火炎瓶テロ殺人事件

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昭和46年11月16日 衆議院 地方行政委員会
[014]
説明員(警察庁警備局参事官) 斉藤一郎
11月14日に、御承知のように、東京都内の中心において極左暴力集団のゲリラ活動があったわけでございますが、その過程において、東京の渋谷で警察官が1名重傷を負いまして、昨夜死亡したのでございます。その間の事情、死亡に至った背景その他の概括を御報告申し上げたいと思います。

まず、全国的な概要でございますが、11月14日には、社会党、総評系、日共系の集会、デモがありましたが、その間隙において、極左暴力集団が、集会、デモをやろうということで、全国で1万6000人の極左暴力集団の集会、デモがございました。そのうち、東京では1万3000人、したがって、地方では約3000人の集会、デモがあったことになるのであります。地方は、約37カ所で3000人の集会がございましたが、比較的平穏に過ぎまして、逮捕者が8名出ておるにすぎません。問題は東京でございますが、東京では、1万3000人の過激暴力集団のゲリラ活動がございまして、警視庁は、当日、社会党や日共系の集会、デモの警備の関係もございまして、全体でもって1万2000人の警察官を動員したわけでございます。ただ、非常に手が足りませんので、1万2000人の警察官のうち、2000人を関東周辺の各県から応援を得て警備に当たっております。

東京都内で行なわれた暴力集団の集会の状況でございますが、当日、先ほど申しました日共、それから社会党、総評系の集会、デモも入れまして、相当な数があったわけでございますが、極左暴力集団は、東京都内で6カ所、1万2290人の集会がございました。この中で、渋谷周辺で集会、デモをしようという試みを持っておりました中核派のものについては、かねがね、事前に、「渋谷11・14 渋谷大暴動」というビラを頒布しまして、渋谷周辺の各地に暴動状態の解放地区をつくろうということを試みておるということでございましたので、宮下公園の集会、デモを禁止しておったわけでございます。ところが、当日は、許可がないにもかかわらず、最高時には約6000人に近い過激派の連中が渋谷周辺に集まりまして、ゲリラ状態におとしいれたのでございます。

攻撃目標は、警察施設、駅、それから代々木のところにございますNHKの施設、それから銀行、ガソリンスタンド、そういったものを襲って、火をつけて混乱さす。

当日は歩行者天国を行ないますが、そこに集まってくる市民を一緒に巻き込んで騒擾状態におとしいれるんだということでございましたので、警察としては、日曜日のことでありますし、それから七五三の前日の日曜になりますので、かなり家族連れの人たちが来るということを予想いたしまして、渋谷の商店街に呼びかけて、協力を得て、デパートその他商店は閉鎖をする、それから歩行者天国についても、なるたけ出ていただかない、一般の民衆が巻き込まれてけがをするということでは困るということで、協力を得て、渋谷は、どんな騒擾状態になっても、民衆一般の方の被害がないように、事前に措置しておったのであります。攻撃の目標はもっぱら渋谷駅周辺のようでございましたので、その主要攻撃地点には、機動隊の最も強い、精鋭部隊であるものを充てて、周辺の、NHKだとか、生産性本部だとか、そういったところの警備には応援部隊を充てたのであります。

ところで、問題になった新潟県の警察官が殉職しました場所は、御承知だと思いますが、NHKの少し西北になります神山交番というところがございまして、そこで殉職したわけでございますが、その間の事情を少し詳しく申し述べますと、NHKを襲って、これを占拠して、放送を開始するんだという前ぶれがございましたので、NHK周辺には、かなりの部隊を張りつけて、その襲撃を阻止する。ただ、これは守る警備でございますので、渋谷駅周辺でもって走り回って戦闘を開始する警備ではないという前提のもとに、ここには応援部隊を充てて守るんだという考えで、管区機動隊と申しまして、関東各県の若い者を集めて管区学校で教育した機動隊がございますが、この大隊を2個大隊警備に充てておったのでございます。

そのうちの一つの川島大隊という大隊の中の富沢小隊というのは、これは新潟県から来た警察官でございますが、富沢小隊長以下28名が、NHKの少し西側になります神山交番というのを守っておったのであります。ところが、当日3時ごろになりまして、急に、約300人近い白ヘルメットをかぶった暴力集団が神山交番の約数100メートル北のほうへあらわれまして、先ほど申しました富沢小隊に襲いかかる様子が出てまいりました。そこで、小隊は、わずか28人でございますけれども、その300人近いものを相手にして、これを規制するつもりで、道路上に横隊に並びまして、そしてガス銃を発射するかまえをした。ところが、その規制に押された暴徒は一たん停止したのでございますが、数が少ないと見てとって、すぐに襲いかかって、そして一挙に火炎びんを投げて、その連中を攻撃、せん滅しようとしてかかったわけであります。そこで、富沢小隊は、ガス銃を発射しながらこれに応戦したけれども、ついに、衆寡敵せず、押し切られて退却したわけでございます。

NHKの本館のそばに本隊がおるものですから、そっちのほうへ退却した。その際に、殉職した者をまぜて8人の者が小隊からはずれまして、地図がないのでちょっと御説明しにくいのですが、本隊から離れた方向へ8人が逃げた。それをさらに襲いかかって、ガス銃の射手であった死亡した中村巡査というのは、ガスを撃ちながら退却したために、足元が狂ってひっくり返ったのに対して、鉄パイプでもってこれを殴打して、意識を不明にして、そして手に持っておった火炎びんを4~5本投げつけたのであります。これでたちまちやけどをして、火だるまになったところに、さらに4~5本投げつけた。そして、本人がもう意識不明の状態になったのを見捨てて、応援の部隊が来たときには、さらに南のほうへ逃げ去ったということでございます。

これはわずか一瞬のことで、長くて5分ぐらいじゃないかと思うのでありますが、その間に、死んだ中村巡査、それからあと3人の新潟県出身の警察官がそれぞれやけどをして、警察病院に収容されたわけであります。

中村巡査は、私、警察病院に収容された一昨日の夜見舞いに参りましたが、もうやけどというものじゃなくて、何といいますか、黒こげでございまして、顔が全部炭のようになって、くちびるがザクロのように、こんなになっておりまして、手が炭化して、ここはもう指はありません。ちょうど火ばちの炭のようになって、ひざのこの辺は全部やられておりまして、医者の言によりますと、6割やけどをしたということですが、やけどというよりは、もうバーベキューの黒こげみたいな感じで、まことにむごい悲惨な状態で、わずか21歳の、一昨年警察官になったおまわりさんですが、もう、かわいそうで見ておられない状況でございました。昨夜、おそくに死亡したのでございます。

そういうことで、私どもとしてはまことに申しわけないことだと思っておるのでありますが、最近のゲリラのやり方というのは、無差別で、どこでも少数でもって襲ってくる。しかも、襲う瞬間までは一般の通行人と何ら変わらない。14日の連中のいろいろな連絡を情報でとりますと、なるたけ一般市民と同じように、せびろ姿で行け、そして、火炎びんはまぎわにドッキングして手に入れて襲え、女性はミニスカートで行け、というものでございまして、この間いろいろなことがございますが、長くなりますが、一例だけ申し上げますと、高井戸でもって、男3人、ミニスカートの女1人が、タクシーに乗ろうと思って段ボールを持っていったところが、中に火炎びんが入っておって、ばっとひっくり返って火を発した。それで、近所の人が連絡してくれましたので、警察が行ってそれをつかまえたのでありますが、その連中は、アパートの中でひそかに100数十本の火炎びんをこしらえて、渋谷へ運ぼうとしておった。それを運びそこなって火を発したということでございます。

あるいはまた、新聞に報道されておりましたが、池袋の電車の中で火が吹いたのも、これも火炎びんをひそかに運んでおったのを機動隊に見つかったので、あわてて電車の中に入った。まだ火炎びんを投げるつもりはなかったが、引っくり返って、火が出た。持っておった女も、自分がやけどをして負傷をしておるようでございます。

そういったことで、一般の市民との見さかいがよくつきません。そういう状態で、どこからともなく、砂地に水がしみ通るように渋谷周辺に集まってきて、そして火炎びんを投げる。したがって、いま申し上げた数100人が突如としてあらわれたのも、まぎわまではせびろでもって来たようであります。それで、小田急線で代々木八幡まで乗ってくる間に、電車の中で全部脱ぎ捨てて、ヘルメット姿、ゲバ姿になって、代々木八幡から急遽現場に押しかけたということで、思わない殉職者を出したのであります。今後の警備のあり方についてもいろいろ考えてまいりたい。たいへん大きな犠牲を出して皆さんに申しわけない、こういうふうに考えておるのでございます。

以上申し述べて、御報告といたします。





昭和46年12月10日 衆議院 地方行政委員会
[034]
日本社会党(社会民主党) 山本弥之助
第一点は、先般の東京の11月14日の渋谷の大暴動といいますか、その際に、中村巡査が殉職せられました。成田空港の代執行に引き続きまして、警察官が全く残虐な行為によりまして死亡せられましたことに対しまして、私ども、まことに痛恨にたえない感じでお話をお聞きしたわけであります。

9月16日の成田代執行の警備の概況も、当委員会におきまして私ども御質問をしたわけでありますが、全くそのときと同じ警備体制だった。結果論でありますので、その場に臨みまして適切な対策をとるということはなかなか至難なことでありますけれども、私は、当時と全く同じような感じがいたします。成田空港も、代執行の現場に精鋭部隊を配置し、周辺に応援部隊を配置した。しかも、地理もわからない、情勢もわからない、十分適切な判断が下せない部隊を配置することによりまして、3人の殉職警官を出した。これに対して、当時、後藤田長官は、千葉県の本部長から十分報告を聞いて将来の警備体制の参考にしたいというふうなお話がございましたが、この前の御報告を聞いても、代々木のNHKその他の周辺を警備するということで、そこに2個大隊ですか、応援部隊を配置して、それの1分隊をさらに前進さしておったという実情であると思いますけれども、300名の過激集団に襲われたので、これに対処し切れなくて、本隊に合流する部隊もあり、別の方面に行く者もあった。取り残された警察官が、パイプでなぐられて、失神状態のところに、火炎びんを2回にわたって投げられて、非常な悲惨な状態にあった。生命は1日くらい持ったようでありますが、もう、実に悲惨な、目も当てられない状態だったということであります。

これも、代々木の中心に精鋭部隊を置かれて、周辺に応援部隊を配置して、そうしてこういう殉職警察官を出したという結果でありますが、この際、結果論から言いますと、なぜこれらに対する適切な――応援部隊でございまして、しかも、中村巡査は、警察官拝命以来2年くらいしか経過していない若い警察官のようであります。そして、そういう26名くらいの分隊で300名を食いとめるという体制、これに対処するという体制に問題があるのであって、これは、精鋭部隊でも不可能だろうと私は思います。普通のデモ行進ではありませんので、火炎びんを持って襲いかかるということが明らかであるということであれば、これは、当然、それに対する対処のしかたがあるのではないか。本隊に直ちに合流して、そこで食いとめるとか、ある程度対抗し得る数で規制するというのが警備の常道だろうと私は思います。それらに対して、成田の経験が生かされていない。しかも、これも応援部隊である。地理もわからない。どういう方面にどう後退すればいいかということの指示も適切ではなかったのではないかという感じがいたします。





昭和47年03月21日 衆議院 法務委員会
[075]
日本社会党(社会民主党) 畑和
それからさらにまた、最近の火炎びんの使用状況、それを年度別に明らかにしてもらいたい。実際に使用したものあるいは押収したもの、こちらの資料にもちょっとあるのはありますけれども、一応記録にとどめるという関係もございまするし、その辺と、それから先ほど言った関係のことについて何か考え方があったら述べてもらいたい。

[076]
政府委員(警察庁刑事局長) 高松敬治
3条2項の問題につきましては、こういう文章の問題と、実際にこういう規定が必要かどうかという問題があろうかと思います。

私どもといたしましては、こういう規定ができれば、より実態に沿うというふうに考えております。と申しますのは、やはり実体的に最近非常に発火装置なり点火装置なりというものと実際の燃料である灯油、ガソリンというものを分離して持っているということは、最近は非常に多くなってきておる。現に赤軍派が発行している「夜想曲」というのですが、これの中に火炎びんとか爆弾の製造の手引きみたいなものが書いてあるのですけれども、それには、燃料と発火薬とは分離して保管するというふうなことをはっきり書いてあります。

それから、現実に完成したものを持って歩いた場合はかなり危険が伴う。現に昨年の11月の14日に、電車の中で火炎びんを取り落として、本人は死亡し、まわりの乗客もけがをしたというふうな事件が出ております。それから、あるいはガソリン、それから発火装置とか、その現場付近の草むらに遺留をされておった、そういうものが発見された、こういう事態もいろいろございます。そういうふうに見てまいりますと、やはり火炎びん製造所持だけではなしに、それまでの過程に至るものというものも同じような危険性を持っている。しかも、この前ごらんになりましたように、いとも簡単に両方をドッキングすることができる、そういう点で、こういうふうな規定というものはぜひとも必要ではないか、かように私どもは思います。

乱用の危険の問題につきましては、やはり製造の目的を立証しなければこれは逮捕したりすることはできないものでありまして、この立証ということがむしろ非常にむずかしいであろう。そういう点で、いろいろな客観情勢なり客観的な状態なり、本人の説明なりというようなものによってももちろんできるわけでございますけれども、とにかくこれらの製造の目的というものはかなり重い制限になっておりまして、警察官がいろいろ取り締まりをやってまいります場合に、その点についてはこういう目的という限定がある以上、乱用のおそれはきわめて少ない、かように私は感じておる次第でございます。

火炎びんの使用状況につきましては、警備局長から御説明を申し上げます。

[077]
政府委員(警察庁警備局長) 富田朝彦
火炎びんの使用、押収の状況について、年ごとの数字を申し上げます。

火炎びんが極左暴力集団によりまして最近初めて使われましたのは昭和43年10月14日、福島県にございます日大工学部の校舎に放火をいたしましたのが最初でございます。その43年には使用が40、押収いたしましたもの9。

昭和44年、使用が7281、押収いたしましたもの1万50。

昭和45年、使用いたしましたもの288、押収いたしましたもの621。

昭和46年、使用いたしましたもの4567、押収いたしましたもの6783。

本年に入りましてから、3月20日までに使用いたしましたもの156、押収をいたしましたもの20。

これを合計いたしますと、43年の当初から本年の3月20日に至ります間、使用したと警察が確認をいたした数字でございますが1万2332、押収をいたしましたもの1万7483、以上でございます。

[078]
日本社会党(社会民主党) 畑和
いま数字を明らかにしてもらったわけですが、その数字を見ますと、昭和44年と46年が非常に多い。45年はその中間であって、がたっと少なくなっておる。これはやはり、いろいろ学生運動その他のそういった過激派の連中が、火炎びんを使用する機会が多かった少なかったということの消長に関係があると思います。44年は安保の関係、46年は成田闘争とそれから沖縄返還闘争、この2つだ。したがって、この間にはさまった45年は非常に少ない、こういうことになる。

ことしはこれからどういう趨勢になるかわからぬけれども、大学の授業料値上げ反対等の問題がございますが、それもありますけれども、これがどうなるかちょっとわからない。授業料値上げは見送るという話もありまするし、それによってまた関係も出てくるかもしれぬというふうに思われる。

とにかく相当そういった闘争が激しくなったときに、やはりこうした過激派がこの火炎びんを使う場合が非常に多いということがうかがわれるわけであります。最近はむしろそれより飛び越えて、特に連合赤軍などは爆弾を使うというような傾向が強い、あるいは銃器を使うような傾向が強くなっておるということになりますと、この火炎びんの使用の消長も、いろいろこれからも違ってくるだろうというようなことも考えられる。一応はやりものだということも一つは考えられるのであります。





昭和47年04月06日 衆議院 決算委員会
[052]
民社党 吉田賢一
警察庁にお尋ねいたします。

別の意味からやっておりますから、私は深くお尋ねするつもりはございません。ただ、この機会に1、2だけちょっと伺っておきたいのでありますが、最近あちらこちら、たとえば成田事件その他大学の騒動等において見ましても、例の火炎びん騒動というのが相当広範囲に被害を及ぼし、かつまた世人を畏怖せしめておるわけであります。派出所が46年でも30焼かれておりますし、大学におきましても、あるいはまた高校とかその他飯場、警察以外の車両なんかもずいぶん焼き払われたりしておるのであります。

この火炎びんの機能状況を見てみますと、過般も警察学校の実験しているところをちょっと拝見いたしましたが、たとえばビールびんにガソリンを八分目入れまして、そしてぶち投げたときに、燃焼時間は35秒。35秒で2~3メ-トルばっと焼いてまわっておりますし、5メートルぐらい炎がどっと高く上がっておりますね。こういうようなことを見ますと、警察官の立場で、いま国会の周辺でも、相当なデモが行なわれますときは、ヘルメットその他の装備をしてたくさん警察官が立っておるのですが、取り締まりと並びに捜査も入るかもわかりませんが、主として取り締まり等の場合に、こういうような理化学的な現象を活用いたしまして危害を加えるというような火炎びんその他のものが出てきますと、警察官の人命の問題も相当重要なことになってくるのではないかと思われます。

統計によって見ましても、警察官の受傷しておりますのが44年には304名あります。46年には168名あります。そして死亡した者が4名あります。



[054]
政府委員(警察庁長官官房長) 土金賢三
お答え申し上げます。吉田委員御指摘のように、最近の過激暴力集団のエスカレートぶりと申しますか、これはまことに目に余るものがあるわけでございまして、最初は投石、ゲバ棒というようなところから発しまして、火災びんはおろか、爆弾あるいは銃というふうなものまでも持ち出して、過激な暴力の限りを尽くしておる、こういうふうな状況でございまして、これが国民の皆さまに不安を与えておることはおろか、さらに警察官自身にも、ただいま御指摘のような多数の受傷者を出しており、まことに私どもとしても遺憾に存じておる次第でございます。

こういうふうな情勢に立ちまして、警察といたしましては、断固たる決意をもってこれに対処して、彼らの暴力を未然に防ぐとともに、犯人に対しましては、これを早期に検挙して、その絶滅を期してまいりたいというふうに考えまして、その方針のもとに、目下全力をあげてこれに努力を傾注しておるところでございます。





昭和47年04月12日 衆議院 法務委員会
[004]
日本社会党(社会民主党) 中谷鉄也
まず、最初にお尋ねをいたしたいと思いますが、質問の第一点は、火炎びん立法の必要性についての法務大臣及び国家公安委員長の御所見いかんというのが質問の第一点であります。刑罰法規については、常にその必要性が強く迫られるものでなければなりませんし、いま一つは、その立法が合理性を持つものでなければならないと思うのであります。この点について両大臣の御答弁をいただきたい。

[005]
法務大臣 前尾繁三郎
御承知のように、最近過激派集団の火炎びん使用が熾烈をきわめまして、不法事犯が続発をしておるわけでございます。また、その使用方法が非常に残酷な方法が用いられまして、警察官並びに一般市民が非常な不安を持っておる次第でありまして、死傷者もずいぶん出ておるというようなことであります。そして、何とかこれを未然に防止することができぬであろうか、あるいはこの不法事犯を効果的に厳重な処罰をすべきだという声が、ちまたにみなぎっておるわけであります。

そういう意味からいたしますと、早急にわれわれとしましてもこの法案の成立を急いでいただかなければならない。率直に申しましたら、われわれも法制審議会を通して出したかったわけでありますが、それではどうもいまのスピードから考えてみますと本国会において成立しないのじゃないか、こう判断いたしましたので、むしろ皆さま方のお力によってぜひこの法案の成立をはかっていただく、そのほうがより妥当ではないか、こう判断いたした次第でありまして、私としましては非常な必要性を感じてまいった次第であります。

[006]
国家公安委員会委員長・行政管理庁長官 中村寅太
御承知のとおり、極左暴力集団は、火炎びんを手製爆弾とともに武装闘争に欠くことのできない武器として高く評価し、各所でこれを使用し、昨年、第二次成田代執行阻止闘争では警察官3名を、それから11・14渋谷闘争では警察官1名をそれぞれ焼き殺し、また11・19沖繩返還協定阻止闘争では、日比谷公園内の松本楼を全焼させるなどの破壊的な違法行為を繰り返しています。

ちなみに、昭和44年以降における火炎びんによる被害は、人的なものとして、警察官496名、警察官以外の者189名が受傷し、うち警察官4名、警察官以外の者2名が死亡し、また物的には、警察関係施設、建物58件、警察車両20台、警察以外の施設、建物111件、車両92台が焼かれております。

このように、火炎びんによる被害は著しいものがあり、その性能や危険性において、手製爆弾と異なるところはありません。

現在、わが国においては火炎びん自体を取り締まる法令がなく、凶器準備集合罪や軽犯罪法等の現行法令を適用して取り締まらざるを得ないところでありますが、これらの法令の適用には諸種の制約的な要件があり、火炎びんの製造、所持自体の取り締まりには必ずしも十分に機能を果たし得ず、このため、火炎びんの使用による被害はあとを絶たない現状であります。

もともと火炎びんは、善良な市民生活には何らの効用が認められない凶器そのものであり、その性能、威力からして、一たん使用されるとなると著しい被害をもたらすものであるところから、使用以前の製造、所持の段階をも含めて、火炎びんそのものを規制することが必要であると考えます。



[023]
日本社会党(社会民主党) 中谷鉄也
最近における火炎びんを使用した不法事犯による人的、物的被害状況を説明していただきたい。それが私の最後の質問であります。

[024]
政府委員(警察庁警備局長) 富田朝彦
昭和43年の10月14日に福島県にございます日本大学の工学部の校舎におきまして、いわゆる校舎放火事件が起こり、その際に初めて火炎びんを手段とした放火が行なわれたわけでございますが、以来今日まで受傷いたしました警察官は497名、警察官以外の方でけがをされた方は189名、また、負傷されたいま申し上げました数字のうち、死亡されました方は6名でございます。

そのほか物的な損害といたしましては、派出所が53件、警察署4件、車両112台、大学施設が24件、事務所、一般民家20件、かような数字にのぼっておる次第でございます。





昭和47年04月18日 参議院 法務委員会
[160]
政府委員(警察庁刑事局長) 高松敬治
3条2項の問題につきまして、こういう規定がどう理解されるべきものかということからまず申し上げていきたいと思いますが、火炎びん自身が、非常に完成した火炎びんというものはある種の危険性を持っている。現に昨年11月ですか、池袋の電車の中でこれを持った過激派の女子学生が取り落として、そこで爆発をしまして、8人が負傷してその女子学生自身が死亡したというふうな事件がございます。たいへんこれは危険である。

そこで大体において、最近の傾向としては製造を中止した、完成品を持ち歩くことはむしろ非常に少なくなりつつある。現に赤軍派の出している「夜想曲」――夜想う曲という、名前はたいへんやさしい名前の本でございますけれども、この中身は「火炎手榴弾」と書いてございますけれども、火炎びん、あるいは爆発物、そういうもののいろんな作製の手引き書、注意、それから使い方の説明書でございます。その中にも、原料はなるべく分離して持って歩け、それから点火する薬品はなるべく少量ずつ持っていくのだというふうなことを書いております。

そこで3条2項というものは製造、所持を禁止をしておる。で、製造、所持だけに限った場合に、こういうふうな分離して持っていた場合には、これは火炎びんにならない。そこでやはりこういうふうな3条2項というのは、3条1項のいわば脱法的な行為と申しますか、そういうものを別々に持っていってドッキングするということをやはり処罰の対象にする、こういうことがまずこれの考え方であろうと思うのでございます。





昭和52年05月17日 衆議院 地方行政委員会
[126]
民社党 山本悌二郎
成田空港事件についてお尋ねをいたしたいと思うのです。

これもかなり御質問が出ておりますし、十分承知をいたしております。しかし、東山さんという方が亡くなられたという事件、それからまた一方、警察官の方もかなり重体だというようなことを聞いておりますので、少しお聞きをさせていただきたいと思います。

この成田空港の反対闘争をめぐって、警察と過激派の双方に多くの負傷者を出したと聞いております。そこで、今回のこの衝突になった場所と、またそのときの状況を簡単に御説明していただきたい。

[127]
政府委員(警察庁警備局長) 三井脩
16件各種事案が6日の鉄塔倒し以来あるわけでございますが、特にその中で2件が典型的に悪質な事案でございまして、一つは5月8日、一つは5月9日であります。

5月8日は、白昼公然と警察部隊に対する悪質な手段による攻撃をかけた事案ということで、事案の規模等につきましては、220名の警察官に550名の極左暴力集団が、火炎びん攻撃、火炎自動車、投石、鉄パイプ、角材、劇薬を投げるというような方法で襲撃をしてきたのであります。これに対して警察部隊が催涙ガスの使用等により対応いたしましたが、125名の負傷者を出し、25名を現行犯で検挙する、こういう事案が一つございました。

東山さんの死亡原因となった負傷はこのときにされたものと言われておりますが、この点につきましては警察自身において調査をしておる、また一方、告発等もこれあり、その以前からでありますけれども、検察当局において捜査をしておる、こういうことでありますので、現在までのところその結論は出ておらないわけでございます。

もう1件は、その翌日の5月9日午前3時半ごろの発生事案でございますが、芝山町長宅前臨時派出所に勤務しておる6名の警察官に対しまして、40名を超える極左暴力集団の一派が突如襲撃いたしまして、これまた40本から数10本に及ぶ火炎びんを集中的に投てきするということによりまして、6名全員が負傷し、そのうちの3名が重傷、1名が死線をさまよっておりますが、もう1名は現在重体というような被害を出しておるわけで、この点につきましては鋭意特捜本部において捜査をいたしておりますけれども、現在までのところ犯人検挙のめどはまだついておらないという状況でございます。





昭和52年05月24日 衆議院 内閣委員会
[139]
説明員(警察庁警備局警備課長) 若田末人
それから第2点の9日の午前3時過ぎの事案でございますが、これは私ども岡田部長を現地から早速東京の警察病院にヘリコプターで運んでまいりまして、アメリカからも薬を取り寄せて一生懸命努力をいたしまして介抱いたしたわけでございますが、残念にも先日亡くなってようやく密葬を終わった状況でございます。

この岡田君の部隊が襲撃された状況につきましては、9日の午前3時33分ごろだったようでございますけれども、かねて芝山町長さんは空港の開港の方にいろいろと御努力をいただいておりまして、先立つことにおいてお宅自身が過激派によって襲撃を受けたことから、警察としてもこれは放置できないということで臨時派出所をつくりまして、当時6名の警察官が岡田巡査部長を長として配置についておったようでございますが、約40~50人の過激派の連中がやぶから突如として岡田巡査部長以下6名を襲ったようでございます。

まず最初に鉄パイプあるいは角材等で6名の警察官をめった打ちにいたしまして、これに対して分隊長の責任者でありますので、岡田部長は敢然と向かっていったようでございますが、多勢に無勢、木材等で頭等をたたかれましてそこに倒れる、倒れたところに40本近くの火炎びんを集中的に投げつけられまして、私どもが病院で見ましても頭がすでに炭化するというような状態でございました。いま1人西建君というのが瀕死の重傷を負って危篤の状態でございますが、この2人は体の7割にやけどを受け、普通は3割受けましても死亡すると言われておるわけでございますが、頭や顔を見ましても本当に見られないような炭化の状態になっておるという状態でございます。

私どもかねがねこういう少数の部隊を配置する場合には十分留意をさせておるわけでございますけれども、いかんせん不意をつかれまして、急遽大ぜいの過激派の連中に突如として襲われたという状況でございまして、鋭意この面については捜査をいたしまして必ずや犯人を検挙したいと考えております。



前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
漢数字は一部アラビア数字に変換、一部括弧と句点を入れ替えています。
基本的に抜粋して掲載していますので、全文は元サイトでご確認ください。