昭和23年04月26日 参議院 治安及び地方制度委員会
[007]
国家地方警察本部次長 溝淵増己
実は今度の兵庫、大阪、その他の府県にも沢山朝鮮人が地方庁に対しましていろいろ抗議を申込んでおる事態であるのでございますが、それの原因はすでに御承知のように、文部省から本年の1月24日に朝鮮人だけの学校を閉鎖せよというような指令を出しまして、各府県ではそれに準拠しまして、それぞれ県の知事の名前を以てこれの閉鎖の命令を出しておるのであります。
全国の学校が約500余り、生徒が5万ぐらいおるのでありますが、朝鮮人にとりましては、これはかなり大きな問題だ、こういうことから各方面でこの直接指令を発した府県知事に対しまして抗議を申込んでおるというのが実情でありまして、現在山口、岡山等にも相当な動きがあるのでありますが、最も大きく問題が出たのが兵庫と大阪であります。つきましてこの問題は相当不穏の計画があるということは承知いたしておりましたが、こと教育問題に関するので、我々といたしましてはそれが警察問題となるというところまで静観するという態度を取つて、今日まで慎重に見ておつたのであります。
ところが兵庫県におきましては、4月14日朝鮮連盟の代表者が約70名程県庁に押しかけまして、知事室を占拠しました。そこで警察官を出勤させましたが、相当強引に面会を求めまして、この閉鎖命令の撤回を要求しておるようであります。そこで警察としましては、相当警備員を出して警戒いたしておりましたが、その日は別に問題なく済んだのでありますが、翌15日更に居座り戦術を以ちまして、なかなか退去しないで、結局70名を検挙いたしたのであります。ところが朝鮮人側からその検挙せられた連中の釈放と、それから更に最初の要求である閉鎖命令の撤回、この2つを目標にしまして、いろいろ運動を続けておつたのであります。
最後になりまして、最も問題を起しました4月23日でありますが、この日は午前11時頃までに約200乃至300名が県庁の庁舎内に入りまして、丁度そのときに知事、副知事、検事正か会同いたしまして、小学校閉鎖の命令の処置について協議しておるところに入つて参りました。5時頃までいろいろ抗議を申込んでおつたのでありますが、可なり形勢不穏でありますし、知事の方では止むなしとこう見まして、逐に相手方の要求を呑まざるを得ないといつたような結果になつたのであります。
そこでその際庁外に約500乃至800程度の朝鮮人が集まりまして示威運動、これと呼応して庁内におる200~300名の朝鮮人が相当強硬に知事に談判をいたしておつたのであります。その結果知事は余儀なくこれを撤回するという処置に出たのであります。そこで彼等は知事が撤回したので退散することにしたのでありますが、そのとき彼等の行動が相当不法に亙るというようなところが見られ、又退去を命じても退去しないというような結果になつておりますので、これに対しては警察としまして相当厳重な態度で臨む必要があるということになりまして、続々これの検挙をやつておるのであります。同日も約1000数百名の警察官を、自治体警察及び国家地方警察の要員を出しておるのであります。実はこれにつきましてちよつと申上げたいことがありますが、速記を止めて頂きたい。
[008]
委員長 吉川末次郎
速記を止めて。
[009]
委員長 吉川末次郎
速記を……。
国家地方警察本部次長 溝淵増己
次に大阪でありますが、大阪は23日であります。この日午後1時頃約1万5000の朝鮮人、内、小学生が2000名程おつたのでありますが、府庁に押掛けまして、代表50名が府知事に面会を申込みました、そうしてこの閉鎖命令の撤回について抗議を申込んだのであります。
午後3時20分頃になりまして、代表以外の連中が府庁内になだれ込んだのであります。そこで副知事から退去命令を出したのでありますが、彼らはそれに応じないということになりましたので、結局これを阻止する現場警戒の警察官、最初は約200名ぐらいの警察官でありましたが、とてもそれに応じ切れないので応援を出しまして、約3000名は警察官で以て午後3時過ぎからこの警戒に当りました。
そうして退去命令が出ると同時に、これらを個々に追出すという作戦を採つたのでありますが、なかなか出ないので、結局は乱闘のような結果になりました。その結果主たる者約200名を検挙いたしまして、そうして外部に散在しておりました者は退散を命じ、次第に三々五々退散しまして、午後の7時20分頃全部退散したという結果になつております。彼らは府庁内における行動は相当乱暴であつた、従いまして知事室のガラスを割り、或いは机を叩くというような事実もあつたのであります。
大阪府としましては、大阪市の警察局としては騒擾罪で検挙しまして、日本の裁判で裁判するという態度を現に採つておるようであります。以上は大阪と兵庫における状況の概要であります。実は事態の発生した地域が自治体警察でありまして、管区を通じての連絡でありまして、十分只今のところ詳しい情報が入つておりませんので、尽さないところもあると思いますが、大体の概要は以上のようであると承知いたします。
昭和23年04月27日 衆議院 治安及び地方制度委員会
[012]
国家地方警察本部長官 斎藤昇
神戸事件につきましては、すでに新聞等で御承知の通りでございまして、警察といたしましては遺憾の意を表する次第であります。
兵庫県におきましては、去る4月14日に朝鮮人学校5校に対しまして閉鎖命令を発したのであります。ところが彼らは依然授業を継続いたしまする一方、朝鮮人の団体の幹部、生徒父兄等約70名が、去る14日午後1時ごろ副知事に面会を求めまして、閉鎖命令の撤回を強要いたしたのでありまするが、これを拒否されまするや、同4時ごろから居坐り戦術に出でまして、副知事室を占拠いたしまして、翌15日午後5時に至りましても退去しなかつたのであります。警察は関係方面と連絡をとりまして、不法占拠者全員を住居侵入罪として検挙いたしまして、市内の警察署に留置をしたのであります。
これを知りました朝鮮人連盟におきましては、各小学校に400~500名ずつ集合いたしまして、これに対する対策を協議をいたしますほか、検挙者の釈放運動を活発に展開いたしました。
4月23日の午前10時に県庁知事室におきまして、知事、副知事、検事正、市の警察局長等が参集をいたしまして、学校の閉鎖強制執行に関する打合会議をやつておりましたところが、そこへ朝鮮人が三々伍々県庁内外に押し寄せまして、11時ごろには知事室に200~300名、県庁の周辺に数100名が集結いたしまして、スクラムを組んで気勢をあげ、器物、建物を破壊いたしまして、知事室と外部との連絡を断つて、会議中の首脳者を軟禁状態に陥れたのであります。
警察は事態を重視いたしまして、国家、自治両警察から約1500名を非常招集いたしまして、県庁前の朝鮮人を退散せしめまする一方、知事室内外の朝鮮人に退去を強制すべく努力をいたしたのでありまするが、朝鮮人の猛烈な抵抗を受けまして、知事等の安全なる救出は、朝鮮人に対する強制力によつては目的を達することが不可能であるという判断を下しました。当時ここに参りました進駐軍のMP関係の人たちと相談をいたしまして、強制退去の実力行使に出でなかつたのであります。軟禁中の知事、検事正、市長等は、5時20分ごろ遂に、彼らの要求する朝鮮人学校の閉鎖命令を撤回する、朝鮮問題に関しては今後朝鮮人教育委員会等と協議をする、朝鮮人特殊学校は許可あるまで従来通り認める、事件に関する不法行為者は一切処罰をしない、学校明渡しの命令は撤回するというように、全面的に彼らの要求を承認し、検挙中の朝鮮人を全部釈放し、同6時彼らは散会したという報告に接しているのであります。
そこで神戸地区司令官は、その日の午後10時ごろ、非常事態を宣言いたしまして、警察は憲兵司令官の指揮のもとに関係朝鮮人の検挙に当ることに相なつたのであります。ただいままで受けております報告によりますと、朝鮮人の関係者約1200人ほど、すでに逮捕したという報告を受けているような次第であります。詳細はただいま溝淵次長が出張いたしまして取調べている次第でありますが、一応われわれの報告を得ておりますのは、ただいま申し上げたような状況でございます。
昭和23年04月27日 衆議院 本会議
[009]
民主党(自由民主党) 後藤悦治
御承知のごとく兵庫県知事は、この朝鮮人学校に対するところの閉鎖命令を出したのであります。また神戸市長は、学校校舎からの立退きを要求したのであります。また市丸神戸地検検事正は、この問題に対しまするところの煽動者を検挙しておつたのでありまするが、これが24日の騒擾において、これらの知事、市長並びに検事正という現地のそれぞれの担当官が、一たび断行した措置を飜して、一応それらの要求を受けざるを得なかつた。これはどういう実情であつたか。この当日の兵庫県庁におきまする場面を、この際一言申し述べてみたいと存ずるのであります。
当日、ちようど兵庫県庁におきまして、兵庫県知事並びに神戸市長、検事正あるいは教育部長、これらの、今回の事件に関係を有しまするそれぞれの責任者が、本問題に関してたまたま協議をいたしておつたのであります。その県庁に、約1000名ばかりの朝鮮人が押し寄せました。現存兵庫県庁は、元の兵庫県立第一高等女学校を、戦災後仮庁舎として使用をいたしておるのでありまするが、これが教室を知事室に充てておりまするために、知事副室は一方口になつておりまして、知事室と知事副室は、仮の壁が設けてあるにすぎないのでございます。たまたまこれらが大挙して押し寄せましたので、知事室に闖入を防ぎますために、官房に関係をいたします県吏員が、内部からこれを阻止せんといたしておつたのであります。この仮ドアを多数の暴力によつてまず破壊して闖入をいたしました。次に、副室から知事室にはいりまするところのこの仮障壁を、壁ぐるみ破壊をしたのであります。
こうして闖入いたしました多数の暴力的な行為者は、ただちに知事の卓上にありました電話器を床上に投げつけて破壊をいたし、通信を遮断いたし、その机の上に飛び上りまして、その辺のガラスは散乱をする。あらゆるいす類はことごとく破壊せざるはなし、こうして一つの威圧を加えまして、これらの関係者に、ただいま前田議員が読み上げられたごとき要求の応諾を迫つたのであります。
かかる際において、この急を聞いてかけつけました少数のM・Pが、何とかこれを阻止せんといたしたのでありまするけれども、これらの闖入者は、撃つなら撃てと婦人も交えて押し迫つて、このM・Pの阻止に応じなかつたのであります。こういう状態が、遂に強行的にそれぞれ知事、市長、検事正に対して要求事項を承認せしめた。こういう経過をたどつておる次第であります。
[012]
法務政務次官 松永義雄
大阪及び神戸における不祥事件は、まことに法務庁として慨嘆にたえない次第なのでございます。
大阪におきまする、朝鮮人の府庁に対する押しかけ問題は、ただいま前田君よりの御説明によつてはつきりいたしておりまする通りに、多数の者が、知事の設置者に対する命令に抗議を申し入れるために府庁に押しかけまして、そうして、ほとんど騒擾にも思われるような行動に出ましたために、遺憾ながら約200名の者が、現行犯として逮捕せらるるに至つておるのであります。
なおまた神戸におきましてほ、去る10日に、学校閉鎖命令に端を発しまして、これに応じないところの朝鮮人の人々が、団体あるいは職員の父兄らを先頭に立てまして、校舎明渡し絶対反対、日本側学校転学拒否等を決議いたしまして、兵庫県庁に押しかけまして、兵庫県知事に対して面会を要求してまいつたのであります。4月14日午後2時ごろでありますが、在日本朝鮮民主青年同盟委員長ほか約30名の者は、教育部長に対し学校明渡しの反対陳情をなすべく県庁を訪問しました。その際知事におきましては、他用がありまして、差支えがありましたために、ただちに面会する機会を得なかつたのでございますが、押しかけて参りました朝鮮人の団体の人々は、徹宵県庁内の部屋中にいすわりまして、そうして知事に対して面会を強要してやまなかつたのであります。
15日午前2時ごろ、知事より、これらの講義申入者に対して会見すべき旨通知し、しかして、兵庫県渉外事務局長室において面会したい旨を申し入れましたところが、副知事室を占拠しておりました前記の朝鮮人の団体は、どうしても副知事室において面会せんことを強要してやまないのでございまして、ついに午後1時30分に至りまして、学務課の公務員の方が、知事はどうしてもここでは面会されませんから立ち退かれたいとの要求をいたしました。午後4時50分、さらに立退要求書を副知事室において3回にわたつて読み上げるに至つたのであります。しかるに、これに対してもなお朝鮮人の団体の人々は、これに応ずる色もないのでありまして、やむを得ず生田警察署木村警部は、退去をこうやつて要求されているのであるから、どうかここを立ち去つてもらいたい、もしこれに応ぜられないときは、やむを得ず住居侵入罪に問われるようなことにならぬとも限らぬから、速やかに立ち退くよう、約20分間にわたつて最後の勧告をいたしたのでありますが、これに対してすらも、彼らはこれに応ずる気配はなかつたのであります。このことからしまして、はなはだ遺憾なことでありますが、建造物侵入罪の現行犯としまして、約70名の方が検挙されるに至つたのであります。
しこうして24日に、きわめて嘆かわしい不祥事が遂にまた再発するに至つたのであります。あたかも24日に、26日ごろに至つて朝鮮人約30名がデモをやるかもしれぬというような情報がはいつたというので、24日午前9時、兵庫県庁の知事室で、知事、神戸市長、国家警察長、神戸自治警察局長、検事正らが相寄りまして、警備対策を協議しておりましたところが、朝鮮人約50名が、何1000名という応援をあとに受けまして、乱入してまいりまして、あるいは電話を壊し、あるいは乱暴し、喧騒を極めて、外部との交通をまつたく遮断し、知事に対して学校閉鎖の申入れの撒回を要求したのであります。あるいはまた警察長、あるいは検事正に対して、拘留中の被疑者の釈放並びにその他の行動について何らの処分も行わない旨の誓約を要求するに至つたのでありまして、まことに事態は極度に不安の体を呈したのであります。当日午後10時に至りまして、軍政部からは非常事態発生の宣言が発せられまして、知事及び検事正、検察庁の人々は、これらの趣旨を体しまして、翌25日午前3時ごろから、鮮人の検挙に当つたのでございます。
しこうして、先ほどもお話がありましたごとく、早速に法務総裁においては神戸の現場に向かわれ、さらに最高検察庁の検事の方々も現場に出張せられて、その調査に当つておられるのでありまして、この一両日を経ますれば、その真相が明らかになると思うのであります。その結果によりまして適当の方法を講じ、不安を一掃し、そして秩序を回復したいと期待いたしている次第であります。
昭和23年04月27日 衆議院 予算委員会
[023]
日本社会党(社会民主党) 中崎敏
次に治安の問題に対しまして質問いたしたいと思いますが、今回兵庫県等において、朝鮮人の集団が大挙県庁等に押しかけて穏やかでないような行動に出ているように承つておりますが、これに関する真相を御説明願つて、さらにかくのごとき国内治安上のゆゆしい問題が、今後においても継続的に繰返されるということは、国民全体、さらに国家社会の大きなる不安のもととなるわけでありますが、これについて今後適当な措置を講ずる用意があるかどうかということについても、御説明願いたい。
昭和23年04月30日 衆議院 治安及び地方制度委員会
[042]
国民協同党 小枝一雄
今回の事件を考えてみましても、ただ単に大阪、神戸のみならず、山口、岡山、全国到るところにこれに類似する問題が起きてきたのであります。
ただそれが命令を撤回するに至つておるか、おらないかという程度でありまして、現に岡山県のごときも、この問題の当時は8000名の朝鮮人が岡山県庁に押しかけてきて、知事に強談判をし、副知事や、学務部長がいろいろ説明をいたしましたけれども、閉鎖命令を出したのは知事だ。きさまらはひつこんでおれといつて、一歩も寄せつけないということで、数時間の間これに強硬な示威的の談判をしたということは事実であります。
昭和23年05月07日 衆議院 本会議
[011]
民主党(自由民主党) 中村俊夫
翌24日朝早く、これらの検挙されましたる被疑者の収容警察でありまする南警察署に、約500名の朝鮮人が押しかけ、午後3時ごろより警察官との間に乱闘となつて、れんがを投げつけたりいたしまして、警察官約13名負傷いたし、朝鮮人暴行者6名の検挙があつたのであります。
昭和23年05月22日 参議院 治安及び地方制度委員会
[010]
無所属 鈴木直人
先ず兵庫県における概況を申しますと、兵庫県においては4月10日閉鎖命令を受けるや、4月12日、4月13日、4月14日と連日県庁に父兄或いは代表者が押しかけまして、知事に面会をして、閉鎖命令の撤回の要求をいたして、遂に4月14日の夜においては、数10名の者が、県庁の副知事の室で学務課長を取囲んで終夜押問答を続けて、遂に徹夜をいたし、明けて15日も引続き副知事室に坐り込んで、知事との直接面会を要求して動かなかつたわけであります。
その日の夕方午後5時頃になつて、知事は遂にこれらの人々に解散命令を書類を以ていたしまして、撤退しなかつたために、全員73名を検束するということになつたのであります。警察との関係は大体これ以後に起つて来るわけでありますが、この検束せられたということを知つた神戸市内の朝鮮人の方面におきましては、その夜8時頃、或いはトラツク或いは三々五々と県庁の周囲に集まりまして、約数100名に達したのであります。
尚一方これらの70、これは3名は帰されたのでありますが、70名の検束者を留置しているところの生田、兵庫の警察署の周辺にも、それぞれ数100名の朝鮮人が参集いたしまして、そうして不穏のままに、その当夜は警察官と対峙して徹夜をし、翌16日にも県庁の周辺には約300名の群集が集まつて、その代表者が知事に面会を求めて、この被疑者の釈放と閉鎖命令の撤回について交渉をいたしたのであります。
一方又2つの警察署におきましても、群集がますます多くなつて、そうして面会の強要とか或いは被疑者の即時釈放、差入れ要求などを続けながら、1日を経過いたしたのであります。この日の警察官の動員は549名になつておるのでありまして、この際における市警察或いは国家警察との連絡は、極めて順調に進められておつたようであります。
次の17日、18日と段々經過するにつれまして、拘留中の朝鮮人は、取調べを終りまして、刑務所の方に移されました関係もあつて、段々と群衆は解散をし始めて、19日に至つては漸く平穏となつて、警察関係におきましても、警備態勢を一応解除するようになつたようであります。
昭和23年12月13日 衆議院 大蔵委員会
[059]
民主自由党 宮幡靖
これは間税関係でどぶろくを摘発されました朝鮮人の一団であります。これが数100名税務署に押しかけて参りまして、署長とそこにおりました直税課長――これは関係ないのでありますが、直税課長は署長に代理する意味で署長室に入つたのであります。これを包囲していろいろな税務部面を越えまして、たとえば米を4合配給しろ。配給してくれなければ食えないのだから、どぶろくをつくつて売るのはあたりまえだ。われわれに選挙権を与えろ。というような税務の面でない要求を持つて行つて、これに迫つておつたのであります。
昭和24年07月30日 衆議院 考査特別委員会
[379]
民主自由党 大橋武夫
そのとき2階にいたとあなたが想像する人は、だれか1人や2人はいるだろう。あれがいたろう、これがいたろうというのがあるでしよう。だれか言つてごらんなさい。あなたの言つた鈴木光雄、金明福とか、鈴木磐夫はそのとき警察にいたのだから――鈴木光夫君は平市内の朝連事務所にかねて手配せる通り共産党と朝鮮人連盟を150名集めて、これを引連れて警察に押しかけていたじやないか、金明福君もそのときに一緒に押しかけているじやないか、だからあなたが下にいたときに2階にいるはずはない。だから2階にいた人はだれです。この鈴木光雄君はあなたの方の計画の第一陣の第二部隊になつておる。
[380]
証人(アカハタ記者) 清野常雄
それは何だか知りませんが、全然そういつたことは……。
[381]
民主自由党 大橋武夫
そういつたことじやない。2階にいた人はどなたですか。
[382]
証人(アカハタ記者) 清野常雄
ですからさつきも申し上げた通り、だれが……。
[383]
民主自由党 大橋武夫
金明福というのは古賀政男という通称になつておるのでしよう。
[384]
証人(アカハタ記者) 清野常雄
それは知りません。
[385]
民主自由党 大橋武夫
君は知らないのですか。そんなこと知らないはずはないでしよう共産党員たるものが。ふだんは古賀政男と金明福は言つておる。この人が朝鮮人連盟へ一たん警察から引揚げて来て、それからすぐ大衆を引連れて警察へ押しかけている。だからあなたがさつき言われた3時半ごろにはおられるはずはないのです。鈴木光雄も鈴木磐夫もおるはずがない。だからそのほかにだれがおりましたか。
昭和25年07月11日 参議院 地方行政委員会
[031]
無所属 岡本愛祐
この滋賀県における朝鮮人問題は甚だ憂慮すべき状態でございまして、朝鮮人が自分の朝鮮人の学童をけしかけまして村役場、町役場に押し寄せて来る、毎日のように押し寄せて来る。多いときには50名、少ないときは20名、それで歌を歌い乱暴をいたしまして、村長の机の上へ子供が上つて小便をする。それを引きずりおろせば手に噛みつく、足に絡みつく、どうすることもできないので甚だ困るという状況を今続けておるのであります。
昭和25年11月30日 衆議院 法務委員会
[006]
国務大臣(法務総裁) 大橋武夫
今回の騒擾事件発生に至るまでの経緯を申し上げますると、11月20日午前10時ごろ神戸市長田区役所に朝鮮人約300名が押しかけて参りまして、生活保護法を適用してくれという要求を掲げて、不法行為に出ましたので、1名を公務執行妨害に、30名を外国人登録証明書不携帯としてそれぞれ検挙いたしております。
11月24日午前11時ごろには朝鮮人約1000名ぐらい、このうちには朝鮮人中学生約300名ほど含んでおりますが、神戸市長田区役所に押しかけまして、市民税を撤廃せよ、また生活保護法を徹底的に実施せよという要求をいたし、不穏な行動に出んといたしましたので、区役所側からの要請によりまして、所轄長田警察署から警察官が現場に急行いたしまして、群衆に退去を要求したのであります。しかるにかえつて警察官に対し反抗するに至りましたので、うち27名を公務執行妨害並びに住居侵入容疑で検挙をいたしましたので、ようやく解散するに至りました。
ところが同日午後8時ごろ彼らは神戸市所在の西神戸朝鮮人小学校に集合いたしまして、被検挙者の奪還を計画いたし、その後午後9時30分ごろ約200名くらいが長田警察署に押しかけ、代表者7名が署長に面会を求めまして、被検挙者の釈放を要求したのでありますが、拒否せられて、退去いたしたのであります。
同日午後10時ごろ再び西神戸少学校に集まりまして、スクラムを組んで長田警察審に押しかけまして、被検挙者の釈放を迫りましたが、これも拒否せられたのであります。この際におきましても、警察官に反抗いたしたという事案がございまして、首謀者と認められまする川崎製鉄所解雇者でありまする日本共産党員1名を、公務執行妨害罪で検挙いたしたのであります。
なお11月24日は葺合区役所、灘区役所にも同様朝鮮人団体60名ぐらいが押しかけまして、長田区役所同様の要求をいたしており、しかも時間的に見ても午前11時ごろから午後3時ごろまでに解散をいたしたという状況になつております。
さらに11月24日は兵庫県姫路市内三菱電機株式会社姫路工場の被整理者の、レツド・パージ反対をめぐる不法行為者4名を検挙いたしておりますが、これら被検挙者の釈放要求のため、翌25日午後1時ごろ、朝鮮人約100名ぐらいが姫路市警察署に押しかけまして、署長に面会を強要いたし、この間群衆は署内になだれ込んで、机、ガラス等を破壊いたしましたのでうち4名を暴力行為、住居侵入容疑で検挙いたしております。
11月25日には、右のほかに神戸市役所に20名、明石市役所に75名、大久保町役場に90名くらいの朝鮮人が、日本共産党員等に引率されて、それぞれ押しかけて参りまして、越年資金、生活保護法即時適用、食費代等を要求いたしまして、気勢をあげておりましたが、不法行為の発生を見るに至らなかつたのであります。
さて11月27日の日は、神戸事件の発生の当日でございまするが、この日は早朝から、何らかの指令によるものと思われるのでありまするが、兵庫県下の朝鮮人が20名ないし30名ぐらい一団となりまして、続々神戸市内に集まり、神戸地検、神戸市役所、生田区役所、灘区役所、長田区役所、兵庫税務署、須磨税務署、伊丹市役所、長田警察署等にそれぞれ10名ないし2、30名ぐらいが押しかけまして、市民税撤廃、警察官動員反対等を陳情要求いたしますとともに、一方におきまして神戸市所在の西神戸朝鮮人小学校に700名ぐらいが集合して気勢をあげていたものであります。これに対して、同日午後0時15分ごろ神戸市警察局長名をもちまして、同校の集会を公安条例違反として集会禁止命令を発したのでありますが、これに応ぜずかえつて警察官に反抗し、さらにアジ演説を行い、石ころ、れんが等を運び、各人はこん棒、割木等を所持して気勢をあげ、警察官の入場を阻止いたしまして、校内デモを行い、遂に午後3時20分ごろ群衆は長田区役所に向つて行進を始め、しかも行進中アジビラを撒布いたしたので、遂に警察側が検挙を開始いたした次第であります。
隊伍のうしろの方から順次検挙を開始いたしたのでありまするが、この際群衆はあらかじめ準備いたしておりましたるこん棒、割木等を振りまわし、あるいは投石し、さらにポケット内に隠匿所持いたしておりましたとうがらしの粉末を投げかけまする等、乱闘となりまして、遂に選抜隊の約200名ぐらいは強硬に長田区役所に殺到いたしてこん棒、石ころなどで窓ガラス数10枚を破壊するの暴挙に出たものでありますが、警察側はこれに対しまして、遂にその181名を検挙いたし、長田署及び市警警察学校に分散留置いたしたものであります。しかしながら当日の検挙に際しまして、警察官の側におきまして31名、朝鮮人側におきまして26名の負傷者を出しております。
さらに翌11月28日、前日の被検挙者の取調べの結果と、その後の捜査の結果、本騒擾事件の首謀者と認められまする者17名が判明いたしましたので、逮捕令状を得て一斉捜索を行い同日中に12名を検挙いたしておるのであります。従いまして今回の検挙におきまして、現行犯として逮捕いたしました者は181名、後に通常手続によつて逮捕いたしました者、12名、合計193名を今日までに逮捕いたしております。この内訳は大人の男が155名、大人の女が15名、子供が23名ということに相なつておるのであります。この子供の中には16歳未満の者15名がおりますので、これは即日釈放をいたしております。また18歳以下の者8名がおりましたが、このうち2名は即日釈放いたしております。また28日中には大人のうち5名だけを釈放いたしておるような次第でございます。
[015]
自由党(自由民主党) 押谷富三
この事件の前後におきまして、関西の各地において同種の事件が起つたのであります。大阪、京都あるいは福知山その他において起つておりますが、この点について参考のために政府の御説明を願いたいと思います。
[016]
説明員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
ほとんど同種のような事件はただいまお述べになりましたような地域、なお滋賀県、それから大阪市、大阪市はこの翌日に警察の弾圧反対を標榜いたしまして運動会をやつているというのがございました。これは事前に禁止をいたしましたにもかかわらず、数100名が集まりまして相当気勢をあげましたけれども、ほどなく解散をさせられる結果になりました。
名古屋市におきましては、27日及び28日に、朝鮮人連盟の事務所あるいは朝連が以前に経営しておりました学校の接収問題をめぐりまして、接収反対の気勢をあげるべく数100名が集まりましてやはり暴行に近い事件を起しております。これらにつきましても数名検挙しているのであります。
その後28日には神戸の東神戸消費組合及び赤石の細江町無窮館にそれぞれ30名ぐらいの朝鮮人が集合いたしまして、何事か協議をした模様でありますけれども、特異な事案はありませんでした。
同日伊丹市におきましては、朝鮮人約20名が市当局に対しまして、先ほど法務総裁から説明せられたと同様な生活扶助要求を行つたのでありますが、これは大した事件にならずに退去をいたしました。
さらに28日に朝鮮人を含めた自由労務者が職安附近で越冬資金を要求いたしました。また同時にレッド・パージ反対のアジビラを散布いたしております。
29日には神戸市内でさらに朝鮮人50名が尼崎の方に向つて動いた模様でありますけれども、具体的な事案は起りませんでした。
今日はさらに兵庫県の大久保町役場に約300名が押しかけまして越年資金等の要求をするという情報が入つておりまするけれども、ただいままではまだ特異な事態にはなつておらないのであります。
大体そういうような状況であります。
昭和25年12月02日 衆議院 外務委員会
[065]
国務大臣(法務総裁) 大橋武夫
これらの問題の処理につきまして、政治的な陰謀としてやつて行くということは、民主主義に反するではないかという高田君のお説には私まつたく同感でございます。
今回の朝鮮人の事件を見ますると、その動機ともいうべきものは、各地各様になつております。ある都市においては生活保護法を適用してくれということを申しますし、またあるところにおきましては失業対策を要求される、またあるところにおいては検束者の釈放を要求する、またあるところにおきましては、朝連の旧財産の返還を要求する。こういうふうにそのときどきによりまして、その要求事項はいろいろであります。
しかし、要するにその行為は国家の権力を象徴する国家または公共団体の機関に多数が押しかけて、そうして暴力その他の不法行為をもつて官の威信を傷つけようというそのやり方は、まつたく同工異曲なのでございまして、かようなやり方というものが、つまりこれは一つの政治的の陰謀であると私は考える。かような政治的の陰謀を取締つて行く、これがために厳重に処断して行くというのが、今日政府の態度でございますから、どうぞひとつ高田君もこの政府の態度を御支持あらんことをお願いいたします。
昭和25年12月07日 衆議院 本会議
[058]
自由党(自由民主党) 田嶋好文
まず神戸、名古屋、大津の事件でございますが、新聞の報道その他の調査資料によりますと、神戸におきましては、11月27日、兵庫県下各地区から約1000名以上の学童、婦女子を含む朝鮮人が合流いたしまして、警戒に当つておつた警官隊と衝突したのでありますが、この事件は、戦後日本各地で起りました朝鮮人事件の中でも、その類のないほど大々的なものであつたのでございます。彼らは、当初から警官隊と衝突する態勢を整えまして、かし捧、鉄の棒、れんが、目つぶし用のとうがらし等を用意しておつたのでございます。特にその組織化された暴動的な点が今回の特徴であり、われわれ国民の見のがすことのできない点になつておるのでございます。
次に名古屋でございますが、これも非常に組織的に訓練せられたものと思われますところの14歳未満の朝鮮の児童2、300名が、11月27日、28日と、神戸に相呼応して愛知県庁に押しかけております。そして窓ガラス等を破壞しておるのであります。
大津におきましては、12月1日、大津地方検察庁を、約200名前後のものが再度にわたつて襲いまして、警官隊と大乱闘を演じ、わが検察史上類のないところの大事件を引起しておるのであります。
昭和26年02月01日 参議院 地方行政委員会
[007]
日本社会党(社会民主党) 吉川末次郎
11月の下旬頃からこれらの朝鮮人は神戸市内の市の各区役所に押しかけまして、朝鮮人に対する市民税を全免せよ、或いは朝鮮人に対するところの生活保護法の適用というようなことを要求項目といたしまして、波状的に集団的な陳情を行いまして、旧朝連系の幹部や、先に申しました特別工作隊員等が、これを指導するような模様でやつたのであります。特に神戸市の長田区の区役所の管内というものは、ゴム工場等に働いておりました朝鮮人が特に多いのでありますが、その登録数は7623名、神戸市内に朝鮮人労働者が居住いたしておりますその約半数であります。それからそこに更にそれ以外の移住者約1000名を加えまして、約9000名が朝鮮人として在住しておるのでありますが、今申しましたようにこの長田区役所に押しかけましたところの陳情運動が、外の地区に行われましたよりも特に激しいものであつたということができると思うのであります。
11月の20日には朝鮮人65名、同じく生徒約200名が今申しました長田区役所に押しかけまして、形勢が不穏となりまして、出動いたしました警察官は公務執行妨害の現行犯といたしまして、全相福という朝鮮人を警察のほうでは逮捕いたしたのであります。
11月の24日には、約300名の朝鮮人及び朝鮮人の生徒が2隊に分れまして、1隊は教師に引率されまして、長田警察署に押しかけました。そうして先に申しましたところの全相福というこの警察が逮捕いたしました朝鮮人の釈放を要求いたしました。
そうして2隊の中の1隊は長田区役所に集団示威行進を行いまして、革命歌を盛んに合唱いたしまする等のことで気勢を挙げまして、午後は約30名の朝鮮人が区長の部屋に入つて参りまして、内外呼応して喧騒を極め、区長が出て行けというところの退去の要求にも応じないで、朝鮮人の生従数10名は区役所の庁舎内に侵入しまして、窓ガラス或いは区役所の什器等を破壊する等の暴行を働きましたがため、26名がそのために逮捕されたのであります。その26名の中には日本人も若干名含んでおるのであります。
なお当日は、以上のほか葺合区彼所、それから葺合警察署、長田税務署及び長田警察署、生田県税事務所及び灘区役所の各地に先に申しましたような形においての集団陳情が行われたのであります。
11月の27日には、朝からこの西神朝鮮人学校という朝鮮人の学校、西神というのは西と神戸の神であります。朝鮮人の父兄や生徒が続々集合しておるというところの情報がありますし、更に又姫路地区、相生地区、大久保町の方面から神戸市に向つたというところの情報がありましたので、神戸市警察局は緊急事態に備えて、神戸地方検察庁、国家地方警察側とも連絡して警備体制を整えておつたのであります。
午前10時過ぎに、学校におけるところの集団は約400名に達しまして、前回の事件で勾留中の被疑者の釈放要求と、生活保護の陳情を行おうと気勢を挙げますと共に、これらの朝鮮人と呼応していると認められるところの自由労務者、それから民主商工会の会員、それから朝鮮人らは市内の各税務署、区役所等に集団陳情を名として押し寄せまして、警察力の分散を企図しておるというように考えられるので、午前11時に神戸市警察局長は甲号非常召集を発令したのであります。
同日正午頃になりまして、今申しました西神朝鮮人学校の朝鮮人の集団は、代表者を選びましてそれぞれ神戸市役所、長田区役所、神戸地方検察庁等に対して、前に言いましたような要求の交渉を始めたのでありますが、学校の中におきましては刻々参集者の数を増加して参りまして、ここに集まりましたところの朝鮮人らは手に手に棍棒、或いは薪のようなものを携えまして、そうして学校の校庭には石ころ等を投げるために用意して、そうして不穏の形勢を示し、特に白鉢巻をしましたところの青年約150名が中心となりまして、スクラムを組んで行進の演習をしまして、実力行動に移行せんとするところの徴候が極めて顕著であるという情報が入つて来たのであります。
午後3時頃には、約900名の集団となりました学校内の朝鮮人は、三列縦隊のスクラムを組みまして、解放歌を高唱し、梶棒、薪など、先に申しましたような兇器を振りかざしまして同校の南門から表通りに出まして、北のほうに行列して進んで、行進を始めたのであります。学校附近に警察隊が待機しておつたのでありますが、警察隊はその後方から追尾していましたところ集団から警察隊に向つて猛烈に石を投げるようになりましたので、そこで警察隊は、この行列をして行進をしておりますところの石を投げた者の検挙に移りまして、ここで警察隊とこの朝鮮人の行列行進隊との間に大乱闘が行われて、そうして激しい抵抗を排して警察隊は現場で約120名の朝鮮人を逮捕したのでありますが、残余の朝鮮人集団は、沿道の民家、巡査派出所等に投石いたしまして、警察を誹謗いたしますところのビラを撒き散らしまして、そうして途中警察官と衝突しながら長田区役所前広場に至りまして、同区役所及び隣接の長田税務署に石を投げ、梶棒を振つてこれを襲撃し、窓ガラス等を破壊したのであります。
午後4時頃、計181名に達する大量検挙によりまして漸く暴徒を鎮圧することができたのであります。夜になりまして更に12名を逮捕いたしましたので、逮捕いたしました朝鮮人の総数は193名になつておるわけであります。
この騒擾事件の負傷者は、警察側では50名、朝鮮人側では37名というところの報告を警察当局から現地におきまして聞いたのであります。逮捕しました者は取調べの結果、98名が騒擾罪及び政令第325号の違反として起訴されたのであります。
(中略)
第一には、これら各地におけるところのこの騒擾事件というものが、非常に計画的に行われたということであります。即ち同時多発的に、ほぼ時を同じうして各地に事件を起しまして、そうしてその目的は警察力の分散を狙つたと見られるのでありまして、即ち今お話申上げませんでしたけれども、名古屋の愛知県庁に対するところの集団デモ事件と、神戸の只今報告いたしました長田区役所及び長田税務署襲撃事件等はいずれも11月の27日であります。それから名古屋におきましては翌28日にも、これを繰返しているばかりでなくして、11月の1日に起りました大津地方検察庁に対するデモ事件は、彼らの当初の計画では11月28日に決行する予定であつたと言われておるのであります。更に27日当日、京都におきましては先に日本共産党京都府委員会が開催されまして、井上電機の犠牲者、レツド・パージを受けました犠牲者であります。それの奪還祝賀大会というものが計画されておりましたのですが、その集会の許可が与えられなかつたので、共産党の公開党大会と称しまして、個々の参集者500名が気勢を挙げたのであります。又12月1日大津事件の当日は、競輪が催される予定でありましたので、大津市の警察はそのほうに警備が割かれるだろうというようなことを予定した。併しながらそれは雨天のために中止されたのでありまするけれども、そういうことを非常に狙つてやつておるということが、当局からは報告いたしておるのであります。即ち以上申しましたようなことにおいて、非常に計画的である。そうしていわゆる同時多発的な戦略で以て、それを同時にやつたということが窺われるのであります。
昭和26年02月02日 参議院 厚生委員会
[022]
委員長 河崎ナツ
去る12月中に議員派遣をいたしまして調査を行いました神戸、京都、大津、名古屋各地方における朝鮮人騒擾事件に関連いたしまして、生活保護法の適用の実情について、派遣議員の報告をお願いいたしたいと存じます。
最初の2カ所は、参りましたのは私と藤森委員でございますが、最初の2カ所は、事情で私が報告させて頂きます。
(中略)
さて愛知県のほうから申上げます。
(中略)
11月27日午前中、各地から朝鮮人児童、その父兄約250人が県庁に押しかけ、前記のような要求をなして、当局からの退去要求に応ぜず、遂に名古屋市警察の出動となり、漸く退散せしめたのでありました。
翌28日も、午前10時頃から前日同様、朝鮮人学童、父兄、教師約130名が県庁に押しかけ、県当局の制止を排して警察官に対し小石、砂利、とうがらし等を投げつけ、侵入を強行せんとしたので、警察官は相手が少年、子供であること等を配慮して庁内に退き、各入口の扉を閉したところ、多数学童たちは窓ガルスに各方面から投石、破壊して退散しました。
更に11月30日も、朝鮮人男女30余名が県当局の出入禁止を無視して、愛知県庁正面玄関に押しかけ、警備中の警察官を階段から突き落し、傷害を与えました。そのうち3名は現行犯人として逮捕されたのであります。
(中略)
次に滋賀県の状況について御報告申上げます。
(中略)
昭和24年7月から米原、大津、彦根、八幡町等の各地において鮮人の自由労務者が中心になり、或いは完全就労、反税、生活保護法の全面適用、越冬資金、被検者の即時釈放、レツド・パージ反対等の要求を掲げ、青少年をかり立て、事件を起していたが、昨年11月1日においては鮮人3名が大津の検事正に面会し、被検束者の即時釈放、武装警官の出動排斥等を要求中、女子30人、学童50人くらいで2度に亘つて検察庁に押しかけ、革命歌や歌い、スクラムを組み、警察官と乱闘、投石して庁舎の窓ガラス37枚を破壊し、警官に14人の負傷者を出し、遂に51名が検挙されたが、そのうち大津在住の者は16名で、他は県下の各地から集合して来ております。これはあらかじめ連絡して計画的に行なたのであります。
鮮人学校の学童が事件に参加しておりますが、彼らは非常に勇敢で敏捷に警察官にバツタのごとく飛び付き格闘しています。
[023]
無所属 藤森眞治
後半の京都府、兵庫県の分を御報告申上げます。先ず最初に、京都府のほうから御報告いたします。
(中略)
次は、舞鶴市、昭和24年12月2日、市内在住朝鮮人30人余が市役所に来て、生活保護法による扶助額の増額を要求したのであります。その後市内の一造船所の被整理者を以て結成する失業者分会、その幹部は共産党員だということであります。
(中略)
次いで騒擾事件の概況を申上けます。神戸市におきましては、歴史的に見まして、昭和23年4月に鮮人学校接収問題にからんで、多数の鮮人が県庁に押しかけ、知事以下検事正等もだと思つておりますが、知事以下を監禁して騒動を起した、いわゆる第一次神戸事件がございます。
更に昭和25年5月に神戸市公安条例を施行する際に、これに反対して、市議会に乱入した事件がございます。
昨年9月の初旬頃から朝鮮動乱の戦況の推移と、10月以降の民間企業におけるレッド・パージに伴う抗争の動向の一環と考えられるところの北鮮系朝鮮人の活発な動きが顕著となりまして、県下において地下工作隊の秘密反占領軍的団体が結成されました。そうして反戦ビラの撒布、神戸電報局の不法侵入事件等の各種の実力行動に朝鮮人が傭兵的に駆り出されておる等、治安上見逃し得ないところのものが起つておるのであります。ところが11月上旬頃から、神戸市及びその周辺の朝鮮人は神戸市内各区役所に押し寄せて、第1に市民税の全面的免除、第2に全朝鮮人に生活保護法の適用を行えという、この2つの項目を要求して、波状的に集団示威運動を行い、集団陳情をするに至つたのであります。
更に神戸市内の長田区に西神学校という朝鮮人のみの小、中学校がございます。この経営が旧朝連系の者によつて行われておりますので、自然そこの生徒の思想も極めて不穏であります。約350人の全生徒が左翼教員に指揮されて集団示威を行い、集団的陳情に常に使役されておるのであります。即ち生徒がこういう騒擾に使われておるということであります。兵庫県には神戸に2つの学校と、姫路に1つの朝鮮人のみで行われておる学校があるのであります。これは朝鮮人父兄が経営しておる形でありまして、解散させなかつたのがそのまま現在では集団暴動の訓練所、或いは工作隊員の訓練場となつておるとも見られるような状態を呈しておるのでございます。
そこで今回の騒擾事件の発端となる事件が2件、11月中に発生したのであります。その1つは全相福の公務妨害事件というのがあります。これは11月20日朝鮮人の男女65名が長田区役所に押しかけて、前記のような要求を掲げて区長と強談中、朝鮮人生徒200名が教員に引率されて区役所前に集まつて、警察官約70人の出動によりまして退去させましたが、外国人登録証のない者を検挙して、護送自動車にその2人を乗せたところ、全相福という者が生徒約20名を指揮して、スクラムを組ませて、命令を下して自動車の前に立ち塞がり、或いはタイヤに抱きつく等の行為をさせて、自動車の発進を不可能にしたのでございます。そうして同人を現行犯人として逮捕いたしました。これが全相福事件であります。
昭和26年03月20日 衆議院 法務委員会
[008]
参考人(警視総監) 田中榮一
そこでこの一斉捜査を実施いたした翌日は、いわゆる三・一記念日に該当しておりまして、かねてからこの記念日におきまして、相当激甚なる闘争があるということも一応予定されておつたのでありますが、本一斉捜査がありました翌日は、王子警察署に約300名の生徒が、きのうのあだ討ちだというようなことで押しかけまして、また板橋署、赤羽署にもそれぞれ相当の者がデモをかけて押しかけて参つたのであります。