ベチューン医科大学 ~ ハニートラップとODA

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平成10年04月30日 衆議院 本会議
[037]
自由党 西村眞悟
(前略)

橋本総理大臣、多くを申しません。総理はみずから、中国衛生部の通訳として初めて出会った人物に、以後、大変苦労をかけたので慰労もしたし、ともに食事をしたと認められました。

しかし、その後、その人物の我が国裁判所における証言によって、その人物は北京公安部に所属していたことが明らかになったのでございます。

衛生部と公安部。いずれにしても、その人物は中国の公務員であったことは事実でございます。公務員とは、我が国の官僚がそうであるように、国の命を受け国の指示のもとに動く職業人でございます。従って、その人物が総理と出会うことが既にその国の指示でありました。総理はこの単純かつ自明のことを軽視されてはなりません。

5月1日に発売される雑誌では、「橋本首相「中国人女性」とODA26億円の闇」と題する論文が掲載されますが、そのサブタイトルは「”深いクレバスに陥ちた”愚相の顛末」とあります。

さて、その中では、中国政府高官が実名で、「彼女に与えられた最大の任務は、中日間の巨大プロジェクトであるベチューン病院の建設を成功に導くことでした。そのために彼女は、表面上は衛生部の通訳として橋本先生を担当したのです。」と述べており、また、他の高官が彼女のことを、「国家への貢献度はきわめて高い。何しろ個人を犠牲にして国家のために貢献したのだ」と述べたことが紹介されております。この発言が何を意味するか、議員諸兄姉の御判断にお任せいたします。

総理は、その人物は今人の奥様でプライバシーがあると私の質問を遮ろうとされました。しかし、総理が交際されていた時点においてもその人物は既に人の奥様であり、総理との交際のゆえに離婚に至ったと、前の夫は日本の裁判所で明らかにしたのでございます。世界じゅうで、夫のいる外国の公務員と交際し、その夫から、自分たちの離婚原因はまさにその交際にあると裁判で指摘されている総理大臣をいただくのは、我が日本国と日本国民だけでございます。

総理、その中国の公務員との交際の実態はいかなるものであり、それは節度を超えているのかいないのか、中国政府はその交際から総理のいかなる情報を得たのか、総理の対中国姿勢に影響があったのか否か、国益と日本国総理大臣の気概と誇りにかけて、この場で国民の前に弁明していただきたい。

(後略)

[038]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
(前略)

次に、中国との関係についてお尋ねがありました。

たびたびお答えを申し上げておりますが、中国衛生部の通訳の方につきましては、私が中国に行き、また中国衛生部の要人が来日する機会に、中国衛生部の通訳として働いてもらいました。御苦労さんという意味で食事をしたことがある、ごちそうしたことがあるということも申し上げております。

なお、通訳として彼女が知り得たことは別として、政治家として、あるいは閣僚として、国益を損なうような話をその方にしたことはございません。

同時に、初めて訪中した当時から中国に対する私の姿勢は一貫しており、今日もその中国への姿勢は何ら影響を受けておらないことは当然であります。

(後略)





平成10年05月15日 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会
[078]
公明党 福本潤一
この中で、中国への65億ドルというのは突出して大きいわけでございますが、今、巷間の週刊誌また日刊ゲンダイ等にも橋本総理の関係のニュースが出ております。我々もちょっと心配になります。地元日本人として、こういうことはないはずだというふうには思いますが。

例えばODA予算、書き方によりますと、中国のスパイの可能性のある女性が日本のODA予算をとりたいため、例えばベチューン医科大学に26億円の無償援助を橋本総理が大蔵大臣のときに供与されておると。しかも、供与されている女性の元御主人から、現在、東京地裁に女性夫妻は訴えられておると。しかも日刊ゲンダイによると、ODAの金額は、26億円以上の1000億円に上る見込みだという形で加藤昭という人が書いておられる。一度参考人に呼びたいぐらいの人ですが、これはまた別の、予算委員会のマターでございます。

そういう形でやっていった場合、ODA予算が、今までは、マルコス疑惑のときは受け取った側の方が不正に使っていた。今度は、与える側の方がそんなことをやっているという疑いもあると。これは早いこときちっと外務省として、ODAを担当しているところとして、適切な対応をしないと大変なことになりはしないか。尾ひれがつくんですね、こういうのは。何か中国に2人の間に7歳の女の子がおるということまで出ておるんです。ですので、万一こういうことがあった場合、ODAに対してどういう責任を外務省はとられるのか、一つの信念としても聞かせておいていただかないと。

昨年の対外経済協力小委員会で、私もODAの基本法をつくるということで対応したにもかかわらず、なかなか外務省から色よい返事をいただけなかった。それで、むしろ私の方はODAで特別委員会をつくろうというふうに思っています。

そういう意味では、ODAに対する外務省の姿勢として、万一そういうことがあったらどういう形の責任問題になるのかということをきちっとお伺いしたいと思います。

[079]
政府委員(外務省経済協力局長事務代理) 堂道秀明
委員御指摘の中国の件でございますが、私どもは、今までの中国への援助につきましては、中国政府の要求、それからその要求が果たして妥当なものであるかどうか国民の生活の向上に資するかどうかという観点から審査をした上、あるいは調査をした上決定しているつもりでおります。今度その評価につきましては別途評価を行っておりまして、会計検査院の検査もございます。

そうしたことを踏まえまして、あるいはODA大綱も踏まえて、私どもとしては、我が国の援助が本当に有効になるような形でやっていきたいと思っております。





平成10年05月20日 衆議院 緊急経済対策に関する特別委員会
[144]
自由党 西川太一郎
中華人民共和国に、カナダのノーマン・ベチューン医師の中国に対する業績をたたえるベチューン医科大学というのが長春に建設をされることになり、そこに病院の機材を我が国が供与する、これは現金で無償援助をされたわけですが、これの合意が1989年の10月になされているのですね。天安門事件は同年の6月です。たった4カ月前にあれだけの流血の事件が起こり、私どもが所属をする西側諸国はこれに対して厳しい態度で臨んでいる、そのさなかに、私どもの国は当時の中国に対して、初めは21億円の計画であったものが、最終的には5億円が上積みされて26億円という形で供与をされた。

それで、私の方から申し上げますけれども、当時、中国から日本に求められていたと思われていたのですが、実は日本側からこれを言い出したという事実はあったのですか、このベチューン医科大学の無償援助。

[145]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
ただいま御指摘のありましたベチューン医科大学に対します協力でございます。

これにつきましては、長い間、日本の幾つかの大学が技術協力をしておりました。北里大学、兵庫医大、東北大学等々だったと思いますけれども、技術協力をやっておりました。そういうことで、日本医学を中国に導入するという試みもなされておったわけでございまして、そういう流れの中から、このベチューン医科大学の附属病院の新設という話が中国側に計画としてあったわけでございますが、そういう状況の中で無償資金協力という話が出てきた、こういう経緯をたどったものでございます。

[146]
自由党 西川太一郎
13カ所のポイントがあったそうです、日本が中国に求められていた援助が。そして、プライオリティーとしては、このベチューン医科大学は13番目だったそうです。それが、ある日突然、3番目に繰り上がった。これが、橋本龍太郎さんが関係していたという事実がいろいろと述べられているわけですよ。

これは、向こう側から、中国側から求められたのではなくて、日本側から言い出したのだ、だから、天安門事件があろうがなかろうが、その援助はやめられるはずがないのだ、だから、そういう意味で中国はこれに対して何の借りもないのだ、日本側からやらせてくれと言ってきたんだ、おまけに21億円を要求したら5億円も上積みされたのだ。こういう事実は、あなた方御存じないのですか。

局長にまず伺います。

[147]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
ベチューン医科大学の無償資金協力につきましては、日中国交正常化が成りまして、中国に対します日本の経済協力が始まってほぼ10年を超えた時点でのことでございますけれども、中国の東北3省、日本と歴史的にも関係の深いところでございまして、その中核的な病院をこのベチューン病院というのが果たしておったわけでございます。そういうことと、それから、当時、中国に対しますいろいろな協力案件がやや北京に偏り過ぎておりまして、地方展開がちょうど始まりかけたころでございまして、上海とかあるいは内陸部に対する協力がございました。そういう背景が一つございます。

それからもう一つは、日中友好のシンボルとされております日中友好病院、これが83年、84年ごろに完成をいたしていくわけですが、この立ち上がりの段階で大変にいろいろ苦労がございまして、一つは、この日中病院のスタッフの養成といったようなこともございました。

そういうことで、日本語による医学教育をやっておりますベチューンの大学への支援ということは非常に意義があったわけでございまして、中国側からの要請が89年10月に参りまして、いろいろなきちんとした正式な調査を踏まえて、90年11月に正式に交換公文に至ったということでございます。



[156]
自由党 西川太一郎
もう残り時間、わずかですから、これはこの問題の冒頭に申し上げたとおり、きょうは予告編ですから、本編はさらにいろんなところでやらせていただきます。

実は、今申し上げたことは全部公表されている事実です。したがって、憶測であったりいいかげんなことで申し上げているんじゃありません。その種のものはもっと山のようにあります。金額にして2000億円ほど、その種のものが特定のある政治家、この方の部分であるんです、ODA絡みで。だけれども、限定して、このベチューンの問題について私どもはお話をしたわけです。特定の中国側の方と、日本の、当時閣僚でもない、党の幹事長代理であった方が、21億円という原案を、ただいまの局長の答弁でも私は納得できないのは、突如として5億円が上積みされた。

今局長おっしゃるとおり、精査をして、大事なお金だから、ふやすわけにもいかないし、また、つましくして目的が達成できなければいけない、それはよくわかります。だけれども、このケースについては、何度も申し上げますが、中国の優先順位が、89年当時の時点で13項目の援助の対象があった中で13番目に位していたものが、ある日突然3位に躍り上がったこと、そしてその理由は、これは確実にできる、日本側の有力な政治家が後押ししているから確実にできるからということが当時の中国のしかるべきところに届いて、その結果、順序を変えようということになったそうであります。こういう事実。それから、今申しましたとおり、たとえ5億円であっても、突然これが上積みされたという事実。日中友好病院については、同時期に、100億円だったものが164億円にふえたという事実ももちろんあります。

私どもとしては、突然そういうものが何で出てくるのかなと。そこに外務省よりもむしろJICAの方がいろいろと技術的、専門的立場から具申されるから予算が上積みされるんだろうと思ってお尋ねしたわけでありますから、これについてはまた後日きちっと、その衝に当たられた方にお出まし願って答弁をしていただくことをお願いいたしまして、時間でございますので、そういう国の大事な問題が、個人的な、属人的な、醜聞に属するような関係で決められるということがあってはならないということを申し上げて、質問を終わりたいと思います。

ありがとうございました。





平成10年05月22日 参議院 本会議
[076]
自由党 平野貞夫
自由党を代表しまして、橋本総理に質問いたします。

この法案は、本来なら憲法に規定すべき内閣の権能や行政府の責務、すなわち国益に直結する諸問題が含まれております。橋本総理が六方を踏んで、火だるまになって大改革に臨むというなら、その前に国益を侵したと言われている中国とのODA疑惑を晴らしてからにすべきであります。

この疑惑は、売国の行為とまで論評されております。このままでは、行政改革を行う政治的、道義的資格はありません。

冒頭に、若干の事実関係を確認しておきます。

まず、総理は、国会で一貫して問題の朱●●さんの職務を通訳だと答弁しております。国際協力事業団の「ベチューン医科大学 日中連誼病院機材整備計画 事前調査報告書」と、同じく基本設計調査報告書の2つの報告書には、朱さんの職務を衛生部外事司官員と記載し、通訳としては別に4名の氏名を記載しております。

なぜ総理は通訳にこだわるのか理解できません。個人的に通訳を依頼したのなら別ですが、日本の公文書にきちんと職務が記載されていることをどう説明されますか。総理の国会答弁は虚偽の答弁であることを認めますか。

次に、総理は自民党幹事長代理のとき、1988年8月13日、ベチューン医科大学病院を視察し、そこで無償援助がうまくいくよう関係者から陳情を受け、そのとき朱●●さんは、衛生部外事処の実務責任者として対応していると、中国現地で関係者に確認した記事と写真を雑誌「諸君!」は載せております。これらの事実をお認めになりますか。

さらに、このプロジェクトの無償援助には多くの不透明さがあります。日本側が一たん21億円と回答したのに対して、中国側は陳情を重ね、最終的に5億円が上積みされ26億円になっております。総理はこの時期大蔵大臣でした。中国の関係者は、橋本先生が大蔵大臣に就任されたのが幸いして増額を認めていただいた、感謝の言葉も見つからないと雑誌「諸君!」に証言しております。どのようなかかわりがあったのですか。ここに国益を侵したと言われる総理に対する疑惑があるのであります。

これらの記事を書いた筆者は、日本人としての怒りから質問状を出したところ、総理の事務所の回答はノーコメントだったそうです。ノーコメントで済ませる問題ではありません。

この問題を総括すれば、さんはODA対策の交渉員であり、橋本総理は彼女の働きかけを長年にわたって受け、彼女の任務に政治家として手をかしてしまったということになります。総理はこの責任をどう感じておられますか。

中国ODA疑惑に対して、国民が納得する説明を要請しまして、本論に入ります。

(後略)

[077]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
平野議員にお答えを申し上げます。

冒頭、ベチューン医科大学病院に関連し、幾つかの御質問がございました。ベチューン医科大学の件を私が初めて中国側から聞きましたのは、記憶が必ずしも定かではありませんけれども、たしか昭和56年ぐらいではなかったかと思います。日本でなら命が助かる発展途上国の方々の生命を一人でも多く救いたい、この世に生をうけた乳幼児の死亡率を1%でも下げたい、そうした思いから、私は発展途上国への医療協力には積極的に取り組んでおりました。そしてそのプロジェクトに日本から経済協力をしてほしいという、その話を中国側から初めて伺ったとき以来、私はその重要性を、必要性を折に触れて訴えてまいりました。たしか、日本語による医学教育を行っていたこともありまして、日中友好病院のバックアップにもなるし、歴史的にも密接な関係にある東北部の中核も必要だと、そうした判断であったと思います。

なお、お尋ねの方は、私が中国に行き、また中国の衛生部の要人が来日されたとき、中国衛生部の通訳として仕事をしておられました。その方が通訳以外にどういう仕事をしておられたのかは私は存じません。また、昭和63年に訪中した折、たしかその方はおられたと思います。関係者から陳情を受けたかというお話がありましたが、昭和56年ころからこのプロジェクトについてのお話は伺っておりました。ですから、そのときにどうこうという記憶はありません。

また、この無償援助につきましては、平成元年10月に中国側から35億円の正式な要請を受け、その後十分な検討、調査を行い、案件の妥当性を確認した上で、平成2年11月に26億円で交換公文の署名が行われたと大筋は承知をいたしております。

以上申し上げましたように、私は、昭和56年ごろ以降、政治家としての私の信念に基づいて、我が国の協力を進めるべく努力をしてきたものであります。

(後略)





平成10年05月25日 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会
[170]
民主党(民進党) 伊藤基隆
月刊誌「諸君!」6月号に、中国民春市のベチューン医科大学附属病院に対する無償援助にかかわって、橋本総理に関する記事が掲載されました。この記事を総理は読んでいるでしょうか。

ベチューン医科大学附属病院への無償援助計画は、日中間の政府レベルで持ち上がって以降、一貫して特定の女性が折衝の場にいたとのことでございますが、総理は国会答弁の中で、その人は通訳であると言っておりますけれども、そのとおりでございましょうか。

「諸君!」6月号の記事によりますと、というその人は、中国衛生部外事処対外聯絡処・日本部に所属して、日中間で合意された病院建設の無償援助プロジェクトを進める責任者であったというふうにあります。このことを総理は承知していたんでしょうか。

私は、総理が通訳と認識していた人が日中政府間合意のプロジェクトの中国側の実質上の責任者であったとすれば、当時の総理の行動は不注意以上のものと言わざるを得ませんが、これは、総理自身のみでなく、総理を支えていたスタッフの対応にも問題があると言わざるを得ません。

この点について、総理の御見解をお聞かせいただきたいと思います。

[171]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
これは、私の名誉にもかかわることでありますので、委員の御質疑の時間が終了しておりますことは時計を見ますればわかりますが、しかし、多少お許しをいただきたいと思います。

中国との医療協力の問題は、私が厚生大臣に就任をいたしました昭和52年の暮れの時点において既に一部の論議が始まっておりました。そして当時、私自身が厚生大臣として阿波丸の遺骨の引き取りに参りました昭和54年の夏、当時は円借款として話をいたしておりましたものが、その後、大平総理の訪中の際に無償援助に変わりましたのが現在の日中友好病院であります。

そして、この日中友好病院の建設に円借款を与えるかどうかの判断をいたします際、本院議員武見敬三議員のお父君、故武見太郎先生に私は厚生大臣としてお願いをし、武見先生もちょうど中国側からの招待を受けておられましたので、日本医学会のメンバーを率い、当時の中国の医学の水準、医療の水準というものを調べ上げていただきました。そのときの調査報告は極めてすぐれたものでありました。全体のレベルを評価した上で、日中友好病院の将来に対してもさまざまな提言をいただいておりました。

議員から御指摘いただきましたお話は、この日中友好病院が、多分、工事を行い始めたころでありますから56年のどの時点かから出ていたと記憶をいたします。すなわち、病院の建物だけができましても、日中友好病院自体は、中国の伝統医学と日本から移しかえようとする西洋医学との組み合わせの中で一つのきちんとした姿を模索するという考えを我々は持っておりましたから、中国側にこれを受けて支える仕組みが欲しいという考え方は当時から関係者の中にあったところであります。同時に、中国の文化大革命以降の影響がまだ色濃く残っておった時期であります。

そうした中で、本当にちょっと医学が進めば助けられる人は、あるいは乳幼児の死亡率が、少しでもこれは治したいというのは、当時関係する者皆の夢でありました。そして、日本語で医学教育を行っているということからベチューン医科大学の名前は出てまいりました。今申し上げたように、たしか56年のいつごろからかであったと思います。そして、私は、それは大事な仕事だと思っておりましたから、当時から、こういうプロジェクトを進めることが大事だということはあちこちに対して一生懸命に説明をして歩きました。

そして、その話が最初に出ましてから何年か後に、政府間の話題となり実現に向けて動き出しましたけれども、その途中の何年でありましたか忘れましたが、どの時点がからその方は通訳として参加をされました。その方がどのような肩書を持っておられたかは私は存じません。しかし、会議の席において日中両側の会話をそれぞれの言葉に訳す、まさに私は通訳としてこの方を見ておりました。そして当時は、私が中国に行きましたからといって日本大使館からわざわざ通訳を貸してくれるほど私は外務省に信用がなかったんでしょう、両者の会話の中で仲介するのはその方でありました。ですから、そういう意味で存じ上げております。

その上で、私はベチューン医科大学のプロジェクトを日本がバックアップするように努力をしたことを政治家として全く良心に恥じておりません。





平成10年05月28日 衆議院 外務委員会
[068]
自由党 東祥三
外務大臣、前回の外務委員会におきまして時間が足りず、そのときに質問させていただく予定だった問題に絞って、与えられた28分間ですが、ベチューン医科大学整備計画に対する日本の無償援助について質問させていただきます。

この質問をする背景として、本年度、1998年度「諸君!」6月号で、大宅賞を受賞されている加藤昭氏が「橋本首相「中国人女性」とODA26億円の闇と称する衝撃的なレポートを現地調査を踏まえた上で書かれているところに起因いたします。

私は、橋本総理の男女問題については一切関心がございません。また、加藤昭氏も、橋本総理に個人的な怨恨があるだとか、橋本総理に対して何か鉄槌を食わせようだとか、そういう意思がないということも、お話しさせていただいてわかっております。また、加藤昭氏も明言されていたとおり、「自分自身が書いたものに対してちゃんと責任を持っております。どこに出てもそれなりにちゃんとしたお話をさせていただきたい。」このような決意を述べられていたことを踏まえた上で、この報告書を参考にした上で幾つか質問させていただきたい、このように思います。

また、外務大臣、このレポートをお読みになったかどうかわかりませんけれども、ここには一つのポイントとして、以前からいろいろな委員会等で指摘されている当該の女性の任務というのは、橋本総理が常々答弁している通訳という任務だけではなくて、それと同時に、日本の政治家に接近して中国向けの無償援助を引き出すよう種々の働きかけを行うという別の任務を有していた、そういうレポートが克明に記されているわけでございます。そして、彼女のもう一つの任務に二つの案件がありまして、一つは日中友好病院に対する日本からの無償援助を獲得すること、そしてもう一つが、今ここで質問させていただきますベチューン医科大学整備計画に対する日本の援助を獲得すること。著者が中国で調査したことによれば、彼女はこの任務を十二分に果たしたという高い評価が下されている。これが一点。

そして、もう一つは、このベチューン医科大学整備計画に対する無償援助が、正式に交換公文がなされるまでの段階で、中国政府としては36億円の要請をしていたのだけれども、当初の段階では、21億円しか日本からの回答はなかった。それが、5億円積み増しされて26億円になった。それも、中国の関係者の証言をもとにしてレポートされている。ここに私は着目いたしているわけでございます。

それを踏まえた上で質問させていただきますが、まず、このベチューン医科大学整備計画に対する中国側からの無償援助要請というのはいつあったのか、この点について御答弁願いたいと思います。

[069]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
お答え申し上げます。

ベチューン医科大学につきましては、長い間、日本の幾つかの大学が技術協力をやっておりました。そういう経緯を背景に、附属病院を建設するという話が中国側の中の計画として持ち上がりました。そういうことが背景になりまして、この病院に対する協力ということが、だんだん非公式の段階から要請段階に行ったというのが経緯でございまして、具体的には、1989年、平成元年に、中国側から要請が上がってまいりました。

[070]
自由党 東祥三
1989年の何月ですか。

[071]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
1989年の10月でございます。

[072]
自由党 東祥三
レポートには、1989年11月の下旬には既にこの整備計画に対する日本の援助は合意されていたと、関係者の証言がございます。

今、大島局長のお話ですと、1989年10月の段階で要請を受ける。手続上は1990年2月に、この要請を受けて事前調査報告書がつくられる。そして、それを踏まえた上で1990年8月に基本設計調査報告書が出て、そして同年11月26日に交換公文が結ばれる。これが表上の手続、公式的なスケジュールだろうと思うのですが、既に、このレポートの中では、要請を受けた1989年10月から2カ月もたたずして基本的な合意が結ばれていて、そして具体的な内容も明らかになっている。この点について大島局長、いかが御答弁されますか。

[073]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
この案件につきましては、89年10月に正式要請が参りました。それから、12月から、通例の手続でございますけれども、事前調査という段階に入ります。無償資金協力におきまして事前調査をやるということは、将来的にこの案件を取り決めるというある程度のめどを持って調査に入ります。調査をやること自身が決定そのものには必ずしもつながるという100%の決めはございませんけれども、ある程度のめどを持って調査をするということでございまして、その調査が12月に開始をされ、翌年4月ごろ、さらに実施に近づきますけれども、基本設計調査という、より詳しい調査段階に入って、先生御指摘のように90年11月に交換公文の署名に至った、こういうことでございました。

[074]
自由党 東祥三
それでは、ここでレポートで言っているような、要請を受けて2カ月以内に基本的な内容が固まっていたというのは、これはあり得ない、そういうことをおっしゃっているのですか。

[075]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
先ほど申し上げましたけれども、この案件につきましては、各日本の大学が技術協力を長い間やっておりましたので、そういう意味では、案件が正式に上がってきました89年の10月の段階においては、かなりの程度案件としては成熟をしておったということが言えると思います。

しかし、正式に決められたかどうかということは、あくまでも最終的な交換公文というもので決定をいたしますので、その時点までは、いわば非公式という状況で推移をいたすものでございます。

[076]
自由党 東祥三
外務省として、当時は大島局長いらっしやらなかったと思いますけれども、当然、このレポートも読んでいただいていると思いますけれども、その89年の10月の要請が出る1年前、88年の8月10日から14日まで橋本総理が、当時は自民党幹事長代理として、このベチューン医科大学、医大建設現場を訪問されている。さらにまた、当該の女性もそこに同行されている。この事実に関しては認識されておられますか。

[077]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
個々の政治家の方々が外国に赴かれることにつきまして、外務省の方からいろいろ申し上げるということは適当でないと思いますので、この点については控えさせていただきたいと思います。

[078]
自由党 東祥三
いや、行ったかどうかについての認識を有しているかいないかということを聞いているのですから、イエスかノーかです。

[079]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
1988年に橋本総理が訪中されたかどうかにつきましては、去る5月22日の参議院の本会議におきまして、訪中したという事実を述べておられます。

[080]
自由党 東祥三
さらに、それにさかのぼること2年前、中国政府は、1986年9月に、橋本氏に対し、ベチューン医大名誉教授の肩書までプレゼントしていた、この事実に関しては存じ上げておりますか、いかがですか。

[081]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
そういう事実については承知いたしておりません。

[082]
自由党 東祥三
1989年10月に、中国からこのベチューン医大整備計画に対する無償援助支援の要請があった。もう既にいろいろな委員会で同僚議員が質問させていただいておりますが、1989年は、ちょうど天安門事件が6月に起こったときでありました。当時はまだODA四原則等もなかった、そういう状況がございますが、1989年に中国から無償援助の要請件数というのは幾つあったのでしょうか。

[083]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
89年の要請件数は、総数で25件ございました。そのうち、90年度での実施を中国側として希望する案件というのが4件、そういう意味では優先度の高い案件というものでございます。それ以降での協力を希望するというものが21件、合わせまして25件ございました。

[084]
自由党 東祥三
もう一度、ちょっと確かめたいのですが、89年度に24件要請があったのですか。

[085]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
89年度中の要請は25件でございます。

[086]
自由党 東祥三
ということは、25件の要請があり、年度は別として、要請を受けたものはすべて後年度に結実しているということですね。

[087]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
89年度に要請を受けました25件のその後の案件の姿ということでございますが、このうち、実際に日本政府が無償資金協力の案件として取り上げることを決定して交換公文の署名を行いましたのは、14件でございます。

[088]
自由党 東祥三
では、89年度に要請を受けた中国からの無償援助案件25件のうち、その後結実したのは14件で、要するに11件は結実しなかったということですか。そうしますと、この25件要請を受けたうち、当然、私の経験からしても、各被援助国というのは、要請したいものはこういうものがある、その中でこれが優先順位が高いと、ランクづけを行っていると思うのですが、そういうランクづけは中国政府というのはやるのですか。

[089]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
日本政府に対しまして案件要請を行う場合には、特に案件が多い場合には、日本政府側のいろいろな判断の助けとして、相手国政府は優先順位を通常、付してまいります。我々も相手国の要望をできるだけ尊重するという意味で優先順位を知りたいという気持ちがございますので、そういう優先順位を付すことを慫慂いたしております。中国の場合にも、そういうことで優先順位を付して日本側にその要請を出してきております。

[090]
自由党 東祥三
その場合は、言葉で行われるのですか、書面に書いてくるのですか。

[091]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
正式要請は原則として書面で参っております。

[092]
自由党 東祥三
そうしますと、89年度、25件の無償援助要請があった、これをすべて優先順位順にリストをつくって、いただけますか。

[093]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
日本政府が提出を受けます援助案件の要請のリストでございますが、これは一種の外交的な文書の性格を持つものでございます。その要請リストに基づきましていろいろ調査を経て、かついろいろな協議、折衝を経まして最終的に交換公文という外交文書に結実するわけでございますが、いわばそのスタートになるものでございまして、これはそういうことで、案件のリストそのものの提出というのはちょっと差し控えさせていただきたいと思います。

[094]
自由党 東祥三
加藤昭さんのレポートには詳しく書かれていないのですけれども、別のところで、極めて、ベチューン医科大学整備計画に対する援助要請というのは、初めのうちは低いランキングだった、それが急速上がった、こういうお話も報告されているわけでございます。

したがって、私たちが今扱おうとしているのはODAの問題ですから、どういうスケジュールで、あるいはまたどういう手続で日本政府が発展途上国の無償援助要求に対してこたえているのかということを克明に国民の皆さん方に知らしめていく絶好の機会なのだろう、僕はこのように思っているわけです。さらにまた、一国の総理がここに深く関与したのではないのか、このように疑われている案件でございます。

そういう意味において、ぜひ私は委員会を通じてそのリストを出すように要請させていただきたいと思います。

[095]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
先ほど申し上げましたように、援助案件の要請リストは外交的な性格のものでございまして、これは日本政府のものということではございません。したがいまして、日本政府が、中国に限らずいかなる国からでもそうでございますが、その要請された案件リストをそのまま公表するということについては適当でないのではないかというふうに考えております。

[096]
自由党 東祥三
要請リストは、その要請のプライオリティーを被援助国がつけてくる、それに対して、当然援助する側もすべての内容を把握した上でまた援助プライオリティーをつけ変えるということも当然行われると思いますが、それは中国政府の問題ではなくて、こちらの日本政府の問題だと思います。それについてのリストは出せますか。

[097]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
先方から提出されてきます案件リスト、そこに載っております案件について政府部内で種々検討を加え、かつ種々の調査をやりまして、採択案件というものが決まっていくわけでございます。

その過程で、日本側には日本側の考え方が当然ございます。ODA大綱とかあるいはその国に対します国別の援助方針等々がございます。それから、予算の制約といったような当然考慮しなければいけないこともございますので、したがいまして、相手側から出されてくるリストというのは尊重はいたしますけれども、それを自動的にうのみにして取り上げてあるということでは必ずしもございません。そういう協議を経て、最終的にいろいろな協議を経まして確定をしていく、こういう性格のものでございます。

[098]
自由党 東祥三
私は、中国側から出しているリストも、さらにまたそのリストを踏まえた上で日本がランキングづけを、もし変えている、そういうリストがあるとするなら、両方出せと言っているのですが、今外務省のお立場は、外交案件ですからそれは出せない、こういうふうにおっしゃっているのです。

しかし、私は、委員長に申し上げます。外務委員会の理事会でこの問題について議論させていただき、そしてそのお取り計らいをお願いしたいと思います。

[099]
委員長 中馬弘毅
東理事のお申し出、理事会で協議いたします。

[100]
自由党 東祥三
次に、当初、中国政府は、援助要望額というのは、希望援助額というのは総額で35億円だった、それに対して日本側は21億円で初めに回答した、それが5億円上積みされて26億円になった、このようにレポートでは報告されているのですけれども、この経過について御説明願いたいと思うのです。

[101]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
中国側の当初の要請、89年度の要請段階では、本件機材につきましては、機材の品目にしまして657、総計35億円分の要請、こういうことになっておりました。これはいわばスタートになるわけでございますけれども、各種調査を経まして、最終的に314品目、約26億円というところに絞り込みまして、その額で最終決定をいたしたわけでございます。

なお、21億円とかいろいろなことが先ほど先生の御言及になりましたレポートで言われておるようでございますけれども、この要請あるいは要請額に対しまして、最終的に、日本政府としていかなる額のいかなる内容の機材を供与するかということは、一連の折衝を経て決まっていくわけでございます。

これは一種の外交交渉の過程のようなものでございますけれども、その過程で日本側がいろいろな数字を中国側との間で口にします。中国側もいろいろな要望を出しできます。そういうことを経まして最終的にきちんとした数字に落ちつくということでございまして、21億云々で決定したというような事実はこれはございません。

[102]
自由党 東祥三
今局長のお話では、35億円から26億円に絞り込んだ。そうではなくて、当初は21億円に絞り込んでいて、そして再度の折衝によって26億円になったということではありませんか。

それで、時間があと5分しかないので、この折衝過程における書面で書かれている経過について、これは書類出せますか、出してもらいたいと思うんですけれども。

[103]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
この案件に対しましては、基礎調査報告書それから基本設計調査報告書というものが、これは既に公表になっておるものでございますけれども、公表されておりますし、その2本の報告書をもとに交換公文が締結をされております。

[104]
自由党 東祥三
今言われているのは、事前調査報告書と基本設計調査報告書です。そこには、今私が質問しているような内容というのは出てきません。品目だけです。したがって、どのようにこの援助額が決定されていったかというその経緯について報告書を出してください、このように申し上げているんです。

さらにまた、この26億円の援助額、これは基本的には600数十品目が、私の記憶に間違いなければ327品目に限られて、そしてあとコンサルタント料を入れた形で26億円以下というその交換公文が結ばれているわけですけれども、私は、こういう疑惑が出てきている以上、その26億円がどのように使われたのか。

交換公文が結ばれて、そして被援助国である中国政府が、伊藤忠がこれは関与しておりますけれども、伊藤忠にこの機材購入の発注を行う、そのときには当然入札が行われていると思うんですが。そして、伊藤忠がすべて320数品目を調達している。そのすべての項目と、そして価格と、そしてその項目がどのようなところがら調達されたのかということをすべて出していただきたい、これを要求させていただきますが、いかがですか。

[105]
政府委員(外務省経済協力局長) 大島賢三
本件に関します受注企業、これも既に公表になっておりますけれども、株式会社伊藤忠がこの受注企業になっております。

個々の機材につきましては、先ほど先生御言及になりました基本設計調査報告書に機材の案件のリストがついておりますけれども、そういうものに基づきまして入札を経て、どのメーカーからいかなる価格でどのような機材を受注企業である伊藤忠が調達をしたかということ、これは入札の中身のことでございまして、その入札の中身のことにつきましては、これはもはや私契約の部分に属する部分がございますので、この入札の中身につきまして公表するということはこれは今やっておりませんで、お控えをさせていただければ幸いでございます。

[106]
自由党 東祥三
問題は、私たちの税金であります26億円が使われているわけです。その26億円がどのように使われているのかということを、国会というのはチェックする機能を持っていなければならない、また、その役割を果たさなければならないわけです。

今の局長のお話を聞いている限りにおいては、ODAの問題というのは、無償援助の問題というのは全部私たちに任せておきなさい、正式な手続に基づいてすべて私たちがちゃんとやっています。そういうものを出さない限り、26億円の税金がどのように使われているかということはわからないじゃないですか。まして、今まで出していなかったかもしれません、しかし、出してはいけないというその根拠はどこにも書いていないはずです。

したがって、このことも外務委員会の理事会において出すように私は要求いたしまずけれども、外務委員長のお取り計らいをお願いします。

[107]
委員長 中馬弘毅
理事会で協議いたします。

[108]
自由党 東祥三
時間が来てしまいましたので、ちゃんと時間厳守いたします。きょうはこれぐらいでやめます。

今申し出たりストがちゃんと手に入るようによろしくお願いして、私の質問を終わります。





平成10年06月03日 衆議院 決算行政監視委員会
[103]
自由党 西川太一郎
私は、もう質問の時間もありませんから、委員長にお計らいをいただきたいのですが、理事会で御協議の上、以下の資料をぜひ提出していただきたいということをお願いいたします。

全部で7つあるわけであります。

1つは、ベチューン医科大学ODAに関して、最初に援助要請があった日時はいっか。また、そのときの日中の関係者はだれだったのか。

2番目。ベチューン医科大学ODAに関して行われたすべての日中間での要請、交渉、調査、視察等の日時と、そのときの出席者と責任者及び通訳者はだれであったのか。

3番目。また、このODAに関して行われた要請、交渉、調査、視察等で、橋本龍太郎氏が参加したか、もしくは指示を出したことがあるか。あれば、その日時及び内容。

4番目。ベチューン医科大学のODAに関する職務権限者及び最終決定者はだれだったのか。

5番目。ベチューン医科大学ODAを請け負った業者名。その際、最終選考に残った業者名または選考した基準。

6番目。天安門事件後の対中国円借款凍結解除の決定を行った責任者はだれだったのか。

7番目。対中国円借款凍結解除に関する橋本総理の発言はあったのか。あれば、その内容。

これを、委員長のお計らいにおいて、理事会で資料として提出いただけるかどうか御協議をいただきたいというふうにお願いを申し上げたいのでございますが、いかがでございましょうか。

[104]
委員長 原田昇左右
理事会で協議します。

[105]
自由党 西川太一郎
ありがとうございます。

それでは、私の質問を終わります。どうもありがとうございました。





平成10年06月03日 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会
[200]
自由党 平野貞夫
次の問題は総理の中国ODA疑惑についての問題でございます。

なぜ私がこの問題を取り上げるかという理由を最初に申し上げたいと思います。

昭和29年ごろでございましたが、私が衆議院議長の秘書をしていたころ、知り合いの某途上国の大使から発電所の建設について無償援助の要望を受けました。私が関係方面との連絡をやりました。このときに私は無償援助の構造腐敗というものをかいま見たわけでございます。

議長さんは非常に熱心に努力されて約30億の無償援助の話が決まり、大使からお礼をしたいので業者を指名してほしいという話が私のところへ来ました。私は議長さんに報告しましたところ、大変に怒られました。こんなことだから日本の政治が乱れるんだ、ほっておけと言われました。結果は、某大物政治家のところに話が行って、いろいろなことがあったようでございますが、当時、私が秘書仲間や業界の人から聞いた話だと、約3%ぐらいなものが日本の政治家のかかわった人たちにキックバックしてくると、そういう自分の体験がございます。

当時から、初めからかもしれませんが、途上国の援助というのはこのようなうさん臭い話がたまっております。そして、きれいごとを言う人ほどいろいろな問題があるんです。そういうことでございます。

私は、55年体制というものはこういう構造の上に乗っかっていたんじゃないか、お金の援助だけではなくて腐敗の援助もしていたんじゃないかという思いを持っております。したがって、橋本総理が行政改革、財政改革を本気でやると言うなら、国会やあるいは雑誌、論文等で指摘されている疑惑には明確にしておくべきだ、こういう思いで以下質問していきます。

まず、5月22日、私が本会議で質問しました際に、総理は問題の朱さんについて、「中国衛生部の通訳として仕事をしておられました。」と答弁されております。

このことについて、その後、ベチューン医科大学病院のプロジェクトでは朱さんは衛生部の外事司官員であり、衛生部の通訳というのは胡暁蒙という外事局通訳という肩書きのある人が別にいらっしゃるわけでございます、衛生部には。そして、朱さんはこのプロジェクトのドラフトレポートを日本側に説明するときに衛生部を代表する立場で責任者として名前がリストされております。これはJICA、国際協力事業団が平成2年8月に出された公式調査報告書に記載されておる事実でございます。

その点について、総理、今までの国会答弁、衛生部の通訳であったという答弁と食い違うといいますか、間違いといいますか、事によれば虚偽の発言を国会でなさっているんじゃないかという思いがしますが、いかがですか。

[201]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
どういう言い方をなさるかは議員のお気持ちのことでありますから、どのような言い方をなさろうと結構であります。

そして同時に、各国の要人と私が会談をいたしますとき、それぞれの会談の通訳をだれが行ったか一々記録をとっておるわけではありません。

しかし、会談において、一方の言葉を他方の言葉に翻訳し、それに対する相手側の答えをまた一方の言葉に翻訳する、普通そういう役割を演じている方を通訳と申し上げるのが私は日本語だと思います。そして、そういう役割をしておられた。たしか88年に中国に行ったとき、あるいは91年に訪中したとき、何回か中国側の通訳として働いておられたと思っております。

私は、私が日本語で話すことを相手の国の言葉に翻訳し、相手の国の首脳あるいはお目にかかる方が相手の国の言葉で発言されるものを日本語に翻訳されて伝えてくれる、それは通訳というものだと思います。

[202]
自由党 平野貞夫
通常、政治家が外国に行きます、そしていろいろな活動をなさる場合に、政治家の行動というのはやはり国益にかかわりますので、大臣を経験された方以上なら日本の大使館が必ず日本側の通訳をつけてさまざまな話し合い、さまざまな会議に臨むのが基本だと思います。

この点、総理の場合、総理のお口から、中国に行ったときのほとんどの会議等でこのさんが通訳をしてくれた、こういう答弁を今までも国会でしていますが、総理は、このさんが、それは日本語は達者ですから言葉のやりとりをかえてはくれるでしょうが、本来の職務が衛生部のこのプロジェクト担当の責任者あるいは実務者であったということを知っておられたんですか、知っておられなかったんですか。

[203]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
その当時において知っておりません。

[204]
自由党 平野貞夫
その当時は知らなかったというお話ですが、それではいつ知りましたか。

[205]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
覚えておりませんけれども、委員から同じことを聞かれた回数だけでも相当なものであります。そして、そうした問題が報ぜられているということを聞き、その中に彼女の肩書が通訳であったとかなかったとかという話が出ているということも聞きました。

[206]
自由党 平野貞夫
それでは、現在はそういう職務を持っていたんだなという認識はされておるわけですね。

[207]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
なぜそういうことを一々私がせんさくしなければいけないんでしょうか。私は、確かに会談において私の日本語を、また相手の方の中国語をそれぞれに通訳してくれた、極めて有能な通訳をしていただいた方と思っております。その上で、その方がどういう肩書をお持ちであったと後に報ぜられたからそれをどうのこうのと言うつもりはありません。

[208]
自由党 平野貞夫
私は客観的事実を申し上げているわけでございます。かつてはそういう役職であるということを知らなかったと、これはわかりました。しかし、私はここでこの問題を取り上げるのは2回目でございますが、国会の中で取り上げられてそういう仕事をしていたのかなと、こういう認識をされているかという事実関係を聞いております。総理の感情を、何で自分がそういうことを答えなきゃだめか、そういうことを聞いているわけじゃございません。

基本的には、国会議員のこういう場での質疑に対して閣僚は答弁義務がございます。私の質問に対してコメントする立場ではないと思います。現在はそういう職務であるということを認識されているかどうかという事実をお答えください。(発言する者あり)

[209]
委員長 遠藤要
御静粛に願います。

[210]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
現在、その方がということでありますなら、他家の奥様であります。私はそれ以上、他家の奥様のことを申し上げたりするのは失礼だと思います。

その当時どうであったかというお尋ねでありますから、通訳をしていただきましたと正確に申し上げております。

[211]
自由党 平野貞夫
奥様だとかどうだというプライベートなことを聞いているわけじゃございません。

公的機関の公式記録には、平成2年の時点でこの朱さんの役職、役割というものをきちっと記入して、通訳という方は、例えば衛生部の通訳という場合に別の人もちゃんといるわけなんです。そのほかにも大学側で通訳が4人、そして先ほど申し上げましたように、ドラフトレポートのときに日本側の説明の主役は朱さんなんです。そういう事実を今は認識されていると、私はそういうふうに思って質問を続けたいと思います。

さて、角度を変えて申し上げますが、朱さんの衛生部時代の同僚、申光という女性が重要な証言をしております。

第1に、さんは衛生部外事処内の決定によって中日間で合意された無償援助プロジェクトの項目責任者に、実務責任者という意味だと思いますが、に指名され、担当したのは北京市の中日友好病院と長春市のベチューン医科大学附属病院に対する無償援助であったということを第1点この中光さんは証言しております。この申光さんというのは朱さんの衛生部での1年後輩だそうです。

第2は、無償援助を受ける国の言葉を話せる人間が対象プロジェクトの担当者と通訳を兼任している合理的なシステムが中国にはあると。表向き橋本先生の通訳として行動するが、実際はできる限り先生に随行する機会をふやし、自分に与えられた項目責任者としての任務を促進するよう働きかけるのが役割であると、こういうふうなこの申光さんの証言でございます。

第3は、こうした役割を担った通訳のことを中国では陪同翻譯と呼び、橋本先生が彼女の身分をどう解釈していたかはともかく、彼女にとって先生は間違いなく陪同翻譯の対象としての存在だったと日本のジャーナリストに証言しております。

どうでございますか。申光女史のこの証言についてどういう御所見が、お聞かせ願いたいと思います。

[212]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
議員から長々とお話をいただきましたが、今中国語で言われた言葉が私はまずわかりません。その上で、そういうことを言っておられる方がある、証言をされた方があるという事実をお教えいただきました。

ただ、それは中国の中の話でありまして、私にとりましてわかるはずもなく、また知る必要のないことであります。

[213]
委員長 遠藤要
ちょっと速記をとめて。

[214]
委員長 遠藤要
速記を起こしてください。

[215]
自由党 平野貞夫
日本のあるジャーナリストが証言を得た申光女史の話、これをどう認識されておるかという質問を私は総理にしましたが、ただいま委員長から、それについてはこの再編法案とはちょっとかけ離れているのではないかという御注意がございました。

私はこの法案は価値からいって実質的に憲法を変えるような内容を持っておると思います。したがいまして、そういう大きな問題については、総理自身のわずかな疑惑、我々は問題の調査経過の中で疑惑を持っていますが、それを解明しなければこんな大改革というのは進めるべきでないと、こういう思いでやったものでございましたので、委員長、その点をひとつ御理解いただきたいと思います。

実はこの問題にもう一つ、後日、自由党ではほかの協力し合える政党とともにこの問題の追及を改めてしかるべき場所でしていきます。



[219]
自由党 平野貞夫
私たちがこの中国ODA問題で一番こだわるのは、細かな具体的なことを申し上げて、それは総理もお腹立ちの部分もあるかもしれませんが、そういうことが結局総合して、果たして橋本総理の行動がこの問題で国益に沿っていたか沿っていなかったかということを我々は問題にしようとしているわけでございます。

したがいまして、この朱さんの問題は、あと帰化申請、帰化手続の問題でも私にとりましては摩訶不思議な問題があると思っております。しかるべき所管の委員会でそのことはお尋ねしたいと思います。

本日は私の質問はこれで終わります。(拍手)





平成10年06月04日 参議院 法務委員会
[136]
自由党 平野貞夫
前回、私、法務省民事局の所管の話ということで、大きくいろんな改革をやっている中でやっぱり総理大臣の姿勢というのは非常に大事だということで、橋本総理の中国ODA疑惑問題を取り上げたんですが、その続きを残りの時間でやらせていただきたいと思います。

前回お願いしておりました在日大使館勤務者で日本に帰化した前例、過去20年程度でございますが、名前を公表するのはまずいというのでしたら、件数でも結構ですから、御回答いただきたいと思います。

[137]
政府委員(法務省民事局長) 森脇勝
御指摘のような事案に関する統計は私ども持っておりませんので、これは把握できないところでございますので、御理解賜りたいと思います。

[138]
自由党 平野貞夫
把握できないということは、ないということですか、あるいは極めて少ないというように私は今の答弁で理解しておきます。

けさになってお願いしました相撲の曙とサッカーの呂比須、このお二人は帰化申請をして許可になるまでにどのくらいの期間がかかったか、御答弁いただきたいと思います。

[139]
政府委員(法務省民事局長) 森脇勝
曙関につきましては約11カ月弱、呂比須選手につきましては8カ月弱というように把握いたしております。

[140]
自由党 平野貞夫
わかりました。

そこで、そのODA疑惑の朱さんについてでございますが、朱さんが中国人でしたので、中国の方と結婚されたのが昭和58年。そして平成元年に離婚されて、平成3年5月31日に日本人のJICAの職員と再婚された。そして埼玉県の狭山市を住所にして入籍された。そして平成8年1月11日に橋本政権が誕生した。そして8日後の同年1月19日に朱さんは帰化申請した。そして11カ月後の12月16日に帰化が許可になった。これが事実関係だと思いますが、この場合に問題なのは、朱さんの帰化申請の動機でございます。

平成3年5月31日の入籍でございますので、国籍法では3年ですから、平成6年6月1日には申請の資格があったと思うんですが、2年間申請されていない。これは事実関係だけ並べた話なんですが、橋本首相が誕生して8日後に帰化申請をした。一体帰化の動機というのは何であったかということを私は問題にしたいと思っておるわけでございます。

帰化の動機について御答弁いただけますか。

[141]
政府委員(法務省民事局長) 森脇勝
これは高度のプライバシーに属する事項でございますので、答弁は差し控えさせていただきたいと思います。

[142]
自由党 平野貞夫
申請者が帰化申請するときに、帰化動機書というものを出すはずでございます。今答弁できないというなら、それはそれで仕方ありませんが、我々はこの問題のプロジェクトチームを、先ほども民主党と自由党の共同会議をやったばかりでございますが、両院のそれぞれの機関においてその資料要求はし続けていくことになると思いますので、そのようにひとつ御理解いただきたいと思います。

次の問題なんですが、帰化の動機に問題があるということが一つと、それからもう一つは、平成8年の1月19日に申請されて12月16日に許可になる。そして法務省で調査したのは後半の4カ月ぐらいだというのが先般の答弁でございましたが、実はどういう調査を行ったか、徹底した調査が行われたかどうかということが一つ大きな問題でございます。

と申しますのは、橋本総理と中国のODA疑惑の問題、特にこの朱さんとの関係につきましては、もう平成8年の3月ごろから世の中で非常に話題にされていた。そして4月には、もとは中国語で書かれたのじゃないかと言われる怪文書が流布された。その怪文書をめぐって5月、6月にかけていろんなマスコミが朱さんの問題を取り上げて、朱さんの職責、職務も話題にされております。そして、再婚された朱さん夫妻と前のだんなさんとの間で、たしか6月ごろでございますか、名誉毀損の訴訟が行われております。したがいまして、極めて社会的な問題になった方でございます。そして、そのころには朱さんというのは中国の公安関係に勤務していたという話も流れていたと思います。

そういうことについて法務当局は、朱さんの帰化申請の調査についてどのようにどの程度調査をされたか、そういう情報を知らなかったということはないと思いますが、その点についてお答えいただきたいと思います。

[143]
政府委員(法務省民事局長) 森脇勝
個別事件の態様、審査の内容等については、これも個人のプライバシーにかかわる情報でございますし、さらにこういったことが公表されるということになりますと、今後の帰化行政の円満な進展にも障害になるということでございますので、答弁を差し控えさせていただきたいと思います。

[144]
自由党 平野貞夫
もう一つ、朱さんは共産圏の人だということですね。共産圏の人の帰化調査については従来相当長期間の調査をするというふうに聞いていますが、その点、いかがでございますか。

[145]
政府委員(法務省民事局長) 森脇勝
帰化許可申請事件が参りますと、それぞれの事案に応じまして、日本に住所を有している期間はどうか、あるいは申請人の本国法上行為能力に欠けるところはないか、あるいは素行善良と認められるか、自己あるいは配偶者、親族の資産、技能で生計を維持できる見込みがあるかどうか、あるいはその方が外国人である場合には帰化によって外国国籍を失うことになるかどうか、あるいは政府を暴力で破壊することを企てたり主張したりしたことがないかといった点につきまして、必要かつ十分な調査を行っておるところでございます。

[146]
自由党 平野貞夫
そうすると、朱さんの帰化問題については十分な調査を行った、こういうことでございますか。

[147]
政府委員(法務省民事局長) 森脇勝
ただいま帰化許可申請事件についての扱いを一般論として申し上げましたが、個別の事案に対する調査の程度、内容等につきましては、これは個人情報に属することでございますので、答弁を差し控えさせていただきたいと思います。

[148]
自由党 平野貞夫
十分な調査を行ったか行わなかったかということは別に個別の問題じゃないと思います。十分な調査を行ったんじゃないですか。

[149]
政府委員(法務省民事局長) 森脇勝
先ほど申し上げましたとおり、帰化申請事件についてはその要件等についての十分な調査をし、それによって許可されるのが一般でございまして、それ以上に個別の事案についての調査ということについては答弁を差し控えさせていただきたいと存じます。

[150]
自由党 平野貞夫
そうすると、実際は十分な調査を行ったか行わなかったかということは、この場ではわからないわけですね。

それではお尋ねしますが、公安当局に朱さんについて調査の指示というのは行われたでしょうか。

[151]
政府委員(法務省民事局長) 森脇勝
個別の調査内容につきましては、個人のプライバシー及び帰化行政に重大な支障を及ぼすということで、答弁を差し控えさせていただきたいと存じます。

[152]
自由党 平野貞夫
私は、この問題は単なる個別の問題じゃないと思うんです。やはり総理の中国のODA疑惑にかかわる基本的な問題、国益にかかわる問題という立場から質問をしているわけです。

局長が個別の問題だからこの場では答えられない、こういうことでしたら、私の総括としては、この朱さんの帰化問題というのは極めて疑惑がある重要な問題である、今後も我々はやっぱり追及していかなきゃだめだ、真相を究明していかなきゃだめだ、こういうように思うわけでございます。

要するに、中国のベチューン医科大学附属病院のODA無償援助にかかわってさまざまな交渉があって、結果的には中国側の35億円という要請に対して21億円という無償援助が内定されたのに、さらに5億円追加されて26億円という決定になった。そして中国側では、それは当時の橋本大蔵大臣の尽力であるということを証言する方がおるわけでございます。そこにどういうような問題がかかわったかということの真相を究明することが非常に重要な問題なんでございます。

したがいまして、この朱さんの帰化の動機、大体夫婦として一緒になれば一日も早く帰化したいものだと思うんですが、それを帰化申請を2年間も放置していた。そして、そのころ中国女性との問題はいろんなところで非常に話題になっていたわけです。そして、総理に就任して8日目に帰化申請した。そして、共産圏の人でありながらいろいろな問題が話題になりながら、11カ月後に許可になった。

私は、やはりこの問題の疑惑があるから早く朱さんを日本人にして、そして日本人という中でこの問題の真相が露出しないように早く日本人に帰化したと。そこにやっぱり帰化手続に重大な問題があるんではないか。あなたの明確な答弁が出ないものですからそういうふうに推測せざるを得ない、そういう前提で今後もこの問題を追及するということを申し上げて、質問を終わります。





平成10年06月11日 衆議院 予算委員会
[154]
民主党(民進党) 上田清司
それでは、ODAの問題について。

私も、昨年、中国の合弁養鰻事業についてどうも釈然としない政府答弁でございましたので、正確に言えばOECFの答弁でございますが、現地中国に行って、10億5000万が1円も現地に入っていないことや、養鰻池が90%完成しているというような御答弁がしばしばあったのですが、その池はよその池でございまして、そういうことが、最近のブータンでのODA不正支出の件もございましたし、大変気になるところであります。

インドネシアも、累積で4兆円、そして毎年1位のODAの支出をしております。総理も3月15日にインドネシアに行かれまして、非常にスハルト大統領と仲よく、満面の笑みをたたえて外交なさったわけですが、大変仲よくやっておられましたけれども、しかし諸外国から見れば、やや外交的な失点ではないか。あるいは、私もそう思いますし、そういう意味で、スハルト体制を支えながらも現実的には民衆から見放される、こういう事態で、ODAの支出に関して国民は非常に敏感になっております。

そこで、最近話題になっております中国のベチューン医科大学の援助の問題についても、私も、仮にも日本国の総理の名誉にかかわる問題でございますから、「諸君!」の加藤昭論文、この方は大宅賞作家の方でございますが、この方のものをそのままうのみにして申し上げるのもいかがなものかと思って、休日を利用して中国・北京、長春に行ってまいりました。そのことを踏まえながら、まず外務大臣にお尋ねをしてみたいと思います。

この問題になっております李●●さんという方でございますが、外務大臣、このパスポートの中で、生年月日が私どもが調べたところでは1955年6月20日。これは、5月20日、外務省アジア局中国課首席事務官の山上信吾氏からお伺いした中身でございますが、これに間違いはございませんか。

[155]
政府委員(外務大臣官房長) 浦部和好
お答えをいたします。

外務省では、もちろん、在京大使館から提出があったパスポートに基づいて本人を特定いたしまして、身分証明書を発行しているところでございます。

しかしながら、このような場で具体的な方の生年月日について云々しますことは個人のプライバシーにもかかわることかと存じますので、差し控えさせていただきたいと思います。

[156]
民主党(民進党) 上田清司
山上信吾さんからこちらは確認済みだということで進めさせていただきます。

法務大臣。実は、この方は、日本に帰化を申請されて許可をされております。その申請書の中、あるいは官報で出された生年月日が1953年6月20日ということになっておりまして、2カ年違っております。

外務省に提出されているパスポートと法務省に提出されている生年月日が2カ年違うということで、こういう方がなぜ帰化が許可されるのか、大変おかしな感じがいたしますので、このことは許されるのかということをお伺いしたいと思います。

[157]
法務大臣 下稲葉耕吉
お答えいたします。

お答えの前に、現在、毎年大体1万5000名前後の人たちが日本に帰化いたしております。委員御承知のとおりに、憲法13条には幸福追求権の一つとして、みだりに私生活に関する事柄等を公開しないというプライバシーの権利がまず保障されておるわけでございます。

私どもは、帰化を希望される方々から、国籍法の規定に基づきまして、資料の提出をいただいております。それを基礎にいたしまして、ただいま委員御指摘のようなことも含めまして、国籍法5条等々の規定に基づいて詳細な十分な調査をいたします。そして、その結果に基づきまして、帰化すべきもの、これは帰化すべきものでないというふうなことを決めるわけでございます。

今具体的にお話しになりました方の問題につきましては、これは国籍法10条に基づきまして官報で日本の国籍を得たということを公示してあるわけでございまして、それによりますと、平成8年12月16日付の官報におきましてこの日に帰化が認められたわけでございますが、昭和28年6月20日と生年月日を記載しているわけでございます。

[158]
民主党(民進党) 上田清司
法務大臣は、この李●●氏という方が2カ年違う生年月日を持ち、そしてこの審査の途中には元夫との裁判がございまして、週刊誌4、5冊ぐらいの中で合計20回にわたりましてさまざまな報道がなされております。そして、西村議員も質疑をされたこともございますが、さまざまな、例えばアエラなどで彼女の経歴は公安筋であるというような御報道もあります。あるいはまた、私も独自にいただいた資料の中で、さる新聞社の筋でございますけれども、やはり公安局第二処第四課に所属されていたことや、さまざまな意味で話題になっていながらもなぜ許可されるのか大変疑問に思っておりますが、そういうことについての御考慮はあったのでしょうか。

[159]
法務大臣 下稲葉耕吉
先ほど前提として申し上げましたように、いろいろな資料を求めますけれども、その方は、帰化の許可をいただくために、そういうふうな目的のために書類の提出をいただいているわけでございまして、目的外にそのような資料を公表したり云々ということは私どもはできませんし、むしろ国家公務員法の違反等々の問題も出てまいります。

そこで、一般論としてお答えいたしますが、私どもは、帰化を希望する方が、生年月日がいつであるか、あるいはどこに今までお住まいになっていたか等々につきましては、単に一本の資料だけではなくて、できる限りの調査をいたします。

例えばパスポートにおけるものでございますとか、あるいは、帰化を許可されますと相手国の国籍を失うというのが原則でございます。それにつきまして相手国からの書類をいただきます。それと同時に、あるいはその人がどこに住んでいたか。言うならば、日本でいう戸籍の証明ですね。そういうふうなものをいただいて、そして個々の人たちについて検討いたします。

それで、今申し上げました本件につきましても、そういうふうな点については、生年月日は一致いたしておるわけでございまして、私どもの資料を総合いたしますと、そういうふうなことでございます。

一般論として申し上げましたけれども、そういうような形で疑問がございますれば、どっちが本当であるかということを私どもはあらゆる角度で調査し、そういうようなことで、慎重に帰化の問題を個々に検討して結論を出しているというのが現状でございます。

[160]
民主党(民進党) 上田清司
今、法務大臣は、生年月日が一致してなきゃまずいということですが、出入国管理カードにはちゃんと55年と出ておりますよ、パスポートでは55年ですよ。おかしいじゃないですか。どちらが間違っているのですか。外務省が間違っているのですか、法務省が間違っているのですか。

[161]
法務大臣 下稲葉耕吉
一般論としてお答えいたしますが、私どもは、今申し上げましたように、全部調査を遂げまして、一致いたしております。

[162]
民主党(民進党) 上田清司
これは、明らかに、法務大臣が言う生年月日と、外務省のパスポートに言うところの生年月日が違っております。これが違っている以上、この問題については議論ができません。一致しているはずだと言われていますが、一致しておりません。

資料も理事会でも委員長にも提出いたしますので、この件について諮っていただきたいと思います。(発言する者あり)わかりませんか。

生年月日が一致しなければいけないのです、外務省のパスポートと、そして法務省のものと。一致しておりません。生年月日が違うものを、なぜ法務省で帰化申請が許可されるのか。

先ほど、そういうのは一致していると言っておられますが、一致しておりません。これは裁判でも提供されております。証拠書類として提供されております、この書類は。調査していないのじゃないですか。

[163]
法務大臣 下稲葉耕吉
繰り返して申し上げますが、今申し上げましたような点は、全く一致いたしております。

[164]
民主党(民進党) 上田清司
違っておりますので、この点についてはぜひ委員長において取り扱いをしていただきたい。資料として提出したいと思いますが、いかがでしょうか。

[165]
委員長 越智通雄
今の質問者の御意向はよくわかりませんが、私が調べるというわけにはまいりませんので、御党の理事からどのような御意見か、お話があればまたそれに従って理事会で考えます。

[166]
民主党(民進党) 上田清司
要するに、生年月日が外務省と法務省の書類で違うのですよ。それで、一致していると言われますけれども、一致してませんよ。見てください。(発言する者あり)いやいや、だから言っているのですよ。言っているじゃないですか。違うじゃないですか。

では外務省、外務大臣。

[167]
政府委員(外務大臣官房長) 浦部和好
先ほどお答え申し上げましたように、外交官が本邦に参りますと、当国、その相手国といいますか、本国発行のパスポートを添付して、我々に、外交官としての身分証明書の発給を要求してくるわけでございます。

ただ、その際はまさに身分証明の発給を目的に来るわけでございまして、その中に書かれております諸種のことについて、例えば生年月日等について、これはまさに本人のプライバシーそのものに関することでございますから、そういうものをこういうような場で公にするということは差し控えさせてくださいということを先ほど申し上げたわけでございます。

[168]
民主党(民進党) 上田清司
資料要求を申し上げます。そのパスポートの生年月日を教えていただきたいと思います。

私どもが調べている限り、この李●●さんという方は、明らかにパスポートでは1955年、そして法務省の帰化申請の中では53年と、2カ年違っておりますので、取り扱いをお願いしたいと思います。

資料要求です。

[169]
委員長 越智通雄
本件に関しましては、御党の理事から理事会においてのお申し出を受けまして、検討させていただきます。資料要求に関しては、理事会に諮って検討いたします。

[170]
民主党(民進党) 上田清司
この方はパスポートも3種類持っておられることも確認ができておりますので、そういう単なる外交官、通訳としては非常に不思議な方でございますので、そういう方からの、さまざまな形で、橋本総理との通訳、あるいはごちそうもしてあげたというところが大変疑問のあるところでありますが。

それでは、総理もベチューン医科大学には行かれたと思います。こちらで総理がどのような、御承知のとおり、外務省では35億の無償援助の要請を受けましたが、結果的に、21億の査定をした後に、5億上積みされまして26億になった経緯がございます。

この点について、総理は、特別な関与がなかったかということに関して藤田幸久議員からの質問主意書が出ておりまして、特別に関与がなかったというふうに言っておられますが、事実でしょうか。

[171]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
そのとおりであります。関与しておらぬと思います。間違いなしに、そうでしょう。むしろ、将来そういうお尋ねがあると知っていれば、そのころの、全部メモでもとっていたのかもしれません。しかし、私はその金額云々の話は存じません。

[172]
民主党(民進党) 上田清司
実は、そのときの責任者であります、こちらにも写真を出しておりますが、趙洪序先生にお伺いしまして、大変橋本総理にお世話になって、大蔵大臣のときに何度もお願いをしてうまくいきましたということで、当初から橋本さんにターゲットをしたことは成功であり、中国にとってお金を引っ張ることはいいことだ、こういうお話をされ、見積もりは病院側がやるけれども、交渉は衛生部がやったというようなことを私は承ってまいりました。

同時に、写真がありますが、これは、橋本総理がベチューン医科大学に行かれて大歓迎をされている風景でありまして、まさに橋本総理が私財を投じて頑張ったみたいなニュアンスで褒めたたえてあります、訳文も資料の中に入れさせていただいておりますが。

しかし、関与をしておられなかったということでございますが、中国側の関係者はそうは言っておられませんが、このことについて全く関与がなかったというふうに思われますか。

[173]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
多少時間が長くなることをお許しいただきたいと思います。

私は、厚生大臣として、北京の中日友好病院の計画を合意するまでに大きくかかわりを持ちました。そして、その時点から、東洋医学と言ってはいけません、中国の場合伝統医学であります、伝統医学と日本の西洋医学を組み合わせることによって新たなものが生まれるのではないか、関係者が皆その希望をかけておりました。そして、そのためにも、中日友好病院が日本の手によって建設をされ、そこに指導スタッフとして送られた人々が去っていった後、その状況が維持できるかどうかというのは、当時から一つの論点でありました。

そして、そうした中で、ベチューン大学の医学部、日本語で教育をしておるということもありまして、議論の中に出てきたのは昭和56年の末ぐらいじゃなかったかと思っております。そして私は、そういう構想が出たときから、これは本当にいい話だ、中国医学水準を維持する上でも、大きく伸ばしていく上でも、そして中日友好病院の日本的な医療というものを続けていく上でも大事なことだと考えておりました。ですから、私は、間違いなしにこれは大事なことだということを申してまいりました。そして、現地も見に行きました。衛生部にお誘いを受けましたから、参りました。

その上で、具体的な交渉というもの、これは私どもが到底できるものではございません。わかりません。専門家の方々が話し合われたものだと思います。

[174]
委員長 越智通雄
質問時間が終わっておりますが。

[175]
民主党(民進党) 上田清司
はい。時間になりましたので終わりますが、ただ、ずっと総理が、通訳であった、通訳であったと言う李●●さんが、パスポートを2つ、3つ持ち、なおかつ法務省で言っている生年月日と外務省で言っている生年月日が違い、そしてこのベチューン医科大学の無償援助を導くための最大の功労者であったことをあえて申し上げて、終わります。

ありがとうございました。



[233]
自由党 野田毅
最後に、ベチューン医科大学ODA問題でありますが、これは冒頭、民主党等からも話がございました。我々としても、この問題、答弁を本当は欲しいところでありますが、この委員会でぜひ、予算採決されるまでに、別途理事を通じて必要資料を要求いたしますので、よろしくお取り計らいを願いたいと思います。

よろしくお願いをいたします。





平成10年06月12日 衆議院 予算委員会
[103]
自由党 西村眞悟
では、次の問題に移りたいと存じます。

次のこの問題は、通告もしております。私は、事実を愚直にお聞きするのが私の務めだろうと思っております。立場の違う者が議論するのが、国会の一つの務めでございます。ただ、聞く方の私も、お答えいただく総理も、これは愉快な問題ではございません。しかし、我々の主観を超えて、この問題はやはり国会で取り上げねばならない問題だと私は確信しておるのです。

それは、言うまでもなく、今は日本人になられましたけれども、総理がお会いされたときには、中国の、総理がいわくの衛生部の通訳であられた方との交際の実態はどういうふうなことであったのかということに尽きるわけでございます。

総理が昨年の10月30日にどうお答えになったかを再現した上で、質問に入っていきたいと思います。

以後、この李●●という方のことを、彼女とか、この人物とかということで申しておられます。雑誌にもこの議事録は紹介されておりますので、要点だけ述べますと、「私は確かに、本当に苦労をかけましたから、自分で御飯をごちそうしたこともありますので、そういうときに話したこと、これはむしろ通訳という職分からすべてを聞いております。」

それからまた、飛びまして、「最初通訳として、そして最後まで通訳の立場で、その間、日本に来たときに、確かに私は慰労をいたしました。そして、最後に彼女が来られたのは、結婚されて、その御主人と一緒に事務所を訪ねてくれた。そのときは通訳ではありません。結婚して御主人と来られた。そして、任地に出ていかれた。」

それで、この質問が終わった後で、記者団の質問に答えられている。「その女性を知っているかと聞かれれば、知っていると答える。中国衛生部の通訳としていろんな会議に同席し、一部始終を通訳してくれた。何べんか個人的に、ご苦労様ということでごちそうしたこともある。手紙を出したし、礼状も来た。だから個人的交際があったかと言えば、間違いなくあった。」

それで、記者団が「深い関係にあったとのウワサがある。」総理が答えられる。「深いとはいったい何を指すのか。そういうことに対しては論評もしたくない。だいたい彼女は今、よその奥さんで幸せな家庭を築いている。夫は確か日本人で、ワシントンかニューヨークかどちらかに勤務している。」

「情報部員かどうか調べるのか。」という質問に対して、「そんなの調べられるか。聞いてわかるぐらいなら情報部とは言えないだろう。大事な会議の通訳はどこの国でも簡単には代えない。専門用語や過去の流れやぼくの話の組み立て方を知っているかどうかで全然違う。情けない質問を受けるなあ、と思っていた。」このように答えられておるわけです。

それで、今までいろいろな、相手の人物に関してのマスコミ等々がございます。しかし、今私が注目しているのは、個人的な交際があったといえば確かにあったと答えられたので、これから、先ほど申し上げたように、ただ事実のみを聞いていきます。

総理にとっては、この人物が最初通訳として、そして最後まで通訳だったということはこの質問の前提といたしておきます。総理から見て、そういう人物であったんでしょう。

では、個人的な交際もあったと認められたこの人物はどういう人物であるかということ、私は、この女性の身柄はもう割れていると思っています。世界のすべての、我々と同じ価値観を持つ民主主義国家の目から見れば、この人物は割れておる。どういうふうに割れておるか。明らかなことから順に行きます。

女であるということ。二つ目、日本語が堪能であるということ。総理が会われたときは中国の公務員であるということ。日本大使館に1985年6月22日から87年10月17日まで勤務されていたということ。しかし、日本大使館勤務の公務員でありながら、平成8年1月、総理が総理大臣に就任されてから帰化申請して、同年暮れにこの人物は日本人になっております。

出入国記録によると、3通のパスポートを持っております。公用パスポート1通、一般パスポート2通でございます。この出入国記録、パスポート、帰化申請には生年月日は2種類使い分けられております。1955年生まれのものと1953年生まれのものでございます。

この人物はみずから、昨年12月4日、日本の裁判所で、北京公安局に勤務したことがあると証言いたしました。もう一つ、ベチューン医科大学援助に関する日本側資料には、明らかに、彼女は通訳ではなく、衛生部外事司官員として記載がございます。そして、相手方交渉者の一覧表の中では必ず、彼女以外に、通訳というものが記載されておるということです。こういう人物でございます。

さて、いささかこちらから聞いていかねばなりません。

初めてこの人物と会ったのは、きのう質問取りに来られた方にはどうか記憶を喚起しておいていただきたいというふうに申しておきましたけれども、いつごろで、どこだったのだろうか、これは総理いかがですか。

[104]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
私自身、その方を、100%正確と申し上げる自信はございません、その上で、通訳であると意識をいたしましたのは、多分88年8月の訪中のときであったと思っております。そして、大変うまい通訳だと思った記憶がございます。多分このときが最初であろうと思いますが、例えば大きなところでどこか隅にいたとか、そういうことになれば、これはわかりません。

私自身、記憶をいたしておりますのは、88年、すなわち昭和63年の8月の訪中のとき通訳をしてもらったということで記憶をしております。多分このときは北京、そしてベチューン大学のあります長春、これを衛生部の招待で訪問したときであったと思っております。

[105]
自由党 西村眞悟
88年8月の総理の立場は大臣ではございませんでしたね。

この人物と総理が個人的交際があると言われておって、けんかしたとは聞いておりませんので、この方とは、それ以後現在に至るまで連絡はあるのでございますか。それとも、現在はないと言われるのならば、いつごろまで連絡がありましたのでしょうか。こういう聞き方をするのは非常に失礼とは思いますけれども、どうかよろしくお願いします。

[106]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
いや、結構です。議員としては大切と思ってお尋ねでありましょうから。

そして、まず第一に、個人的な関係という言葉に大変こだわられます。確かに、衛生部長あるいは中日友好病院長等が訪ねてこられるときに、通訳として一緒に来られたとき、私は食事をごちそうしたという意味、そしてそのお礼状をもらって、また返事を書いたという意味では個人的な交際があると私は正直に申し上げております。

その上で、最後にお目にかかりましたのは、これは議員のお話がありましたので調べ直してみましたが、平成3年の9月、結婚をされ、そしてアメリカに御夫君ともども行かれるということであいさつに見えたのが最後であったと思います。その上で、それ以後、特段の交流はございません。

[107]
自由党 西村眞悟
私も質問のスタイルをいろいろ考えました。しかし、この国会に、今この場におる議員諸兄氏にも御理解していただきたい。今、アメリカのファイナンシャル・タイムズもウォールストリート・ジャーナルもこの問題を報道しておる。我が国総理大臣の疑惑を晴らすのは、こういう質問の仕方しかない。評価を争っていては、事実で崩されるじゃないですか。事実を詰めてやる以外にないと私は思っておるのです。だから、総理大臣、本当によく忍んでお答えいただいておって、本当に感謝いたします。これからもよろしくお願いします。

それで……(発言する者あり)いやいや、嫌みじゃないですよ。本質論は事実の積み合わせの中にあると私は思っておりますので。

それで、食事をごちそうされたとおっしゃっておられました。何回ぐらいで、日本でごちそうされたのですか。そして、個人的交際があったと言われておりましたけれども、個人的交際というのは何を意味するのでしょうか。二人で食事をしたということを意味するのでしょうか。

[108]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
今、議員がお尋ねになりましたこと、先ほど私はお答えをしたと思っております。

中国衛生部あるいは中日友好病院の関係者が見えましたとき、私のところはよく訪ねていただくことがございました、その当時。そして、63年、すなわち88年の夏だったと思いますけれども、中国衛生部の招請に応じて訪問をいたしましたときに、大変優秀な、うまい通訳をしてもらうと思いました。

そしてその後、何遍か将来においてこういうお尋ねを受けなければならないとわかっておりましたなら、回数も記憶をしておったでありましょう。ただ、そういうお尋ねを受けることになるとは全く考えておりませんでしたから、回数等について記憶はございません。

その上で、私は食事をごちそうしたこともあります、手紙をいただき、返事を書いたこともあります、それを交際と申し上げております。

[109]
自由党 西村眞悟
まだまだ続けます。

苦労をかけたので慰労したと言われましたけれども、これは、この通訳していただいた方にどういう苦労をかけたのでしょうか。同時に、総理大臣、通訳を受けた方には必ず総理は慰労しておられるのでしょうか、慰労の食事を。そうではないならば、この人物との間で、苦労をかけて慰労をするという特別なことがあったのでしょうか。これは私はお聞きしなければなりません。つまり、他の通訳にも総理はごちそうされておるのか、こういうことですよ。

[110]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
今までに議員が何を想定してというか、だれを想定してそういうお尋ねをいただいておるのかわかりませんが、女性の、私に対して通訳に当たってくれた方は、日本人でも何人かおられます。その中には、食事をごちそうし、それをもってお礼とした方もございます。あるいは、それこそ家内とともにプレゼントを贈った方もございます。

ただ、私は、通訳の巧拙というのは、その会談あるいは会議を成功に導けるかどうかの大きなかぎだと思っておりますから、常に、通訳に当たってくださる方は大切にしてきたつもりであります。

[111]
自由党 西村眞悟
今、贈り物もしたと言われましたけれども、97年11月13日の週刊新潮、また98年、本年の6月18日の週刊新潮では、その人物に、カトレアの花、ドレス、ネグリジェを贈った。それで、日比谷花壇から花を贈った、こうあるんですが、このようなことはあったんでしょうか。

[112]
委員長 越智通雄
西村議員に御注意申し上げます。

国会法119条、「各議院において、無礼の言を用い、又は他人の私生活にわたる言論をしてはならない。」とありますから、十分御念頭に置いて御発言願います。

[113]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
まず第一に、女性に対し、衣類等を贈る……(発言する者あり)

[114]
委員長 越智通雄
お静かに願います。

[115]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
衣類等をお贈りするという風習は、私にはございません。

それから、花と言われますと、これは例えば事務所の諸君が、特に海外からのお客様等、贈るときはありますので、これは私自身、正確なことは申し上げられませんが、日比谷花壇から云々というお話でありますと、普段私が使っておりました花屋さんとは違うように思います。

[116]
自由党 西村眞悟
私は、報道されたことをもって何を申し上げたいかと言えば、この報道は、あたかも我が国の総理大臣と中国の公務員が特殊な男女関係にあるような報道なんです。だからこれに、クリントン氏も明確に弁明しているように、いろいろな報道が積み重なっておって、総理は沈黙しておられる、弁明すべきはやはり弁明すべきだと思うんです。

そして、こういうふうな週刊新潮の記事が事実に反して、それが誘導するところが総理の名誉を傷つけるならば、やはり対抗措置をとられたらいかがかな、私はこう思っているんです。これについてはいかがですか。

[117]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
私ども、それぞれの考え方がありましょう。私は、無視するものは無視するということも、これは私自身が決めることでありますが。

[118]
自由党 西村眞悟
これは、ファイナンシャル・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、こういうことにも報道されております。ただ、総理が今、我が国、この日本の中で発言されているのは私もわかります。無視することは無視する。しかし、かの国では、やはり事実に反することを指摘されれば、明確に反論しなければその事実を認めたことになってしまう。これがそうなんです。

だから、「レイプ・オブ・南京」というふうな出版物がアメリカで出版されました。それに対してアメリカの親日家は、産経新聞にもありますように、日本はどうしているんだ、事実に反することを書かれているならば、それを明確に指摘しなければその事実を認めたことになりますよ、こういうことを言っております。

我が国は一国だけで存在するのではありません。総理大臣は、海外に出られて仕事をされる、各国元首と話し合われる。だから、私としては、明確に反論もし、弁明もしていただきたい。そういう意味で、それは対外的に、あるのですかと今お聞きしたわけです。総理大臣の立場としては、今お答えいただいたように、沈黙しているということでございましょうけれども、その立場では国益を損すると私は思っております。

さて、このベチューン医科大学に関する援助においてこの人物と初めに会われたと先ほど総理はおっしゃいました。88年8月が最初だとおっしゃったわけですね。それで、ベチューン医科大学のパンフレットには、ベチューン医科大学学長の方が書いておりまして、日本国厚生大臣、運輸大臣、大蔵省大臣、我が校名誉教授橋本龍太郎先生と書かれておって、中国語は余り読めませんけれども、橋本龍太郎先生の絶大なる温かい御支援があった、こういうふうに紹介されているわけです。

この中国というのは、御承知のとおり、1996年7月まで45回の核実験をしております。御承知のとおり、天安門事件ではああいう騒動がございました。それでまた、いまだに政治犯というものがおる国でございます。

総理の過去のことはいいのですが、今、中国はODA四原則における、軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分注意を払うこと、そして、民主化の促進、市場志向型経済導入の努力並びに基本的人権及び自由の保障に十分注意を払うこと、この観点から見ますならば、天安門事件直後、今でもそうですが、直後というのは、さらに注意を払うべき状況であったと私は思うのです。

私は、中国に対してODAが日本の最大になっているという、このことについて、総理大臣の御所見をお伺いしたいのです。私の考えを申し上げますと、私としては、中国にODAは要らない、日本に届くミサイルを持って、原水爆の開発をしている国に要らないと思っています。総理はいかがですか。

[119]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
議員の御意見は議員の御見解として拝聴をいたしました。

その上で、私は、近代化への努力を続け、市場経済へ移行を努力し、そして、我が国との間に、国交正常化以来、また、平和友好条約締結以来、さまざまな曲折は経ながら、今良好な関係を持っております中国という国に、私どもがよりその改革に対しての支援を行うことが我が国の国益に反するとは考えておりません。

[120]
自由党 西村眞悟
支援はわかりますが、我が国は、無原則に支援をできる国ではないわけですね。ODA四原則というのがあるじゃないですか。このODA四原則に該当する国というのは、核を持っている国なんです、ミサイルを開発している国なんです。すべて中国に該当するのです。そして、天安門事件以後は本当に、あれはいまだに何人死んだかわからぬ、軍隊が水平に銃を構えて乱射して、その軍隊は覚せい剤を飲んでおったという新聞報道もある、こういう国なのですよ。

だから、この基準に見合って、中国に対する総理の支援、このベチューン医科大学にも非常に御支援を受けたと学長が書いております、橋本龍太郎先生と。これはいかがなものか。総理の判断が違うというなら違う、私と見解を異にすると言われるけれども、ここに基準があるのですから。中国は核を持っていないのですか、ミサイルの開発をしていないのですか。そして、そのミサイルは日本に届かないのですか。民主化は、政治犯はいないのですか。どうなのですか、総理。

[121]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
どうも議員の御論議と私、かみ合わないのかもしれないので、その点はお許しください。

まず第一に、88年という時点は天安門事件の起きる以前の時期であります。そして、先ほど来、特定の方との結びつきにおいてのみ、そのベチューン医科大学について語られますけれども、多分、ベチューン医科大学に対する協力の問題というのは、私の記憶では、昭和56年ぐらいから始まっていたと思います。

それは、北京にあります日中友好病院を、私が最初、阿波丸の遺骨を引き取りに中国に参りましたとき論議をし、大平総理の訪中で決定をいたしましたプロジェクトでありますから、これが当時としては、中国の伝統医学と日本の医学を一緒に交流させることによって何か新たなものが生まれるのではないかという期待をかけ、そうした思想のもとに進められたプロジェクトでありました。

しかし、日本のティーチングスタッフが一定の年数の後、全員が任期が切れてしまうことを考えますと、バックアップ体制を工夫しなければならないという話がその当時からございました。そして、日本語で医学教育をしているということもあり、ベチューン医科大学がその対象としてクローズアップされてきて、たしか昭和56年ぐらいからだったと思います。そして、私は、これは本当にいいことだと思いましたから、一生懸命にそういう方向に進むように議論をしてきました。

そして、88年に衛生部からお招きをいただいて、確かに私は現地も拝見しましたし、この問題で議論をいたしました。議員がさまざまに位置づけて語られる方がそのときの通訳であったことを私は全く隠しておりません。

その後、天安門事件が起こりました。そして、我が国が厳しい対応をとっていた時期があったことを御記憶だと思います。そして、正確な日時を記憶いたしておりませんけれども、当時の内閣としてその方針を緩和した、厳しい姿勢から緩和をした。当時、私は確かに閣僚の一人でありました。同時に、国際社会の空気も中国に対して変わっていたと思います。それ以来、また歳月が流れております。

そして現在、私は、アジアの安定、平和というものを考えますときに、日米、日中、米中、この関係がしっくりといくかどうかというのは非常に大切なことだと思っております。そして、中国の改革への努力を支援することは、我が国のただ単に利益のみならず、アジアの安定という視点からも極めて大事なことだと考えております。その点で、残念でありますが、議員の中国に対する御見解と一致いたしておらぬようであります。

[122]
自由党 西村眞悟
私の見解はODA四原則に基づいております。そして、今お聞きしたのは、まさにODA四原則の第3号に該当するのが、我が国の近くでは中国であるということを申し上げ、これを否定するか否定しないかという御意見をいただこうと思っておりましたけれども。

日中友好は当たり前でございます。しかし、我が国のODAの戦略的意義は、核兵器を開発する金で必要な医療施設に回せるじゃないか、まずそれをやってくれ、四原則の意味はそういうことなんです。つい1996年7月まで、45回もやっている国に対してそのことを一言も言わずに、日中友好の美名のもとに流れ来って、今何がなっているか。

中国人のほとんどは日本を憎いと思っている。前の委員会でも御紹介しました。日本人も、何か中国というのは居丈高だ。我が国の戦死者の霊を祭る、軍国主義を賛美するとかそんなことは全くない、我々日本人の伝統的心情に対してけちをつけてくる、こういう思いであるのです。だから、今お聞きしなければならないと思ってお聞きしたのです。決して先ほどの人物とこね合わせてお聞きしているわけではありません。

これは、我が国は早晩明確にしなければならないことだと私は思います。言うべきことを言うべきだと思います。そして、総理においても、堂々と靖国神社に参拝すべきだと私は思っておるのです。

さて、私の先ほどの質問は、総理、よく忍んでお答えいただいていたと思います。なぜこういう質問がこの場でなされねばならないのかと言えば、やはりここに公人の出処進退というものがあるのですよ。総理は御否定になるかもわからぬ。御否定になっております。しかし、我が国のマスコミ、そしてそれを読む国民は、やはり何らかの疑惑を持っておるのです。

ここでテストケースの、西ドイツのブラント首相の身に降りかかったギョーム事件というのを御紹介しますと、ギョームという私設秘書がブラント首相の周囲におった。この私設秘書は東側のスパイだったのですが、どういうふうな情報を東側に流したかどうかは関係なく、こういう疑惑のある人物が周りにおったということで、ブラント首相は辞任するわけですね。

これは、ある意味では、日本の今行われているようなこのジレンマ、この何か雲が晴れないような状態は国益に反するのだ。だから、やはり公人としては、弁明して晴れるのならばいい、しかし弁明しないならば、ブラント首相のように、その疑惑を受けたこと自体によって出処進退まで影響すると私は思います。

総理は、ブラント首相がこのように辞任したことをどう評価されているのですか。これは辞任すべきではなかったと思われているのですか。それとも、身の処し方として評価できると思われているのですか。どちらですか。

[123]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
議員がお尋ねがあるということで、ギョーム事件というものをもう一度資料として取り寄せてみました。

1974年4月24日、ブラント首相の私設秘書(党務担当)であるギュンター・ギョームが、東独の諜報機関のスパイ容疑で逮捕された。1975年の12月にギョーム本人には懲役13年、妻クリステルには8年の刑が言い渡された。ブラント首相はこの事件の責任をとり5月6日に辞任をしたというのが記録として残っております。そして、そうした問題があったことを、議員の御質問で改めて思い出しております。

そして、その当時の西ドイツというのがどういう状況にあったかを振り返ってみれば、東西冷戦の最先端、西側の最先端の位置を占めておりました。そうした中における事件で、ブラント元首相はみずからの、自身が判断を下した政治的決断をもって行動をされたと思っておりますが、第三者としての私から何らかの評価を述べるべきではないと思います。

[124]
自由党 西村眞悟
どう御質問を申し上げようかと思って、私、今、まあ正直申し上げて、迷っております。ただ、委員長において、先ほど私の質問が無礼の言に当たるというふうな指摘をされたんですか、気をつけてと。

[125]
委員長 越智通雄
いいえ。条文をお読みしました。気をつけて御発言をと申しました。

[126]
自由党 西村眞悟
わかりました。ただ、事実だけお聞きすることは無礼の言には当たらないと思います。したがって、事実だけをお聞きします。(発言する者あり)そうですか。だから、お聞きします。私はそういう判断でお聞きします。

あの人物が日本で結婚されたときに、その結婚式に出席されましたか。

[127]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
全然。

[128]
自由党 西村眞悟
まあ、これも先ほどの繰り返しになるからやめますけれども、出席された、一緒に写真に写っているというその写真があるというふうに報道されているわけですよ。そして、総理としては、記者の質問に答えて、その人物はたしか日本人だったと思うというふうに答えられておりますけれども、このベチューン医科大学の日本側資料、援助の日本側資料によると、この日本側の担当者でも相手の方はある。そして、中国側の担当者は当該彼女である。こういうことで、総理が、たしか日本人だったと思うというふうなことは言えるはずはないと私は思っておったんだ。だから、総理は全く知らなかったのかどうかということはお聞きしなければならないと思った。総理が弁明されないから、こういう質問も出てくるわけです。

[106]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
先ほども申し上げましたように、平成3年の9月に御夫妻で私の事務所に来られた。そのときに、その男性がどこの国籍であるか、名刺をいただいて、日本人だったことを私覚えていますから、日本人だということを申し上げたんじゃないでしょうか。だけれども、結婚式、お招きをいただく筋でもありませんし、また、出席をする筋でもありません。

[130]
自由党 西村眞悟
いや、私は、総理は、ベチューン医科大学で、学長から最大限の祝辞を向こうのパンフレットに書かれておられる方です。そして、この医科大学に対する援助を行った日本の担当者が、今総理が名刺をいただいた方なんですね。だから、知らないというのは不自然だなと思ってお聞きしたんです。知らないとおっしゃったら、それで結構です。

6月3日の参議院の行財政改革等の特別委員会、この中で、総理は、当該人物のことを、極めて有能な通訳をしていただいた方だと思っております、このようにおっしゃいました。

私の疑問は、総理は、前の予算委員会でも述べられたように、中国語がわからない。では、総理がしゃべった日本語が、総理のしゃべった意味どおりに中国語に訳されているのかどうか、また、中国人が言った中国語はそのとおり総理に対して日本語に訳されているのか否か、これはだれがチェックしていたんですか。これは、およそ総理の地位にある方、当時の閣僚、そういう方が外国との話をするときに、そのチェックなく話をしていたということは考えられないんですよ。

[131]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
まず第一に、88年、私は閣僚ではなかったと記憶をいたしております。昭和63年というのは、たしか私は閣僚ではなかったと記憶をいたしております。まずこれが第一点であります。

そして、これはどうお答えをすべきか大変難しいのですが、私は確かに語学ができません。現在でも海外のお客様とお目にかかるときには、どこの方であれ、通訳の諸君に苦労をかけます。総理という職分になりましてから、その役割は外務省の諸君がしてくれております。閣僚としておりましたときにも、必ずしもその省庁の人間だけが通訳の役割を果たしてくれていたわけではございません。それぞれの専門家を使用する、通訳の専門家を使用する、そういうこともございました。

その上で、受け答え、言いかえますなら、私が申しましたことに相手側がどう言われるか、少なくとも日本語としてそのやりとりで判断をする以外に、私は、現在でも、正確に私の言葉が他の国語に変換されているかどうかを知るほどの能力は全くございません。

その上で、そのやりとりというものは、またその通訳の能力というものは、話す、日本語の場合、あるいは相手国の言葉の流れ、流暢さといったもので、ある程度は判断がつくものではないでしょうか。

[132]
自由党 西村眞悟
今、第三者的なチェックはなかったというふうな御答弁の流れでしたですね。

これは反対側、角度を変えてお聞きいたしますよ。

我々が海外に行って、日本の在外公館から便宜供与ということで通訳を依頼する、こういうことはよくあります。今、総理のお答えで、こう解釈したらよろしいのですか。総理大臣は、その当時、大臣であるなしにかかわらず、我々が我が国大使館から便宜供与を受ける、その便宜供与を中国側から受けておったというふうに解釈していいのですね。

[133]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
私は、さっきから申し上げているように、中国語を含めて外国語の才能がございません。ですから、在外公館の便宜供与は今までも受けておりました。第一、飛行場からどういうふうに行っていいかだって、宿までもわからないケースもしばしばあります。当然そのときも協力は得ていたと思いますが、今細かいことを思い出せと言われましても、私自身がそれはわかりませんが、当然ながら在外公館の協力はあったと思っておりますし、また、なければ、私はその会談場まで行くことすらできないでありましょう。

[134]
自由党 西村眞悟
いやいや、我が国在外公館のあれはあったでしょう、総理の地位でしたら。ただ、総理は、極めて有能な通訳をしていただいた方だと思っておると述べられて、総理のメーンの通訳はその方がやっておるとするならば、我が国国会議員に対して我が国大使館がする便宜供与というものを中国側から受けておったのですかと聞いているのですよ。

[135]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
正確にそのときにだれが一緒にいたかを覚えておるほど、私自身、記憶力がいいとは言えません。

ただ、例えば平成3年に大蔵大臣として訪中いたしましたとき、これは閣僚でありますから、当然ながら大使館なりなんなりから協力を得たと思っておりますが、中国側の通訳を行っておった記憶があります。非常にうまかったと、私は本当に日本語がうまかったと思っておりますし、そういう印象というものは自然に受けるものではないでしょうか。

私自身、先ほど議員が聞かれたような意味でありましたなら、本当に言葉はわからないんですから、正確にどう訳されているかがわかるぐらいであれば、私自身、自分で話すでしょう。しかし、閣僚としてあるいは総理として、公式に行動をいたします場合でありましても、例えば職業通訳の方にお世話になることはございます。そして、閣僚ではない形で参りましたときに、だれが一緒に行動をしてくれたか私は覚えておりませんし、確かに非常に有能な日本語の通訳と、そう記憶したことを素直に私は申し上げております。

[136]
自由党 西村眞悟
総理が雇った通訳じゃなくて、総理自身が認めておるように、中国の公務員であったことは確かですから、その中国の公務員が総理のメーンの通訳をするということは、中国政府から便宜供与を受けたのですかと私はお聞きしたんです。

[137]
内閣総理大臣 橋本龍太郎
中国衛生部というのは、日本でいいますなら厚生省に当たる中国の官庁であります。その招請で、その関係者、衛生部長あるいは病院長といった方々と会いますときに、当然ながら中国側が用意される通訳の方は公務員でありましょう。

まさに、中国という国が今ほど開放の政策をとっていた時代でもないわけでありますし、当然ながら中国の公務員、衛生部そのものが公務員なんですから、そういう意味で……

(西村(眞)委員「中国政府から便宜供与を受けたんですかとお聞きしたんです」と呼ぶ)

便宜供与という言葉、通訳をしてもらったと、招待を受け、訪中し、その会談の中で通訳をしてもらったと繰り返し御説明を申し上げております。

そして、日本側でだれが当時中国大使館から協力をしてくれたのか私は覚えておりませんと、それも正直に申し上げております。

[138]
委員長 越智通雄
質疑時間が終了いたしました。

[103]
自由党 西村眞悟
わかりました。

これで終わります。





平成10年06月15日 衆議院 本会議
[014]
自由党 青山丘
私は、自由党を代表して、平成十年度補正予算案に対し、反対の立場から討論を行います。(拍手)

(中略)

さらに総理は、1988年8月、中国政府の招待により中国に行かれ、公務員の通訳を含む便宜を中国から供与されたようでありますが、これは、日本のODA資料からも明らかなように、ベチューン医科大学への日本政府のODA援助に関連した招待であります。つまり、援助を受ける側が援助を出す側を招待し、総理に通訳を含む便宜を供与したのであります。そして、事実、我が国政府は26億円の無償援助をベチューン医科大学に支出したのであります。

しかし、この構図は、我が国刑法に照らせば立派な贈収賄ではないでしょうか。賄賂に関する我が国の大審院以来の判例は、賄賂とは有形、無形を問わず、およそ人の欲望や需要を満たす一切のものと定義しております。したがって、我が国は、芸者の踊りを見るのも収賄であるとして現実に裁きを行ってまいったのであります。

[015]
議長 伊藤宗一郎
青山丘君、申し合わせの時間が過ぎましたから、なるべく簡単に願います。

[016]
自由党 青山丘
総理が我が国のODA事業に関し、極めて有能な通訳を含む便宜を中国から受けるということは、すなわち立派な収賄であると断ぜざるを得ないのであります。この一点を見ても、総理は責任をとって退陣してしかるべきであります。

以上、補正予算案に反対する理由を申し述べ、私の討論を終わります。(拍手)





平成10年08月18日 衆議院 予算委員会
[384]
自由党 中村鋭一
橋本龍太郎氏が最高外交顧問に就任をなさいました。これは何をやっていただくために橋本さんにお頼みになったのですか。

[385]
内閣総理大臣 小渕恵三
現下、日本の外交問題はあまた課題はございますが、特にことしの秋から来年の春にかけましては、ロシアとの関係をぜひ正常化し、そして平和条約というものを締結した形の姿にしていかなければならぬ、こう思っております。

そこで、特に対ロ外交等につきましては、前総理といたしまして、ロシアにおける現大統領と大変個人的な信頼関係も深くいたしております。そういった観点から考えまして、これからの対ロ外交につきまして、今は一議員ではございますけれども、積極的にひとつお取り組みを願いたいということで、その過去の経験あるいはロシアとの深いつながり、こういうものをぜひ生かしていただきたい、こう思ってそのようなことにお願いをいたした次第でございます。


[388]
自由党 中村鋭一
特に橋本龍太郎代議士の場合は、我が党はベチューンの記念病院問題で追及をさせていただきました。きょうの昼のニュースでもやっておりましたけれども、アメリカではクリントン大統領がルインスキーなる女性との交際をはっきりと認めて、妻に悪いことをした、こう言って政治家と国民に対してわびているわけですね。

ところが、我々がベチューン問題で李●●さんなる女性との交際を追及しても、ついに一遍たりとも橋本総理はそのことについて、あなた何を言っているのですか、絶対そんな事実はありませんと否定はされませんでした。肯定もされませんでしたがね。肯定はしないけれども一切否定はしない、口を緘していることは、我々の側から言えば、そういったことについてお認めになっていると思わざるを得ない、その女性との交際問題をですよ。これは認めておられるわけですね。

しかし、我々が、まだ明らかにされていない点で疑問を持っておりますのは、ベチューン記念病院に対して26億円というODA援助がなされた点について、橋本龍太郎代議士がその点にどのような関与をしていたのか。手伝ったのか、手伝っていないのか。口をきいたのか、きかないのか。便宜を図ったのか、図らないのか。それについて我々にはまだ何の説明も納得できる解釈も与えられていないわけであります。

そのような人にロシアへ行ってもらって、ついこの間まで外務大臣をやっていた、現在総理大臣をやっている方が、何でそういう人に頼んで地ならしや道筋をつけてもらわなければいけないんですか。これは私は、今からでも遅くはない、私がやりますと言ってお断りになった方がいい、こう思うんですよ。

その点について何かお考えはありますか。私はそう思いますが、総理はどうお考えですか。

[389]
内閣総理大臣 小渕恵三
御意見は承りましたが、私としては、力をかしていただける方には全員力をかしていただいてこの難局を乗り切りたい、こう思っております。



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