通州事件

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昭和35年05月17日 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会
[013]
日本社会党(社会民主党) 森島守人
この点に関連しまして私があげたいのは、河北事件直後に生じました通州事変というえらい事件がございました。これは外務省のお方でどなたか御説明のできる方が来ておられますか。アジア局長がお差しつかえがあるというので、三宅審議官に御出席を求めておいたんですが、どうなりましたでしょうか。――事務当局で悪ければ、藤山外務大臣、御承知でしょうか。

[014]
外務大臣 藤山愛一郎
残念ながら、よく存じておりませんので、条約局長から答えさせます。

[015]
政府委員(外務事務官(条約局長)) 高橋通敏
私承知しております範囲では、通州の日本人虐殺の事件ではないかと考えておりますが、当時、親日の軍隊でありました殷汝耕の軍隊が加州に駐屯しておりまして、そしていろいろな事情が起こりまして、そこで日本人の虐殺が行なわれたという有名な事件であります。

[016]
日本社会党(社会民主党) 森島守人
時間を急ぎますので、私から御説明申し上げましょう。

河北事変が起きました当時、岸さんも御承知だと思う。早稲田を出た殷汝耕、日本人を奥さんに持っておった殷汝耕氏が巽東23県にわたって巽東反共自治政府というものを作っておりました。これは完全に関東軍の配下にあったと申して差しつかえないと思います。ところが北京で事件が起きました。そういたしますと、天津軍の方では、日本の味方をするのだ、巽東政府はいわゆるかいらい政権だ、何事も日本にたよっておった政府でございますから、日本に応援をするものだというふうに考えておった。ところが事件が起きますと、殷汝耕の麾下、巽東政府の麾下における保安隊が一挙に決起しまして、同地における日本人300数十名――1人逃げたのがおりますが、それを除きましては、全部みな殺しにあった事件がございます。これはシベリア出兵当時における尼港事件と同様な事件でございまして、日本の国民としては、今も忘れてはおらない大きな事件でございます。

この事件がどうして起きたかと申しますと、天津軍飛行機を、巽東政府の領空かどうか、領空と申して差しつかえないかどうか知りませんが、海の方に飛ばした。誤って爆弾を一発落とした。そうしますと、日本が助けてくれる、一緒に戦ってくれると思っておった殷汝耕の巽東政府の保安隊は、自分たちをみな殺しにするのだということで、一挙にして立ち上がった。そうして通州在住の日本人を300数十名虐殺したのが通州事変の真相でございました当時、軍におきましては、誤って爆弾を落としたということは秘密にしておりました。しかし、真相はその通りでございまして、これはわが方がみずから招きました事件と申して差しつかえない。

私は、U2機の働きいかん、今後の活動いかんでは、悪意がなくても、誤ってこういうふうな事件をも起こしかねない危険があるのではないか、少なくとも、私は、この可能性があると思うのでございまして、政府としては、ただ一片の、形式上のアメリカの政府回答に信頼することなく、もっと進んで真相も御調査になって、そうして適当なる措置、すなわち、この際、強硬にU2機の日本からの撤退を要求されることが日本国民の安心を招くゆえんであると私は痛感しておる。こういう前例があるのですから、その間の事情をも十分御説明になって、適切なる措置をおとりになることが、私は、政府としてとるべきこの際の措置だと存じておるのでございますが、これに対する御感想を伺いたいと思います。



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