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昭和27年04月21日 衆議院 行政監察特別委員会
[074]
自由党(自由民主党) 田渕光一
今回われわれ調査団が、京都国警の資料及び写真で見たのでありますが、宇治市の近郊に400人近い朝鮮人の集団部落があります。それをウトロ部隊と称して、「ポリ公、犬立入り禁止」という看板をかけておる、われわれの生命財産を保護してくれ、まことに薄給において彼らは生命をなげうち、しかも妻子の恐怖にある中において、国家の再建をにない、われわれの生命財産を守つてくれていることを無視して、「ポリ公、犬立入り禁止」というような看板をかけて、しかも密造いたしておる。
しかもこれに対して京都市の市当局の労働部か、民生委員といいましようか、この密造してなまけているところのやからに対して、1家族1箇月2000円という生活保護法による生活扶助を与えおる。われわれ国民は、ほんとうに働いて疲労しておる。私の声がかれているのは疲労しているからだ。ここまで国家再建にほんとうに血と汗をもつて熱心に闘つている、その歳費から、2万何千円という所得税をわれわれは払つおる。そういう税金の一部が平衡交付金にもなつて行くでありましよう。そういうものが、この日本の法律の禁止しておる密造を専業とし、やみ、ばくち、あらゆる暴行脅迫をやるこの不逞のやからに与えられている。そうしてウトロ部隊という名前をつけて、しかも「ポリ公犬立入り禁止」というような文字を出しておる。かようなことは増長するにも増長し切つておるのである。
これに対しまして、いかなる対策を立てたらいいかということについては、大阪の高等検察庁において会議を開いて、諸君は中央がどういう態度をとれば治安が維持できると考えるかと言つたときに、まず鶴橋その他におきまして、近畿におけるところの朝鮮人は30万、この45%といえば約22万という北鮮人に対して、たとい2000人でも送還してくれるならばぴたつとなりましようということを彼らは見通しをつけておる。そういたしますと、われわれは8390万の日本の民族を愛するためには、2000や3000の不逞のやからは、これは釜山に送りつけてやるだけの決意を持たなければならぬ。
これにおいて治安が確立すれば、これはまことに世界人類の上からいつても、人道上からいつても、相済まぬことではあるが、彼らが反省しない限りは、そこまで強硬手段をとらなければならぬと思うが、これに対して、もし中央あるいは国会がそこまでやることにきめたら、執行面におけるところの諸君がそれを執行するだけのほんとうの決意があるかどうかということを承つておきたいのであります。
[075]
委員長 内藤隆
ただいまの田渕委員の発言はすこぶる重大でありますので、ただいまの小川証人の決するところがあるという悲壮な証言に重ねて、ひとつあなたの決意をお伺いできれば幸いです。
[076]
証人(京都市警察本部本部長) 小川鍛
執行いたします私どもは、きまつた法律並びに国の方針に基きまして、その方向がきまりますならば、法に与えられた権限を最高度に運用いたしまして、執行いたすのが、私どもの義務であり責任であろうと考えております。
さような意味におきまして、ただいまの御発言のお言葉に対しましては、ただいまの決意を申し上げまして、かつ決意のみならず私どもの義務、責任でありますることを明確に申し上げまして、お答えにかえたいと思います。
昭和27年04月22日 衆議院 行政監察特別委員会
[107]
自由党(自由民主党) 田渕光一
われわれは京都で調査いたしましたが、たとえばウトロ部隊というものがある。これは警察の調査で行くと400人、市役所の調査で行くと600人で、そこに相当の食い違いがあるが、朝鮮人というものは、米の配給でも二重三重にとつているからである。これらはほんとうを言うならば米食い虫である。そしてこの大部分が生活保護法で1箇月2000円の保護を受けている。しかも脅迫してとつている。これらが密造してやみをしている。職安に行けば職安に行くで仕事をやかましく言う。こういうようなぐあいですが、こういうことはおそらく広島でも相当あるだろうと思う。こういうようなことを考えなければならぬのでありますが、たとえば、生活保護を受けるために脅迫をして無理に生活保護法の証明を書かしているというような点、あるいは、あなた方に脅迫状が来ているというような点、こういうようなことがあつたらそれを伺つておきたい。
[108]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
市役所あるいは町村役場に対するただいま御質問のような強要は相当頻発いたしております。
なお脅迫状の点でありますが、具体的には広島検察庁の公安係の検事の所へ数通参つておりますのと、なお警察官方面には2、3ありますが、特審職員に対しては、そういうふうな脅迫状はまだ聞いておりません。
平成02年06月20日 衆議院 法務委員会
[052]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
それでは、その点は打ち切りまして、本日は、実は京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地ほか2筆の上に居住する在日外国人約80世帯、380人というふうに聞いておりますが、その方々が土地明け渡しを求められてまさに生存権を脅かされている件について、人権擁護の観点から、あるいはこれは国際問題にも発展しかねませんし、さらには通商問題にも発展しかねないかなと思います。その理由は順々におわかりいただけると思いますが、この件について、人権擁護を任務といたします当委員会において質問をさせていただきたいと思います。
実は本年6月4日に、我が党の嶋崎議員を団長といたします党調査団を現地に派遣したわけでございますが、その一員として私自身、現地を調査してまいりました。それに基づいて、実情を報告しつつ若干御質問したいと思います。基本的には、我が国と特別の歴史的経過を有する在日外国人の人権の問題であろうかと思うわけですが、今も申し上げたとおり、同時にこれは外交問題にもあるいは通商問題にも発展しかねない大変重要な事件ではなかろうか、かように思うからであります。
それで、私自身調査に参りまして、ある程度事実関係について承知をしているつもりでございますが、念のために、事実関係についてまず若干確認をさせていただきたいと思います。
最初に、ウトロ地区というふうに以下略称させていただきますが、このウトロ地区における在日外国人の居住状況、これの国籍別あるいは男女とか大人、子供の別とか含めておわかりになれば、まず確認を願いたいと思います。
[053]
政府委員(法務省入国管理局長) 股野景親
ただいま委員からお尋ねのございました京都府宇治市の伊勢田町ウトロ地区でございましょうか、ここについて、当入管局において把握しております外国人登録の統計によりますと、まず、京都府の宇治市において、平成元年3月末の時点において2520人の韓国籍、朝鮮籍の方の外国人登録がございます。さらに今度は、その宇治市の中の地区になりますか、法務省の方では市区町村単位以下の特定の区域別の登録者数については常時集計をとっておりませんので、このウトロ地区に限っての登録人員の具体的な数というのは直ちには算出できないわけでございますが、このウトロ地区には相当数の韓国、朝鮮の方々が居住している、こう承知しております。
[054]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
わかりました。統計上は市町村単位でないと出てこない、あとは各登録を全部ひっくり返して住所を点検しなければ出てこないということでございますので、今の御答弁でやむを得ないかと思います。いずれにいたしましても、このウトロ地区に相当数の在日外国人、実質は韓国、朝鮮の方でございますが、居住しているのは、どうも今の御答弁からも間違いのないところのようでございます。
そこで、外国人登録上からは必ずしも確定できないということでございますので、もう一つの手段として、建物登記等について調査する方法があろうかと思います。私の知るところでは、このウトロ51番地上に33棟の建物、登記のある建物がある。それから同じく、中荒(なかのあら)と読むのでしょうか、60番には、4棟のこれまた登記のある建物があり、そしてそのほとんどが、所有者のお名前を見ますと、一見して韓国、朝鮮籍の方と思われる名前となっているようでございます。この点についてはいかがでしょうか。間違いないところでしょうか。
[055]
政府委員(法務省民事局長) 清水湛
お答え申し上げます。
先生の方からあらかじめいただきました資料によりまして調査しました結果によりますと、ウトロ51番地の土地上には33戸の建物が登記されております。うち、所有者の名前から韓国名ではないかというふうに推測される建物が22戸でございます。それから、中荒60番地の土地上には登記された建物が4戸ございますが、うち3戸につきましては、やはり韓国名ではないかというふうに推測されるものがございます。
[056]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
そうしますと、ウトロ地区に韓国、朝鮮の方が非常にまとまって住んでおられるという状況は建物登記からも裏づけができるかと思うわけでございます。
それからまた、それではウトロ地区の土地ですね、本件土地についての実体的な所有権がどうなっているかというのは後で触れますが、裁判等にもなっているようでございますのでその点には触れないことにいたしまして、登記上どうなっているかということにつきまして、これまた私の知るところでは、いずれもつい最近まで日産車体株式会社の所有名義になっております。そして、昭和62年8月12日付でしょうか、筆によっては若干日にちにずれもあるようでございますが、いずれにいたしましても、有限会社西日本殖産というところに売買によって所有権移転登記がなされているということのようでございますが、この点についても間違いないでしょうか。
[057]
政府委員(法務省民事局長) 清水湛
お答えします。
ウトロ51番の土地、それから中荒60番地の土地、それから南山21番地の2の土地につきまして、いずれも御指摘のように62年8月12日付の登記をもちまして日産車体株式会社から有限会社西日本殖産に対する売買による所有権移転登記がされております。
[058]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
そこで、少しさかのぼりますと、まずウトロ51番地については、もとは個人の所有であったわけですけれども、昭和15年6月29日付売買をもって日本国際航空工業株式会社に所有権が移転し、その後は昭和21年2月27日に日本国際航空工業が日国工業株式会社へと商号変更をされ、それから昭和37年8月1日付で、今度は会社合併によって日産車体工機株式会社という法人に所有権が包括承継され、そしてその後昭和46年6月1日にまた商号変更によって日産車体株式会社の現在所有になっているという経過です。ですから、この間ずっと、法人格的には同一の法人格を有する者の所有が継続していた。
それから、中荒60番地に関しては、これまた、かつては個人の所有であったのですが、昭和15年6月26日付売買で国際工業株式会社の所有となり、昭和16年7月1日付の会社合併によって日本国際航空工業株式会社の所有となり、それ以降はウトロ51番地と同じ運命をたどっているようでございます。
また、もう1筆、南山21番地の2、ここはウトロ51番地とほぼ同一の所有権の変遷をたどっているようでございますが、この点について、このとおり間違いないでしょうか。
[059]
政府委員(法務省民事局長) 清水湛
私どもの調査したところによりますと、お尋ねのとおりでございます。
[060]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
そこで今度は、実は私どもの調査したところによりますと、この土地に韓国、朝鮮の方が多数住みつくようになった経過といいますか、原因にさかのぼりますと、その詳細はまた次にお尋ねしますが、とりあえず承知しておるところでは、戦時中、昭和16年7月1日に日本国際航空工業という会社ができまして、そしてそこが京都飛行場の建設あるいは航空機の製造等に当たった、そしてそのために朝鮮人労働者を多数動員した、それが発端だというふうに聞いております。
そこで、その詳細な関係は後回しにいたしまして、とりあえず、この会社についての法人格の継承関係について確認をさせていただきたいのです。
これまた私の知るところでは、日本航空工業株式会社という会社と国際工業株式会社という2社が昭和16年7月1日に合併いたしまして日本国際航空工業株式会社という会社になった。そしてその後、昭和21年2月27日に日国工業株式会社と商号を変更した。一方、戦後の混乱期におけるいろいろな企業整理等々の関係で、昭和24年4月1日付で新日国工業株式会社というものが設立された。これは、旧会社日国工業からの相当部分の現物出資等によって設立された新会社のようでございます。そして、今の新日国の方が昭和37年1月1日付で日産車体工機株式会社と商号を変更した。そして、やや複雑になりますが、昭和37年8月1日に至って、旧日国、すなわち日国工業株式会社と、新日国が商号を変更いたしました日産車体工機株式会社が合併をいたしまして日産車体株式会社になった、このように承知しておりますが、このとおり間違いないでしょうか。
[061]
政府委員(法務省民事局長) 清水湛
日産車体につきましては、昭和34年以前の閉鎖登記簿につきましてはもう廃棄になっております。それから日国工業については、昭和24年以前のものが廃棄、つまり書類の保存期間経過による廃棄処分がなされておりますので、それぞれのその前の状況というのは、設立年月日等を除きまして内容は不明でございますけれども、御指摘のように、日国工業株式会社は昭和16年に設立されました。そのときの商号はちょっと現在の登記所の商業登記関係の書類でははっきりしないのですけれども、16年に設立された。昭和24年に第二会社として新日国工業株式会社を設立し、日国工業は解散したわけでございます。その新日国工業が昭和37年に日産車体工機というふうに商号を変更して、さらに昭和37年に、解散し清算中の日国工業株式会社を合併した。こういう経過になっているわけでございまして、御指摘のとおりであるというふうに思います。
[062]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
私、先ほど、ちょっとやや正確さを欠いたかと思いますが、新会社と旧会社が合併したのが昭和37年8月1日でございますが、この会社は日産車体工機という名称だったわけですけれども、昭和46年6月1日に至って日産車体株式会社と商号を変更したということのようでございます。今御確認をいただきました。結局のところ、現在存在いたします日産車体株式会社がこの飛行場建設等に当たった日本国際航空工業株式会社を法人格的にも同一性を持って継承しているということが明らかになったかと思うわけでございます。今の御答弁では、一部登記簿等からは確認できないというお話がございましたが、これはもう日産車体の30年史などというものから間違いのないところではなかろうかと思うわけでございます。
それでは、あと2分しかございませんが、今、この土地の上になぜ外国人が多数居住するに至っているかということについての原因等について少しお尋ねをしたいと思います。
私の知るところでは、この日本国際航空工業が飛行場建設あるいは航空機製造の国策会社として設立をされた、そして当時、逓信省が、なぜ逓信省なのか今となってはちょっとよくわかりませんが、京都飛行場の建設を決定し、そして京都府も協力して、この国策会社と三者一体となって飛行場建設に邁進をしたということのようでございます。その飛行場建設に朝鮮人労働者が大量に動員された。そして、日本国際航空工業の敷地内に飯場が設けられ、そこに居住をしていた。ところが、飛行場が完成しないうちに敗戦を迎え、事業は当然廃止になりまして、そして、多くの朝鮮人労働者は帰郷の費用を出されるとかいったことは一切ないままに、そのまま事実上解雇という形でほうり出されてしまった。そしてそのまま飯場に住みついた。当時約300世帯、1300人に上ったというように承知しておりますが、このとおり事実関係に間違いないでしょうか。これは、本来ならば日産車体の方にお答えいただくのが一番わかりやすいのですが、とりあえず通産省を通じて調査をお願いしてあったのですけれども、いかがでしょうか。
[063]
説明員(通商産業省機械情報産業局自動車課長) 鈴木孝男
お答えいたします。
先生今お話しになりましたように、戦前の昭和14年に日産車体の前身でございます国際工業、これが設立されまして、飛行機の組み立て工場あるいは飛行場の用地という建設のための土地を取得した。その土地の工事につきましては、当時大倉土木という建設会社に建設を委託いたしまして、その建設のために事務所あるいは飯場がこの敷地内に設置され、そのための建設の関係者がその敷地内に住まわれたということは、日産車体に確認いたしまして、そのようなことでございます。
その後、工場ないしは工事も終わりまして、戦後のいろいろな混乱の中でかなり多くの方々がその敷地内におられまして、ただ、それが建設関係の方々と同じなのかどうか、その辺は特定できませんけれども、かなりの多くの方が住まわれているということにつきましても、日産車体に確認したところでございます。
[064]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
それじゃ、午後にさせていただきます。
[067]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
午前中の最後のところで、通産省を通じて本件土地上に多数の朝鮮人、韓国人の方が居住するに至った経過についてお尋ねしたのですけれども、その中でちょっとはっきりしなかったのですが、日本国際航空工業、すなわち現在の日産車体の認識としては、当時大倉土木というところに建設業を請け負わせていたということでございますが、この朝鮮人労働者の雇用主体がだれであったかというような形式的なことはともかくとして、本件飛行場建設工事に、これは発注者が当時の日本国際航空工業であったわけでしょうが、従事した方々が当時の日本国際航空工業の敷地内の飯場に多数居住し、そしてまさに飛行場建設業務に従事していた。そして、その方々が敗戦で事業廃止後そのままその飯場に残った。その後の人の入れかわり等は当然あったかもしれませんが、当初の発端としてはそういう事情であったということについては、このような認識を日産車体として持っておられるのでしょうか。もう一遍確認を願います。
[068]
説明員(通商産業省機械情報産業局自動車課長) 鈴木孝男
お答えいたします。
大体先生のおっしゃったような認識だと思っております。
[069]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
そこで、当時の日本国内における朝鮮人労働者の状態はどんなものであったかということについてお尋ねをしようかと思ったのですが、これについて十分答えられる官庁が今政府内には存在しないということだそうでございます。それ自体、いかに私ども日本政府が戦時中あるいは戦前も含めて、朝鮮の方々に対してどんな仕打ちをしたのかということについての認識が全く欠ける、あるいは知ろうとしないことの一つのあらわれではなかろうかと思うわけでございます。歴史に対してきちんと直面をし、歴史を知ることのない者は現状判断することもできませんし、ましてや将来についての展望を持つこともできないのは明らかでございます。今の日本の出発の原点となった戦前戦時中の我々日本人の行った行動については、やはりきちんとした歴史認識を持たなければならないのではないかと思うわけでございます。
そこで、どこからも答えられないということでございますので、やむを得ず、私の方で若干知り得たところを、これは御報告の形になろうかと恩いますけれどもさせていただきたいと思います。
もとより、私とて歴史的な認識は大変浅いわけでございますが、戦前において、特に朝鮮を日本の植民地とした日韓併合以後、大変な朝鮮人の労働者が日本国内に流入しているわけでございます。その原因については、2つぐらいの要因があろうかと思います。
1つは、1910年から1918年にかけて行われました土地調査事業。これは近代的所有権の確立を名目として行われたわけでございますけれども、この際に耕地の多くが国有地とされてしまった。前近代的な土地の利用関係を無理やり近代的所有権、使用収益処分のすべてを備えた全き権利としての近代的所有権に当てはめていくということはいろいろな無理が伴うわけでございまして、そういうことは日本国内でも恐らく明治初期にあったのだろうと思いますけれども、まさにこのようなことが朝鮮半島において行われた。そのために、多くの土地が国有地にされる。そしてまたその一方で、露骨な植民政策によって、例えば東洋拓殖株式会社の土地所有が短期間に極めて大きく増大している。また、大小の日本人の地主の所有に帰する土地も増大した。そういった結果、結局朝鮮半島における自作農が土地を失い小作農になり、あるいは雇農になり転落し、そしてしかも、小作料が実に70%というようなまさに過酷な状況であったために多数の朝鮮人農民が離農せざるを得なかったというのが歴史的な1つの要因でございます。
それからもう1つは、第一次大戦後、日本国内の諸産業が大変勃興いたしまして、そのために多くの労働需要を生じた。さらに、後に至っては強制連行というような、これは戦争によって国内の労働力が払底したことに起因するわけでございますけれども、そういった要因が重なって日本国内に多数の朝鮮人労働者が流入したというのが歴史的な事実でございます。
どのくらいの方が流入したのかということについては余り調査も進んでないようでございますけれども、例えば坪江豊吉さんという方が、この方は公安調査庁などにおられた方のようですけれども、各種官庁資料によってまとめられた表がございます。これは「在日朝鮮人運動の概況」という出版物でございますが、1883年末には日本国内における朝鮮人労働者の人口はわずか16名だったのが、1909年末に790名、20年末には4万755人、30年末には41万9009人、38年末には79万9878人、40年末には124万1315人、44年末には193万6843人、45年、終戦の年には236万5263人。このように多数の朝鮮人が日本国内に流入しているという事実があるようでございます。この点について、日経連の専務理事をされました前田一さんの「特殊労務者の労務管理」という1943年に刊行された出版物によりますと、「欧州大戦勃発以降内地の産業は勃興し、事業界は未曽有の殷盛を告げ、労力の需要は頓に増かを来し、その結果内地労働者の吸収のみを以ては充分ならず、寧ろ内地人に比して賃金の低廉なる鮮人労務者を積極的に誘引するに如かずとする機運を醸成し」たといぅような記載があるのもその裏づけではなかろうかと思うわけであります。
さらに、強制連行でございます。これは、今まさに日韓間でホットな問題となっているわけでございますけれども、これについても十分な調査がなされていないわけです。
例えば、強制連行と俗に言っておりますが、これは法的根拠は国民徴用令でございまして、1938年の国家総動員法に基づいて翌年7月に発布されたのでございます。したがいまして、1938年、39年ごろから行われました強制連行に関しては、敗戦までの7年間に150万を超える、この中にはサハリンに連行された4万3000人の方を含むようですけれども、このように普通に言われているようです。客観的な裏づけのある資料といたしまして、第86議会説明資料に基づきますと、1939年、5万3120人、それから高等外事月報という公的資料によりますと、1941年に12万6092人、42年には24万8521人、43年には30万654人、さらに朝鮮経済統計要覧という公的出版物によりますと、1944年には37万9747人のようでございます。合計151万9142人がこの徴用令による強制連行の対象となったという資料もあるようでございます。
そして、その朝鮮人労働者の当時の生活状態はどうであったか、これについてもきちんとした調査が残念ながらなされていないわけですけれども、一般的に言われていることは、いわば公知の事実であろうと思いますが、労働条件は極めて劣悪で、賃金は日本人の約半分というのが常識であったというふうに言われております、そして、さきに挙げました前田一さんの同じ書物の中で、「彼等」というのは朝鮮人労働者のことでございますが、「彼等は極めて僅かな収入を得るに過ぎなかったが、その生活費も亦想像以上に低廉なもので、おそらく人間としての最低限度の生活を維持して居るに過ぎない状態であった。住居は粗末で壁は落ち屋根は打ち辛うじて雨露を凌ぐ程度のもの、殊に食物の点に就いてはよくもあれで生存に必要な栄養が接種されるものかと疑われる程であり、食ふ分量は多いが、彼等は全く米と塩と野菜で生きて居る有様であった」こういう表現がある。これはある意味で率直な表現ではなかろうかと思うわけでございますが、こういった状況であったことは間違いのない史実のようでございます。たまたまけさの新聞を見ておりましたら、「松代大本営工事の朝鮮人労働者「1000人以上が死亡」」、実際に徴用された経験を持つ韓国の方がそのような証言をソウルでされているというような記載がございます。
いずれにしても、大変過酷な、およそ人間として最低限度の人格の尊重もなされないような労働あるいは生活があったのではないだろうかということは疑う余地のないところであろうかと思います。
本件土地における朝鮮人労働者の生活についても他の例とほぼ同様であったと思うわけです。現に、このウトロ地区におられた、そして現在までおられるムンクァンジャさん、文光子と書くのですが9歳で日本に渡って、1941年、19歳でウトロに来た方ですけれども、その方の証言によりますと、「ウトロでは男はモッコかついで1日12~14時間、ムチで働かされていた。女は飯炊きだから、朝5時の食事作るのに3時起き。」というような証言があるわけでございます。
そしてまた、私自身が先般の調査で見たその飯場、ごく一部でございますが残っておりましたが、それはもう大変ひどいものでございまして、まさに掘っ立て小屋といいますか、屋根は片流れの屋根で、現在ではトタンぶき等になっておりましたが、当初はセメント袋のようなもので張ってあったそうでありまして、雨露をしのぐことすら不十分、飯場というよりもむしろテントに近いのではないかなという印象でございますが、そのようなところで起居していたということは間違いのないところのようでございます。現在では、私どもが調査した時点では、それぞれ皆さん自力で家を建て直しておられまして、中にはかなり立派なものもございますし、一応の水準にはなっているかなというふうに思いました。しかし、水道は実に1988年、一昨年になってやっと引かれたということのようでございます。まさに生存権が保障されていなかったということになろうかと思うわけでございます。
こういう実情であったということを、今のところは質問というよりは報告になりましたけれども、ぜひ法務大臣初め御認識をいただきたいと思うわけであります。
そして、このウトロ地区の朝鮮人の方々がたくさん居住していた土地が最近に至って売却をされるという事態が生じました。私の方で調査したところによりますと、2つ契約書がつくられておりまして、日産車体株式会社から許昌九という方に昭和62年3月9日付で4億円で売却されております。この方は日本名平山桝夫とおっしゃるそうです。そしてもう一つの契約書は、この平山さんから有限会社西日本殖産というところに昭和62年5月9日、最初の売買から2カ月後でございますが、今度は4億4500万円で売買をされているようです。なお、登記関係については、中間省略で日産車体から有限会社西日本殖産へと登記が移転しているようでございます。
そこで、国土庁の方においでいただいていると思いますが、これら売買についての国土法上の届け出はどのようになっていましたでしょうか。
[070]
説明員(国土庁土地局土地利用調整課長) 大日向寛畝
お答えいたします。
御指摘の土地につきましては、県を通じて調査したところ、昭和61年12月4日付で、譲渡人日産車体株式会社、譲受人平山桝夫を当事者とする国土利用計画法第23条の規定による届け出がなされまして、京都府において厳正に審査した結果、価格、利用目的、そういった面におきまして問題がないということでございまして、同法第24条第3項の規定により、昭和62年1月13日付で、届け出当事者に対し勧告を行わない旨の通知を行っているという報告を受けているところでございます。
[071]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
2つの売買を指摘したのですが、もう1つについてはいかがでしょうか。
[072]
説明員(国土庁土地局土地利用調整課長) 大日向寛畝
お答えいたします。
国土利用計画法の規定による届け出は、日産車体株式会社及び平山桝夫氏との間の売買に係るものでございまして、御指摘のような平山氏と西日本殖産との間の売買についての届け出はなされていないと聞いております。御指摘のような売買が仮に別途なされているという場合には、これは国土利用計画法違反という疑いも十分にございますので、早速京都府に対して事実関係の調査を指示するという所存でございます。
[073]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
そこで実は、有限会社西日本殖産の代表取締役が、一時期でございますけれども、この平山桝夫氏であったという事実もあるようでございますので、その辺は若干ルーズになされたのかなというふうに思うわけでございます。お調べを願いたいと思うわけでございます。
もう一つお尋ねをしたいのは、この国土法上の届け出、これは要するに価格が相当かどうか、価格監視を目的とする法律だと承知しておりますが、その前提として、この土地についての売買価格、価格幾らという届け出だったかについては守秘義務があるんだそうでございますのでお尋ねしませんが、前提として、何ら負担のない完全な所有権といいますか円満な所有権を前提とした価格設定として許可があったんでしょうか、その点いかがでしょうか。
[074]
説明員(国土庁土地局土地利用調整課長) 大日向寛畝
お答えいたします。
県に確認いたしましたところ、宅地所有権の売買についての届け出でございまして、所有権以外の権利は存していないという届け出内容になっている、そのように報告を受けております。
[075]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
そこで次に、今度は、実は最初に申し上げたとおり、この有限会社西日本殖産によって住民に対する追い出しの訴訟が今どんどん行われていて、そのために今まさに外国人の方々が生存権について脅かされているという状況にあるわけです。
それで、その裁判の状況について、これはわざわざ最高裁の方に来ていただくこともないかと思いましたので、あらかじめ調査をお願いいたしまして、私の手元に資料が届いております。それによりますと、追い出し訴訟が第1次から実に第18次までありまして、第1次が平成元年2月2日付、第18次が平成2年1月20日付、いずれも京都地裁でございましょうか、原告が有限会社西日本殖産、被告が地域住民でございまして、トータルで80人について追い出しの訴訟が行われている。いずれも建物収去、土地明け渡し訴訟でございます。それから逆に、地域住民の方から自分たちは所有権があるんだということを前提に、登記名義上の所有者がかわったらまた紛争が複雑になりますので、それを防ぐために、有限会社西日本殖産を被申請人としての処分禁止の仮処分、これも全部で6件申請があるようでございまして、そのうち1件は取り下げ、残る5件についてはいずれも認容をされている。もちろん保証金を立ててでございますが、されているという実情にあるようでございます。
以上で事実関係の確認等を終わらせていただきまして、この問題について一体どう見るべきなのか。まさに生存権が脅かされているわけでございますけれども、とりわけここで問題となるのは、やはり日産車体の対応ではなかろうかと思うわけです。きょうは日産車体の方に直接来ていただいておりませんので、欠席裁判になってはまずいかと思いますが、とりあえず私どもの承知しているところを御報告して、足らざるところがあれば、今国会でもし無理であればまた次の国会ででも、もちろんそれまでにこの事態が解決していれば問題ないのですけれども、あるいは参考人として来ていただくことも、この際お考え願いたいと思います。
この日産車体が何ゆえに結局は有限会社西日本殖産に売ってしまったのか、ここが私どもに大変不可解なところでございます。悪意にとれば、一種地上げに加担したのではないかともとられかねないわけですけれども、しかし、これについていろいろ私どもなりに状況を調査しますと、日産車体さんにもそれなりの方針があったのが結局思ったとおりにいかなかったというふうにも解釈されるわけです。できれば善意に解釈したいと私も思うわけでございますけれども、いろいろ調査いたしますと、日産車体さんはこのウトロに現に住んでおられる方に対して売却を考え、そのような申し入れをしたことも実はあるようでございます。申し入れ価格が6億4000万円であった、しかし、住民の側は先ほどからのような歴史的経過もあり、それは高過ぎる、公示価格でいいではないかというようなお話があって、結局まとまらなかったというのが事実のようでございます。
そして日産車体さんの方も、これは報道されているところによりますと、「57年ごろから土地所有の正常化を目差しA氏を通じて住民に土地買い取りを働きかけてきた。しかし、A氏と住民の交渉がうまくいかないため、A氏がまず土地を一括して買い取り、その後時間をかけて住民を説得することを計画。第三者に売るつもりは全くなかった、」このように釈明しておられるというふうに聞いております。このA氏というのが実は平山桝夫氏のことのようであります。
それからまた、他の報道によりますと、「(日産車体の担当者は)今、地元で問題になっている第三者への再転売については「絶対に転売しないということを(平山氏に)再確認している」」のだ、そして結局は居住者に買ってもらうという方針であるということも言明しておられるようです。したがって、日産車体としては、この平山氏を通じて最終的にはウトロ住民へのそれぞれ分譲を意図していた、この釈明を信ずれば、そのようにも解釈できるわけです。
ところが現実には、平山さんが有限会社から代表取締役を辞任してその後この会社と関係なくなって、今では行方不明になっているというような状況もあるようでございますけれども、結果的には、先ほど紹介しましたとおり、実にこの住民80人に対して18次にもわたる訴訟でまさに追い出しが今行われているという状況にあるわけです。これはやはり、日産車体がどのような主観的な意思があったかはともかくとして、現時点で見れば極めて無責任といいますか、何といっても日産車体が事態の収拾に当たるべきではないだろうか、また、当たるだけの能力を備えているのは日産車体ではないだろうかというふうに常識的に判断されるわけでございます。
そこで、これについてどうするかということを考えなければならないわけですけれども、私はドイツのベンツ社がとった行動についてここで御紹介をしたいと思います。日産と同じ自動車のメーカーであります西ドイツのベンツ社で、こういうことがございました。
世界で初めてガソリン四輪車を開発したことの100周年記念事業として社史の編さんを企画して、これをケルン市の企業史調査協会というところに委託をしたんだそうです。そういたしましたら、その協会の調査の過程で、ナチス政権下の1933年から45年にかけてユダヤ人その他をベンツの工場で強制労働に付したといいますか、そういうことが明らかになった。これに対してベンツは何をしたかといいますと、早速このことを自己批判いたしまして、そして、そのとき強制労働させられた方が今どうなっているか、あるいはその子々孫々がどうなっているか、もはやわからないわけでございますけれども、それにもかかわらず賠償金として2000万マルク、邦貨にして14億4000万円を支払うことにした。結局、ユダヤ人協会等に寄附をするという形をとったようでございます。
そして、このベンツの行動に関して、ベンツの広報担当のウースラ・スタイン女史という方はこのように言っておられます。「金は問題ではない。われわれのことを忘れずに調査してくれたことに意義があると、多くはこう評価してくれました。」ユダヤ人側がそう評価してくれたという趣旨だろうと思います。「だれに言われて始めた訳でもない、自主的な決定であることを私も誇りに思います。」このように言明をしているそうです。
この同じ自動車会社のドイツのベンツ社と比較して、日産車体の対応は余りにもお粗末だと言わなければならないかと思うわけです。この問題は、後でお話ししますが、外交問題あるいは通商問題にも発展しかねない極めて重要な問題を含んでいると思います。
何はともあれ、これは基本的には人権の問題、しかも人権の中でも最大の、最も根源的な生存権の問題であろうかと思います。今これまでるる説明いたしました経過について、ひとつ人権擁護についてを職掌とされます法務大臣、どのように受けとめられますか、率直なところをお聞かせ願いたいと思います。
[076]
法務大臣 長谷川信
委員お話しのとおり、人権は法務省の最も大事な仕事でございます。昨年の2月に訴訟が提起をされていることは承知をいたしておりますが、法務省の人権擁護機関としては、関係者においてできるだけ円満に解決されるよう願っているところであります。
なおまた、今後とも委員の御意見も十分体していろいろ検討、研究をいたします。
[077]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
現に訴訟の行われることでございますのでいろいろ技術的にも難しいところはあろうかと思いますけれども、今の大臣の大変前向きの発言、大変ありがたいと思うわけでございます。特に、訴訟はあくまで有限会社西日本殖産と住民との間で行われているわけでございますので、その訴訟とは全然別に日産車体が事態の収拾に乗り出すということは何ら問題ではなかろうと思いますし、そのような方向に行政庁等が何らかの働きかけをするということは決して裁判に対する干渉等にはならないのではないかとも思いますので、ぜひ今のような方向で大臣の御努力をお願いしたいと思うわけでございます。
そして今、現時点では日産車体はもうこれは売ってしまったものだからどうにもならないという、いわば逃げの一手のようでございますが、先ほども紹介したとおり、ドイツのベンツ社の対応に比べて余りにもお粗末ということは免れないかと思うわけです。これは私は外交問題にも発展しかねないというふうに思うわけです。
それについても思い出すのは、先般国会で韓国の盧泰愚大統領が演説をされました。この演説について一議員であります私が批評がましいことを言ったり評価するようなことを言うのは僣越でございますので、それは差し控えますが、率直に言って大変感銘を受けたものでございます。衆議院の本会議場を埋めていた衆参両議員ひとしく感銘深く聞いたのではないだろうかと思うわけでございます。
その中に、次のような一節がございました。
戦後45年が過ぎ、世界大戦を経験したヨーロッパ諸国がひとつの共同体を築きあげている現時点まで、われわれ両国民は過去の過ちに対する認識と感情を整理できずにいます。
「われわれ両国民」というのは、言うまでもなく韓国の方と日本人でございますが、このように率直に言っておられます。そして創氏改名などの事実をさらっと触れた後、このように言っておられます。
過ぎ去ったことは神でさえも変えることはできません。しかし歴史は現在のわれわれが過去をどう考え、どう理解するかの問題です。つまりわれわれの行動次第で過去の束縛を断ち切り、過去の残滓を消し去ることができるのです。われわれみなの勇気と努力が必要とされています。
これに関連して私がこの席で特にみなさまにお願いしたいことは、過去の歴史によって日本に居住することになった70万の在日韓国人の問題です。かれらは日本人と戦争の苦痛を共にし、戦後日本の再建と発展に参与しました。かれらが親しい隣人として何の不便もなくこの国で暮らすことができるとき、両国民は韓日友好を胸に感じとることができるでしょう。
こういう内容がございました。
この内容から見ますと、今回の追い出し訴訟が次々に行われているという事態は、外交的な配慮からも大変まずいのではないだろうかというふうに思うわけでございます。本来、人権の問題でございますから純粋に人権の問題として考えるべきなんでしょうが、したがってやはり、功利的な観点から外交上まずいとかいうのはある意味では間違った考えなのかもしれませんが、人権についてはそれぞれ人によっているんな感覚がありますので、こういった功利的な物の言い方をせざるを得ないかとも思うのですけれども、この点について、例えば韓国の日刊全国紙でありますハンギョレ新聞に大変大きく報道されております。これは1990年5月25日付でございます。それから、同じくことしの5月17日付慶南日報にも大変大きく報道されているわけでございます。
さらに、これは日本の新聞ですけれども、本年4月10日の英字新聞、ジャパンタイムズでございますが、大きく報道されております。したがって、在日のすべての外国人、英語を話す方々には広くこの事実が知れわたっているようでございます。
見出しによりますと、韓国人の、朝鮮人というのでしょうか、「コリアン」という表現ですが、コリアンの民族集団が「ファイツフォーサバイバル」、生存への闘いをしている、そして、第二次世界大戦当時の強制労働のゲットーに対して、デベロッパー、開発業者が、権利を越えているということで対決している、というふうに訳すのでしょうか、そういうサブタイトルがついておりまして、中ほどの見出しには、「ウェンジャパニーズピープルウオントツーユーズアス、ゼイドゥー。ウェンウィアーノーロンガーネセサリー、ゼイアバンダンアス」という住民の言葉が出ております。翻訳すれば、「日本の人たちは私たちを使いたいと欲したときにはそうした、そしてもはや我々が要らなくなったときには彼らは捨てた」ということのようでございますが、このようなかなり大きな見出しのついた報道がなされております。
これはやはり捨てておけないことではないかと思うわけでございますが、外務省の方、いかがお考えでしょうか。
[078]
政府委員(法務省大臣官房審議官) 川島裕
お答えいたします。
訴訟の案件自体は係争中ということで、外務省として立ち入った具体的コメントをすべき立場にないようには思いますけれども、ただ、まさに先生が明らかにされましたように、この在日韓国・朝鮮人の方々がこの地域に在住するに至った経緯というものを考えますと、やはりこの問題が公平の見地からできる限り速やかに解決されることを外務省としても期待しておるということでございます。
[079]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
さらに、通産の方にもお尋ねいたします。
日産車体というよりもオール日産というふうに考えますと、韓国ともいろいろな通商関係があるんじゃないかと思いましてお調べいただいたところ、これはメーカー限らずすべての自動車ですけれども、日本から韓国への輸出が、1986年に2万914、87年に17万8499台――ああ失礼、台じゃなくて、これは単位1000ドルで、金額でございました。したがって、どう言えばいいんでしょう。ちょっと教えてください、日本から韓国への自動車の輸出実績。済みません。
[080]
説明員(通商産業省機械情報産業局自動車課長) 鈴木孝男
お答えいたします。
先生御質問の、韓国との自動車の輸出入でございますが、実は韓国は最近まで完成車の輸入を制限しておりまして、現在は輸入制限が解除されましたが、我が国との大幅な入超を理由に事実上輸入が禁止されておりますので、金額ベースで申し上げますと、89年度は日本から韓国への輸出が1268万ドル、輸入が480万ドルと、自動車の貿易としては大変限られた貿易になってございます。
なおまた、技術導入、技術移転等につきましては、日産グループとしては現在、韓国に技術を2件供与している、このようなふうに私どもは確認しております。
[081]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
いただいた資料に、金額、単位1000ドルでの表がございますが、これをちょっと説明していただけますか。
[082]
説明員(通商産業省機械情報産業局自動車課長) 鈴木孝男
お答えいたします。
先生にお渡しいたしました資料は、金額、単位1000ドルでございまして、今、私引用しましたのは89年度で1268万ドルでございますので、台数で受けますとおよそ数1000台、年によって違いますけれども、台数は数1000台ぐらいのオーダーでございまして、金額で申しますと1200万ドル台というような形で推移している、こういうふうに御理解いただければと思います。
[083]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
韓国が自動車の輸入を禁止しているとかで、数量は余り多くないそうでございますが、今もお話ありましたとおり、技術移転等で技術提携も行われているようでございますし、それから朝鮮系の方は韓国だけではなくてアメリカ西海岸などにも多数いらっしゃいますし、もちろん日本にも多数いらっしゃるわけです。それで、このようなことを放置しておりますと、私は通商問題にも発展しかねないのではないだろうか。もちろん日産車体が問題なんですけれども、日産車体という会社は日産自動車が42.59%の株を持つ、したがって日産自動車の子会社と言っていいかと思うのですけれども、そういたしますと、オール日産に波及しかねないのではないだろうか、大変憂慮するわけでございますが、どうでしょうか。
この人権問題について、功利的な考え方それ自体あるいは正しくないのかもしれませんが、これはわずか4億円で売っているのですよ。4億円という数字は、私どもから見れば天文学的な数字ですが、大きな会社にとってはそれほど大きい数字ではないのではなかろうか。また、一部の人にとっては株転がしですぐもうける程度の金額なのかもしれませんが、それはともかくといたしまして、この程度のことでこの問題の処理を誤ると大変まずい結果になるのではないだろうか。また逆に、先ほどのベンツのケースで紹介しましたわけですけれども、この問題について適切な処理をすればこれは企業のイメージが大幅に上がるということではないだろうかというふうにも思うわけでございますが、通産省としてはどんなふうにお考えでしょうか。
[084]
説明員(通商産業省機械情報産業局自動車課長) 鈴木孝男
お答えいたします。
現在係争中の問題点につきましては、私どもコメントをする立場にございませんし、また私人間の取引という制約もございますが、先生の御指摘のような形で今具体的に本件が自動車の問題で日韓の通商問題として顕在化する懸念は、私どもそこまでは認識しておりませんが、そういったことも将来生じ得るというようなことにつきましては十分状態を見きわめる、この点につきましては外務省さんとも十分連絡をとりまして、私どもも今後の事態の推移を見守っていきたいと思っております。
[085]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
先ほどから再三言っておりますとおり、これは基本的には人権問題でございます。特に、人権の中でも最も基本的な権利である生存権の問題であろうかと思います。したがって、外交上まずいのじゃないかとか通商上まずいのじゃないかという言い方自体があるいは批判を受けるかもしれない、功利的な考え方かもしれません。しかし、それはともかくといたしまして、私はこれは大変重大な問題を含むと思います。ぜひこれは処理を誤らないようにお願いしたい。
というのは、先ほどから日産車体をやり玉に上げているわけですけれども、実はそれだけの責任ではないわけでして、これは日本人全体あるいは日本政府が戦前戦時中についての歴史的事実についてきちんと認識をしていない、そして戦後そのことについてのきちんとした対応をしていない、その意味ではいまだ戦後は終わっていないと私は思うわけですけれども、その一つのあらわれではないかと思うわけでございます。
そして、とりわけ本件については、最初に申し上げたとおり、この飛行場建設については当時の逓信省、なぜ逓信省なのかよくわかりませんけれども、これが深く関与している、京都府も協力している、いわば官民一体で飛行場の建設を行った。その中で朝鮮人労働者が大量に動員され、そして先ほど紹介したような極めて劣悪な状況、劣悪な労働条件あるいは生活条件の中で、およそ人間たり得ないような生活を強いられた、そういう歴史的な事実を直視するならば、これはやはり一民間企業に解決を任せる問題ではなくて、日本人全体が、そしてとりあえずは行政府が真摯に取り組まなければならない問題ではないだろうかと思うわけでございます。
私ごとで恐縮ですが、昭和19年に生まれた私など、戦時中の事柄について事実としても不勉強であったかもしれませんし、また、そのころの日本人の行動について一体どう責任をとっていいのかよくわからないところがございます。やはり歴史的な事実をきちんと勉強し、把握をし、そしてそのことを現在の行動及び将来の我々の行動に生かす、これが私自身を含めて現在の日本人にとっての責任のとり方ではないだろうかというふうに思うわけでございます。その意味で、現在、現時点でなおこのような在日外国人に対する極めて過酷な追い出し訴訟などが行われているということは、まさに同時代のこととして私としてはどうしても座視することができないわけでございます。一日本人としてこのことを放置することはできない、そういう思いを先般の調査で強くいたしたわけでございます。
重ねて法務大臣、恐縮でございますが、先ほど大変前向きのお言葉をいただきましたけれども、現時点で行われている事柄でございまして、しかも、先ほどからるる申し上げているように国も関与した事実でございますので、その辺を踏まえて、もう一度ひとつこの問題について、積極的に人権救済という観点からお考えをいただけたら大変ありがたいと思います。
[086]
法務大臣 長谷川信
先ほど御答弁申し上げましたように、法務省の人権擁護機関としては、関係者においてできる限り円満に解決されるよう願っておるところであります。なお、今係争中でございますので、法務大臣がこっちがいいとかこっちが悪いとかコメントすることは正式にはできないことに相なっておりますので、その点は御了承いただきたいと思います。しかし、人権問題は十分また考えなければいけないということも含めてであります。
[087]
日本社会党(社会民主党) 小澤克介
終わります。ありがとうございました。