう陳情がありませんでしたか。また、河村織物が経産省にそういう陳情書を出したことについて、大臣は御存じでしょうか。

[074]
外務大臣 前原誠司
私には一切そういう陳情はありませんでしたし、経産省にそういうものを出されていることも全く存じ上げません。

先ほど申し上げたように、私は北朝鮮に対しては朝銀の問題等でかなり厳しくやっておりましたので、そういうことを勘案して私には相談をされなかったんだと思います。

[075]
自由民主党 稲田朋美
大臣は、2回目の訪朝の前に委員会で、日朝の経済交流をもっと政府が支援すべきだとか、また安倍総理に対しても、前回も指摘しましたけれども、重油を支援すべきだとか、北朝鮮を支援すべきだとか、経済交流をもっと図るべきだ、そういう質問をされております。

大臣は、大臣または大臣の関係政治団体に、府議時代から今までの間で、河村織物から企業献金を受け、もしくはパーティー券の購入をしてもらっていますか。これは質問通告をいたしておりますので、お答えください。

[076]
外務大臣 前原誠司
河村さんとのおつき合いは、私が25歳のころだと思います。松下政経塾にいるときに、西陣で私は研修をしておりまして、28歳のときに無所属で府会議員に立候補いたしましたときに、資金的な面も応援をしていただきました。

そして、府議時代も、2年ぐらいはいわゆる政治資金団体の後援会に入っていただいて、応援をしていただいておりましたけれども、バブルがはじけた後に西陣全体が極めて景気が悪くなりまして、河村織物さんもある時期から資金的な援助はいただいておりませんけれども、私は、河村会長さんとは人間的に非常にお世話になっておりますし、また、全く無所属で、馬の骨ともわからないような状況のころからさまざまな形で支援していただいておりましたので、河村さんとの縁というものは、資金とかではなくて、もう10数年間は資金援助はいただいていないと思いますけれども、私は、これからも続けてまいりたいというふうに思っております。

[077]
自由民主党 稲田朋美
平成4年、府議会議員時代に大臣が1度目の訪朝をされたときに、河村織物から新緑会、大臣の関係の政治団体に146万7734円、政治献金がなされております。これの関係等、まだまだお聞きしたいことはありますけれども、時間がなくなってまいりましたので、最後に、私は、河村織物のことを横に置いても、大臣のさまざまな北朝鮮に対する発言について疑問を持っております。

大臣に質問するに当たって、私は、大臣が衆議院議員になられてから以降の議事録それから講演録を大量に読ませていただきました。私は、日米関係やら一般的な外交問題に対する大臣の姿勢また見識には敬意を表したいと思うんですけれども、ただ、対北朝鮮問題に関しては、天命に生きるとおっしゃっている大臣らしくないんですよ。率直に言いますと、違和感を覚えたんです。まず、委員会や講演で、大臣が多くの在日の方々や朝鮮総連元幹部とのつながりをおっしゃっているんです。これは私は、非常に違和感を覚えました。

ここに賃金レポート2003年3月号があるんです。その中に大臣の講演録が収録をされています。大臣はこのようにおっしゃっているんです。新宿で商売をされている元工作員の方、あるいは朝鮮総連の幹部で副財政局長までやった人、私の国会での質問のネタは、基本的には在日の方から聞いている。

私は、北朝鮮の元工作員だとか、それから総連の幹部の話を聞いて、そしてその質問をしているということは非常におかしいと思います。

また、同じく賃金レポートの2008年3月号の講演録で、大臣は次のようなことをおっしゃっているんです。さる政治家が、先般、平壌に行って、対日担当者である宋日昊という人と話をした。さる方がおっしゃったことなので、それがすべて正しいかどうかはわからないが、私が得ている情報と符合するところがある。日本から照会されている拉致被害者は全員死んでいる、ただ、日本が問い合わせてきていない日本人は生きている、このような言い方をしていたそうである。

これは大臣のお言葉ですけれども、私は、たとえ伝聞だということを断ったとしても、日本の国会議員また外務大臣になった方が、拉致被害者は全員死んでいるなどということを発言するのは、全くもっておかしいと思っております。

その後、大臣は……

[078]
委員長 中井洽
稲田さん、時間が来ましたから。

[079]
自由民主党 稲田朋美
はい。

北朝鮮に重油支援をすべきだとか、核の脅威を殊さら喧伝されていて、要するに、拉致よりも核というのが大臣のスタンスなんです。でも、拉致は、重大な人権侵害だけでなくて、国家主権の侵害なんです。

私たち日本の国会議員が真っ先に言うべきことはこの拉致の問題であって、総理が本部長をされている拉致問題の解決についても、前提として拉致問題の解決ということを書かれております。

私は、やはりそういった大臣のスタンスが、北朝鮮から二国間協議を歓迎されるというような、そういう発言につながっていると思います。このような大臣のスタンスは日本の国益に合致しないことを申し上げて、私の質問を終わります。

ありがとうございます。



前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
漢数字は一部アラビア数字に変換、一部括弧と句点を入れ替えています。
基本的に抜粋して掲載していますので、全文は元サイトでご確認ください。