第三十一・三十二山田丸事件

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昭和29年11月27日 参議院 水産委員会
[037]
説明員(水産庁長官) 清井正
経過を申上げます。もうすでに新聞紙上において大体正確に伝つておるのでありますが、去る11月の22日の午前5時50分、農林漁区で申しますと554区ということになりますが、大陳島の東南20海里附近で第三十一山田丸、第三十二山田丸、この2隻の船が国籍不明の軍艦2隻に両舷から攻撃を受けまして第三十二山田丸は6時30分頃現場において沈没をいたし、乗組員10名は、もう一方の船の三十一山田丸、これは12人乗つているのでありますが、それに乗移つたのであります。たまたま附近におりました第五十三、第五十五山田丸と会いまして、7時15分に第五十五山田丸のほうに乗組員は救助されまして東方に退去いたしました。第三十一山田丸は7時12分沈没をいたしたのであります。飛弾によりまして三十一山田丸には死者が2名、負傷者が3名、第三十二山田丸には負傷者が2名出ておるのであります。

これは大体現地からの電報報告でございますので、なお詳細は現在調査中でありましてわかり次第なお近い機会に御報告申上げたいと思います。

なおこの事件によりまして監視船第十六大洋丸、これは水産庁の監視船でありますが、それが現地に参りまして第五十五山田丸と会いまして、次のような情報を得ているのであります。

相手の船はフリゲート艦2隻、北西から来て攻撃後西に去つておるのであります。無灯火で、距離300メーターから銃砲撃を受けておる。当時山田丸は網入れのために灯入れ、舷灯とか、檣灯、舷の灯、帆柱の灯を共につけており、日章旗もマストに掲げていたというふうに言われるのであります。

なお死者、負傷者、生存者全部は途中で海上保安庁の巡視船の「あまくさ」に収容されまして、「あまくさ」は24日に長崎に帰つて参りました。負傷者は全部長崎の病院に収容をしたのであります。大体診断の結果負傷者5名のうち重傷は3人、軽傷は2人で、この2人は自宅加療で十分であります。重傷者の三人が入院をいたしておる、こういうような実情でございます。
大体事実は以上のようなことでございます。

[038]
自由党(自由民主党) 青山正一
フリゲート艦というのはどうなんでしよう、水産庁では御承知になつておりますかどうですか、中国と韓国だけですか今持つているのは……、どういうことになつておりますか。

[039]
説明員(水産庁長官) 清井正
この船がどこの国の船かという問題とも関連いたすのでありますが、今の報告では国籍不明ということになつておりますので果して中共側の船だろうか、国府側の船だろうか、わかりませんがどちらかの船だろうということは大体想像がつくのでありますが、どちらの船であるかということにつきましてはなおよく現地に行つて直接調査した報告を聞いてからでないと、その点判断できないと思います。只今不明であります。

[040]
自由党(自由民主党) 青山正一
先ほどの御報告は、フリゲート艦がその附近におつた、こういうわけなんですね。

[041]
説明員(水産庁長官) 清井正
フリゲート艦から銃砲撃をされた、こういう報告であります。

[042]
自由党(自由民主党) 青山正一
そうするとどうなんですか。そのフリゲート艦というのは中共でも持つているのですか、どうですかということをお聞きしているのです。

[043]
説明員(水産庁長官) 清井正
その点は私どももはつきり存じないのでありましてどちらであるかということは、今すぐはつきり詳しく申上げられませんが、この報告では国籍不明ということになつております。フリゲートが中共にあるかどうかということは私存じておりません。





昭和29年12月02日 衆議院 水産委員会
[027]
参考人(山田丸船主) 山田吉太郎
私は今回漁場におきまして撃沈せられました第三十一山田丸及び第三十二山田丸の船主山田吉太郎でございます。

今回の事件につきましては、海上保安庁初め各方面の格別の御配慮と御同情を賜わりまして、11月26日、死亡船員2名の合同葬儀を相営みますと同時に、この事件の真相を親しく、つぶさに、一刻も早く中央に報告すべく上京いたしましたところ、本日幸いにも水産委員会へ参考人として喚問を受け、皆様に訴え得ます機会を与えられましたことは、私の最も喜びとするところでございますと同時に、国事多端の皆様におかれまして、特にこの事件をお取上げになり、ここに御審議を賜わりますことは、私はもちろん、全国の漁業関係者、乗組員、遺家族一同、まことに感激と感謝にたえない次第でございます。

本件は従来の拿捕事件と異なりまして、銃砲撃により2隻の漁船は撃沈せられ、とうとき2名の人命を失い、5名の重軽傷者を出しておるのでありまして、しかもそれは政府において許可されました区域で、平和に操業しておりました公海においてなされ、沈没により海中にただよう船員の救助もなされなかったことは、天人ともに許すことができない暴挙と存じます。

死亡いたしました2人の霊に対し、何といたしましても相済みません。御遺族に対しお気の毒にたえません。なお重傷を受けた船員に対し慰めの青葉もございません。私といたしましては、できるだけのことはいたしたいつもりでございまするが、個人の力には限度がございます。生存されました乗組員のためにもただちに代船の建造をいたさねばなりませんが、これとて容易なことではございません。どうか皆様方におかれましても、私のこの窮状に御同情くださいまして 一日も早く本事件の解決のために御審議を賜りますようお願い申し上げる次第でございます。



[029]
参考人(山田屋商店支配人) 松尾重三
松尾でございます。

今回撃沈せられました第三十一、三十二山田丸の2そうはいずれも昭和22年6月三菱長崎造船所で建造いたしました65.96トン、65.27トンの鉄船でございます。機関は焼玉115馬力をおのおのすえつけおったのでございまするが、政府の許可番号は長第356号、第357号を得ておりまして、2そうびき機船底びき網漁業に従事しておったのであります。その操業区域は、政府の御指示によりまして東経128度30分以西の全海面にわたっておるのでございます。

この両船は、建造以来きようまで7年4箇月の間、航海稼働日数1078日に及ぶ期間、許可されました操業区域におきまして、何らの違反もなく、事故もなく、平和に漁労に従事しておったのでございまするが、その間総計130万3861貫に及ぶ漁獲を水揚げしておるのでございます。従いまして、国民蛋白栄養資源にもいささか貢献しておることを自負しておったのでございます。

しかるに今回、すなわち昭和29年11月22日午前5時53分、本船は政府において許可されておりまする区域内におきまして、すなわち東経122度20分、北緯28度30分、農林漁区554区の右上の公海におきましてまつたく理由なき銃砲撃を受けまして第三十二山田丸がまず沈没し、続いて第三十一山田丸も沈没したのであります。

その攻撃によりまして第三十一山田丸船長多田美幸37歳、甲板員井筒高義29歳は即死いたしました。漁労長東根三郎34歳、甲板員上田久雄21歳は重傷を受けたのでございます。なお通信士大古貞水25歳は軽傷を受け、また片船であります第三十二山田丸船長高島岩雄33歳も重傷を受けたのであります。計7名の死傷者を出したのでございまするが、皆様のお手元に差上げております本件の顛末書は、一切の誇張なき真実の記録でございまして、その惨状を立証する記録でございます。また私はこの記録に基きまして、ここに国会に対し、政府の方々に対しまして、また国民に対しまして、また国民の立場から、遺族の立場から、罹災船員の立場から、水産業者の立場から、船主の立場から、押えることのできません憤激を、あきらめ切れぬ悲しみをここに訴え、こみ上げる怒りを、そしてわれわれの窮状を訴えたいと存ずるのでございます。

隣接諸国間の騒乱は、政治的にはともかく個人的には何らの関係もないのでありまして、本件のような、許されました公海で平和に漁業に従事しております日本漁船が、理由なく撃沈されまして、多数の死傷者を出しておりますことは、いやしくも独立国家の国民といたしまして、これ以上の痛恨事はないと考えるのでございます。不幸にして殉難されました遺族は、この天人ともに許さざる暴挙のために一家の支柱を奪われ、悲歎の涙にくれております。まだうら若い身空で今後たよる人もなく、幼き子弟を抱えてこの苦難多き人生をどうして過ごせばよいのでございましょう。まったくその胸中察するに余りあるのでございます。こんなひどい目にあって一体だれに訴えたらよいのでしょうか、二度とこんなことがどうぞ起りませんように、国のえらい方々にたのんでください。これは遺族の方々の血の叫びでございまして、私は国会の方々、政府の方々に対し、この必死の願いを聞き届けていただきたい、慰藉の御誠意をお示しくださいますように、衷心訴えるものでございます。

同僚のいたいたしい死体と重傷者を守って海上保安庁の救助船「あまくさ」から長崎に上陸した山田丸船員一同は、まださめません死の恐怖をただよわせながら、なまなましい憤怒をたたきつけるように申したのでございます。何というむちゃな、何という惨酷な、何という悲しいことでございましょう。このかたきは必ずうたねばならないと異口同音に怒ったのでございますが、船員たちの力で何ができましようか。国会の皆様、政府の皆様、どうぞこの船員たちに心から御同情をいただき、誠意ある処置によって船員たちを慰めてくださいますことを衷心より訴えたい次第でございます。

以西底びき漁業によって生産されます魚類が、国民の食生活に重要な比重を加えておりますことは申すまでもございません。もちろんそれゆえにここに政府におかれましても、私たち業者の維持育成に格別の御留意をいただいておるのでございますが、実情はどうでございましょうが、国府に、中共にまたは韓国に数100そうの漁船が拿捕されまたは追い払われ、はなはだしきは撃沈せられまして、その乗組員は抑留せられ、または投獄せられ、今回のごとき砲撃に倒されましても、独立国日本人は結論的に泣き寝入りして、一日一日を戦々恐々として過さねばならないのでございましょうか。

この事件の起りました5日後すなわち11月27日でございますが、私の方の社船第十五山田丸の漁場からこんな報告を受けたのでございます。「27日11時30分より12時まで国府軍艦に横付され、警告された。この海域は作戦区域なり、よっていかなる被災にも責任を持たず、他の日本漁船にも通達されたし。位置543区中」続いて「今後山田丸をこの海域で見た場合没収すると通告され、即時退去を命ぜらる。横付のとき左舷のサイドと表をかすったのみで、ほかに船体に損傷なし、1時5分避行し網を入れる。」この通信位置は、今回の事件の起りました位置よりもさらに25カイリ沖合いでのできごとでございます。国家経綸の地位にあられます国会、政府の方々におかれましては、これらの実情を何と御判断くださいますでしょうか。

本席には事件当時現地と通信の応答をなし、その状況を詳細にキャッチしております高原山田屋無線部長もおります。また三十一山田丸に乗組みまして、九死に一生を得て帰還しました大古通信士が、腰にまだ砲弾の破片を受けたままで出席しておりますので、当時の実情を詳細に御説明申し上げます。どうぞこの悲惨な実情に御同情を賜わりまして、何らかの方法によりすみやかに解決していただきますように、切にお願い申し上げる次第でございます。



[031]
参考人(山田屋商店無線部長) 高原徹
山田屋の高原でございます。私がお手元に差上げました船員の口述書を全部とりました関係上、事件の詳細を説明させていただきます。

第三十一山田丸及び第三十二山田丸は、昭和29年11月4日午前8時40分、長崎港を出港いたしまして漁場東支邦海に向いました。同月5日午後2時10分、農林漁区277区において第1回の投網操業開始、爾後319区、522区、523区、534区、545区、554区の各漁場において操業し、同月21日午後8時0分揚網投錨仮泊いたしました。仮泊の位置は東経122度20分、北緯28度30分、農林漁区554区の右上と推定されます。

同月22日第三十一山田丸は午前5時47分抜錨完了、微速前進いたしまして、僚船の第三十二山田丸と接近操業準備中、同5時53分、突然怪船より曳光弾及び砲撃を受けました。当日の午前5時30分現在の同位置における気象状態は、天候は半晴、雲、3分の1、風向、ゼロ、風力ゼロ、視界2、うねり、ゼロ、波浪ゼロ、気圧1022ミリバールでございます。これはお手元にあります東根三郎の口述書にございます。

怪船は午前5時53分から約30分間、前後3回にわたり猛烈なる銃砲撃を加えまして、あまりにも突然のできごとのため、ある者は沈着冷静に、ある者は周章狼狽しあるいは船室に待避し、あるいはその場に伏せ、各人各様の行動をなしましたが、これを総合しますと、攻撃の武器は、砲または機関砲及び機関銃でありまして、怪船の船型は400トンより500トン程度の駆潜艇型またはフリゲート艦らしく、その至近距離は100メートル前後、その攻撃は執拗をきわめました。しかして3度目の攻撃を終えました怪船は、沈没寸前にあります第三十二山田丸乗組員が海中に飛び込むのを知りつつ救助もせず、そのままいずれにか退去しましたが、その方向は必死の場合で目撃したる者がないようであります。

攻撃の開始より終了までの彼我の配置見取図はそこへ掲げてございますが、これは東根三郎及び高島岩雄船長の口述書のときに御説明いたしたいと思います。

攻撃による死傷者の明細は、第三十一山田丸は第1回目の銃砲撃により、当時船橋にありました漁労長東根三郎は右前腕紛砕複雑骨折、左上手盲貫銃創外重傷、第2回目の攻撃により吉田市次郎は右顔面及び左手背部に受傷、船長多田美幸は腹部裂傷により死亡、上田久雄は左下腿盲貫銃剣による重傷、第3回目の攻撃終了後井筒高義は頭部貫通銃創により死亡せることを発見しましたが、目撃者がございません。通信士大古貞水は海上保安部巡視船「あまくさ」へ収容後腰部を受傷していることを発見しましたが、負傷時は不明であります。第三十二山田丸は船長高島岩雄が第1回目の攻撃により顔面及び胸部並びに両足上腿部に受傷しました。両船の人員の損害は死者2名、重傷1名、負傷4名、計死傷者7名でございます。

第五十五山田丸は、第三十一、三十二山田丸の乗組員及び死者2名を救助収容後ただちに――別にお手元に差上げましたものに電報がつづってございますが、別紙のごとき通信を発し、午前8時0分南東に向け避行開始、同8時30分水産庁監視船第十六大洋丸の指示により同船と会合すべく航走、同日午後4時0分同船と会合、さらに同船の指示に従いまして海上保安部巡視船「あまくさ」へ向く航行、23日午前4時0分同船と会合、全員「あまくさ」へ収容せられまして、翌24日午前9時30分長崎港へ入港いたしました。

同船が射撃を受けました当時の詳細は状況は、東根三郎の口述書によって申し上げます。当日同船は作業のための抜錨完了が5時47分、同時に微速前進いたしまして、5時50分第三十二山田丸に操業開始のため近接操業準備中、5時53分突然怪船より射撃せられたるも、第三十二山田丸の影になり怪船の船影を確認し得ず。これが銃砲撃を受けた当時の図面でございますが、三十一山田丸の船首及び三十二山田丸の船首の向いておった方向は逆で、高島岩雄の口述書にございます通り、操業開始のために両船は船尾を並べまして、三十二山田丸から三十一山田丸ヘワイヤーを渡そうとしておりました。そこへ突然午前5時53分、怪船の姿は見えませんが、この図の1の方向から、最初に約20発ぐらいの曳光弾の射撃を受けまして、続いて砲撃を受けております。その第1回の砲撃を受けた時間は、12、3分間連続射撃を受けております。

12、3分間連続射撃を受けましたあと、2、3分間時間がございまして、今度は突然反対舷の方から4、5分間の連続射撃を受けております。この射撃後、第3回目の射撃を受けるまでの間、約4、5分間時間があったものですから、船員はデッキへ出てみたところ約190メートルくらいの位置に怪船の形及び怪船に乗っておる人影も見ることができたそうでございます。

それでまた全員船員室に退避いたしましたところ、第3回目の銃砲撃を受けました。第3回目の銃砲撃の時間は約4、5分間、距離は150メートル。第3回目の銃砲撃後、三十二山田丸が沈没に瀕しましたので、三十二山田丸の乗組員は全員デッキへ出て海へ飛び込もうとした場合にも、約150メートルのところに怪船を見ることができました。三十二山田丸の船員は、ただちに海へ飛び込んでおります。海へ飛び込むころの船の状態は、潮に流されまして、初めの状態とかわりまして、この図が第3回目の銃砲撃ごろの船の位置でございます。両船間の距離は約50メートル。この位置で船員は海へ飛び込んだと推定されております。それから、海へ飛び込みました船員が、三十一山田丸の方へ向って泳いでいる間に、三十二山田丸はちょうど三十一山田丸と並んだ場所まで流れまして、この位置で沈没しております。それで、三十一山田丸の船員は三十二山田丸の船員を救助しておりましたので、怪船がどっちの方向に去ったか、はっきり見てないようでございます。ただ一人西の方へ去ったと口述書に述べたのがおりますが、これは重傷を受けております東根漁掛長の口述でありまして、どうもはっきりしないと思われる点がございます。

三十一山田丸は、全員を救助しまして、船首の方向に船影が見えたために、その方へ向って約15分くらい走っております。約15分くらいで三十一山田丸も浸水がはなはだしくなり、ついにエンジンがつかりまして、機関は自然停止いたしました。自然停止いたしました時分、ちょうど五十五山田丸がこれを発見しまして、三十一山田丸へ横づけをしてくれました。そのために三十一山田丸の船員は全員救助されました。

以上が、三十一、三十二山田丸が撃沈されました詳細でございます。なお各人の口述書はあとの方へつづってございますので、参考までにごらん願いたいと思います。

[032]
委員長 田口長治郎
政府並びに参考人に対し御質疑があれば、これを許します。

[033]
日本民主党 白浜仁吉
この事件は、かつて見ない非常に深刻な、漁業者として、また国民としてのわれわれに対する打撃であったと思うのでございまして、関係者の皆様方に対して、まことにわれわれ国会としても議員としても申訳ないと思うわけでございます。参考人に、どなたでもけっこうでございますが、お伺いしますが、この視界2ということは、どういうふうな明るさであるのか。それと非常に至近な距離にあったのでございますが、これがこの書類で見ますというと、国府の艦艇ではなかったかというふうなことが書かれてあるのでございますが、何かこれについてはっきりとお認めになった点があるかどうか、この点お話願いたいと思います。

[034]
参考人(山田屋商店無線部長) 高原徹
お答えいたします。視界2と申しますのは、これは気象観測上の階級でございまして、大体500メートル程度見えるというのが、視界二でございます。

それから次にお尋ねになりました国民政府の船であると推定した根拠は、大陳島には国民政府の海軍の基地がございます。それから11月23日付INS台北特電によりますと、国府当局が22日大陳島付近で中共の護送船団と見誤り、日本漁船2隻を撃沈せる責任は国府艦艇にありと発表したという新聞記事がございました。

[035]
日本民主党 白浜仁吉
視界2の距離で非常にあわてておると申しますか、そういうような際であるので、船型なり何なりの認識はできたとしましても、はっきりした船員といいますか、先方の乗組員の認識が非常に不確かだと思うのでございますが、そういうふうな点について、何か保安庁の船か何かなりで、この点はっきりした証拠と申しますか、そういうふうなものがあるかどうか、ひとつ海上保安庁の方からお答えを願いたいと思います。

[036]
説明員(海上保安庁長官) 山口伝
ただいま参考人の方から言われた程度でありまして、想像ではただいまのところ国府の船じゃないかという疑問を持っておりますけれども、的確にこれを言い切るだけのデータは目下調査中で、まだつかんでおりません。

当時の状況が、最初1回、2回あたりはかなり暗くて3回目のときに若干明るくなって見えたというような話でございまして、残念ながらきめ手を一応持っておりません。

[037]
自由党(自由民主党) 鈴木善幸
先ほどの参考人のお話の中に、この事件がありましたあとでありますが、25日の午前11時に第十五山田丸が、国府の船でありますか、あるいはどこの船であるかわかりませんが、この海域は戦闘海域であって、非常に危険な区域である。今後被弾等の責任は一切負わない。このことを他の日本漁船にも通告せよという警告を受けたということも申されておりますし、なお今後この海域で操業する場合には、山田丸は没収をするという通告も受けておる、こういうお話があったのでありますが、この不祥事件が起りました22日以前に、他の漁船でこのような警告を受けた船がありましたかどうか、またそういう船から、山田丸なり他の漁船がそういう警告があったという連絡を受けたかどうか、そのことを参考人からお伺いいたしたいと思うのであります。

もう一点、水産庁あるいは海上保安庁どちらでもよろしいのでありますが、このような通告をそれ以前に政府機関が受けておるかどうか、また外務省等は吉沢大使を通じて、正式にこのような戦闘区域に日本漁船が入って操業することについての事前の警告が、外務省に連絡があったかどうか、またそのことを日本漁船に周知徹底せしむるの措置をとったかどうか、これらの点を参考人及び政府関係者にお尋ねしたいと思います。

[038]
参考人(山田屋商店無線部長) 高原徹
当方面海域における従来までの警告等は再三ございまして、当方面で撃沈されたというのは、ずいぶん前に2件ほど事故がございました。その後事故がございませんで、それまでには国府の関係によって当海域に立ち入るなという通告を受けた船はございました。

ごさいましたが、立ち入ってはいけないという通告だけでございまして、撃沈を受けるとか没収をされたということはございませんし、また政府当局から当方面に行ってはいけないというはっきりした通告を受けたことはございません。

[039]
説明員(海上保安庁長官) 山口伝
今回のような事件が起る前に、当該水域に対してどのような方針であったかという点につきまして海上保安庁としてお答えいたします。

すでにことしの5月ごろから、外電等によりますと、上海南方それから三門湾付近でありますか、その辺で中共と国民政府との間に紛争が起きておるというようなことを情報としてキャッチしておりましたので、これらの関係海域では厳重な警戒をしてくれということが最初に出ておるわけであります。そのような言い方でありましたが、5月、それから6月にもそれが出ております。

6月のごときは、その主管の本部長、これは門司でございますが、これから監視船、巡視船その他へも連絡をいたした警戒電報の要旨は、「大陳島をめぐり、国府中共の紛争が伝えられるので下記事項に留意せよ。1、ことさらに国府艦艇を刺激する行動をとらぬこと。2、万一国府艦艇より退去を要請されたときは作戦の区域等について尋ねると共に一応区域外に退去すること。」というような警戒的な情報は出しております。

その後もそういった程度で警戒をいたしております。ことに今回のような事件でございましたので――むろんそれからあとにつきましては非常にセンセーションを起しておるのでありますが、ちょうど22日の事件のありました際に、これはかねて設けてある門司における海上保安庁並びに水産庁共同の対策本部、それと民間の業者の方の対策本部が合同会議をやっておる席上にこの電報が入って、以後さらにひとつ自粛的にやろうではないかという話合いもこのときはあったような次第であります。

[040]
自由党(自由民主党) 鈴木善幸
今山口長官からお話がありましたような、海上保安庁としてとられた警戒についての日本漁船に対する注意と申しますか、その御措置をとりましたことは、海上保安庁が当該水域におけるそういう事態を、客観的な諸情勢を勘案してお出しになったものであるか、ないしは正規の外交機関を通じて国府から日本側に申し入れられたことによってそのような御措置をとったのであるか、その点を御説明願いたい。

[041]
説明員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
台湾海峡、東支那海の水面におきます日本漁船に対する国民政府側の臨検措置法は従来もしばしばあったのであります。その法律的根拠等については必ずしも明確でなかったのであります。一昨年の春ごろより国民政府は、同方面の広い水域を防衛水域と称しまして、ここに日本の漁船が入ることは遠慮してもらいたいというようなことを通達して来たのであります。こういう公海の広い水域を一国がかってに制限するということは、公海自由の原則に反することで、日本側は主義上これを拒否して来ておるのであります。

山口長官の言われましたことしの春ごろより、大陳島付近において日本の漁船が国府側の軍艦に臨検されるという事件が2、3発生いたしました。そのときには、国民政府側は防衛水域ということよりもむしろ大陳島の付近は臨戦地域である、ここに立ち入ることは危険であるから日本の漁船は立ち入らないようにしてもらいたいということを口頭をもって警告したのであります。それは台湾の国民政府の外交部から台北にあります日本の大使館に対して、口頭をもってそういう連絡がありました。

その都度この点は国内的に連絡いたしまして、ただいまの海上保安庁からの警告と申しますかあるいは勧告と申しますか、そういう措置になったのであります。最近におきましては、10月の初めにたしか第十新生丸という船が、やはり大陳島の近海で国民政府の軍艦に臨検を受けまして、その際にやはり同様の警告が国民政府の外交部から芳沢大使あてに口頭をもってあったのであります。その警告は10月の20日にあったのでありますが、10月20日にありましたのが一番最近の外交部を通じての先方からの申入れであります。

[042]
自由党(自由民主党) 鈴木善幸
ただいまのアジア局長、海上保安庁長官等の御説明によりますと、政府機関としては、芳沢大使からの連絡によって遺憾のないように日本漁船にそれぞれその機関を通じて周知徹底せしむるような措置をとった、こういうことでありますが、この被害をこうむりました山田丸等は、その政府機関の注意、警告を十分事前に承知してこのような臨戦海域で操業なさったのであるか、あるいはその政府からの注意、警告が十分周知徹底しなかったためにそのような不祥事態が起ったのであるか、その点を参考人からお伺いしたいと思います。

[043]
参考人(山田屋商店無線部長) 高原徹
ただいまアジア局長から申されました最近の警告というようなものは、当日までには私らの方には到着しておりません。

それが到着しましたのは、ちょうど事件が発生しまして下関において防衛委員会が開かれております席上へ到着したということでございまして、私らの手元へ到着いたしましたのは翌23日でございます。

[044]
自由党(自由民主党) 鈴木善幸
ただいまの山口長官と参考人とのお話の間には時間的に食い違いがあるようであります。

何か外務省あるいは海上保安庁本部から、各管区を通じそれぞれ第一線の漁船にそれを伝達するまでに時間的なずれがあったのではないかというような疑問を覚えるのでありますが、その点を海上保安庁の方ではどういうぐあいに見ておりますか。

[045]
政府委員(水産庁長官) 清井正
私からちょっとお答えいたします。事件の、危険であるということについての通達の問題でございます。これは参考人の方の御意見は御意見で十分わかるのでございますが、むしろ私どもがとりました措置について時間的に御説明申し上げたいと思います。誤解のないようにいたしておきますから御了承おきを願いたいと思うのでございます。

実はこの問題につきましては、すでに海上保安庁長官から御説明の点で触れておるのでございますが、去る10月の26日に、水産庁といたしましては芳沢大使からの連絡を外務省との連絡において承知をいたしたのであります。そこでただちに同日日本遠洋底引網漁業協会に電報を送って連絡をいたしました。それからただちに係官の来京を依頼いたしまして、10月28日に、氏名もわかっておりますが係官が来られまして、それでその趣旨をさらに私は口頭で申し渡したのでございます。

従来は、御承知の通りこれはただいま御説明がありましたように、公海上の関係で正式に政府が認めるというわけに行きませんので、大体口頭によつて業界に伝達をいたし、あるいは打合会において連絡をするという方法をとって参っておるのであります。さらに今回の問題につきましては、10月28日に連絡を実はいたしたのでございます。

ところがその後、たびたびの口頭連絡でもあり、十分趣旨はわかっているけれども、この際ひとつ文書でもつて連絡してくれないか、たまたま以西の協会の代表の方が他の用務のために上京いたしておりました、その方々にお話いたしましたところが、そういう申入れがあったのであります。それでは、今までも口頭で十分連絡はしておるけれども、せっかくのそういう申入れであるならば文書をもって連絡いたすということにいたしました。11月8日に業者の代表者が来られてそういう話があったので、さっそく起案いたしまして、11月9日に日本遠洋底引網漁業協会あてに文書をもって通知をいたしてあるのであります。それと同時に関係の官庁にもそれぞれ連絡をいたしてあります。

そういうことでありまして、私どもといたしましては従来たびたび連絡してあるのでありますが、さらに念を入れ、協会も文書でくれということでありましたから、11月9日に文書で連絡しています。こういう経緯になっておりますから、経緯だけ御了承を願いたいと思います。

[046]
自由党(自由民主党) 鈴木善幸
水産庁が底引協会等に対して、事前に再三にわたり緊密な連絡をとったことはただいまの長官の御説明で了承いたしたのであります。

海上保安庁なりあるいは水産庁の監視船なりが、現地の出漁しておる漁船にそのような警告を周知徹底せしむるような御措置を他にとっておると思うのでありますが、それについての経過を御説明願いたい。

[047]
説明員(海上保安庁長官) 山口伝
今お話の台湾関係の、向うで言うところの防衛水域関係についての警戒電報というものは、私の方ではむろん出先の巡視船に知らせて、巡視船からそこに出漁しておられる日本の漁船向けに無電で放送を再々送っておるのであります。ただごく最近の芳沢大使云々のその件は、私の方では若干遅れております。そのデータを送ることが間に合わなかったようでありまして、事前にそれによっての伝達というものはちょっと遅れておるのでありますが、この危険海域についてのことは、ここにいろいろ過去のデータがありますが、再々警戒という点では放送を繰返しております。ただ、たくさん船が出ておるのでありますから、あるいはそれが聞き取らなかったりすることがあるかもしれませんが、数次にわたってこの春以来やっておるわけであります。

[048]
自由党(自由民主党) 鈴木善幸
水産庁長官にお尋ねしたいのでありますが、長官のところから日本底引網協会に対する連絡には遺憾がないように思うのでありますが、日本底引網協会からその所属組合員である各漁船に対する連絡は遺憾のないようにとられておるかどうか。その点は、長官の方で御承知なさっておりますか。

[049]
政府委員(水産庁長官) 清井正
その点はただいま私はっきりいたしておりませんので、お答えいたしかねるのでありますが、私どもといたしましては、連絡がありましてすぐ通知をいたしておったのであります。これは本部に通知をいたしておったのでありますが、本部からどういうような通達がなされておったかということは、ここで私資料を持っておりません。

ただこの問題は、ただいまもたびたび申し上げた通り、従来からもしばしば警告を発しておるところであり、また私の方の水産庁の監視船も、保安庁の巡視船とともにその事故といいますか、国府艦船による臨検等がありました都度、危険海域であるという旨の連絡は、各漁船に電報等でいたしておることはたびたびあったのであります。

ただ今回の問題につきましては今御説明した通りでございますが、従来ではそのように口頭連絡なりあるいは監視船、巡視船による漁船に対する直接伝達等の措置は講じて参っております。

[050]
自由党(自由民主党) 鈴木善幸
外務省当局にお尋ねしたいと思うのでありますが、さきに非常に広い海域にわたって国府の防衛海域であるという通告を受けたが、これについては公海自由の原則を堅持するわが国としては了承しかねるというような立場から、警戒を厳にしながら操業は依然として続けるという御方針をとったということは、先ほどの中川アジア局長のお話でわかったわけでありますが、

次に10月20日でありますか23日でありますか、重ねて外交部から芳沢大使を通じて、大陳島付近の海域は戦闘海域である、臨戦海域であるから日本漁船の立入りはきわめて危険である、責任は負えないという通告を受けたというお話がありまして、これはきわめて具体的な戦闘地域と申しますか、臨戦地域といいますか、それを限っての通告だと、こうわれわれ考えられるのでありますが、

そのような臨戦海域の通告を受けて、そこに立ち入って操業した場合の被害は、これは国際慣例に照して、責任はその場合でも損害を与えた国にあるのであるか、あるいは臨戦海域を通告され、責任は負わないという通告を受けたのに入った方の側が泣寝入りになるようなことになっているのであるか、その点を外務省から御見解を伺いたいと思います。

[051]
説明員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
国民政府側から大陳島付近が臨戦地域で危険であるから入らないでもらいたいという口頭の連絡がありましたのは、先ほども申し上げましたが、10月20日が初めてでないのでありまして、本年の春ごろより同地域において日本の漁船が臨検があるたびごとに口頭の連絡があったのであります。しかしその際に責任は負わないというふうな連絡はないのでありまして、入らないようにしてもらいたいという連絡でございます。従って、そこへ入った場合にどういう事件が起きた、その際に国民政府側が責任があるかないかというような点についてまでの通達は受けていないのであります。

なお純法律論といたしまして、公海において戦争行為が行われている際に、そこにおいて中立国の船が被害を受けたというような場合に、臨戦区域であるというような宣言をするとか、あるいは通達をする、あるいはそこに入った場合に責任を負わないというようなことをあらかじめ公示しているような場合に、はたして当該国に責任がないかということになりますと、純法律論としては、そういう宣言によって責任は免れることはできないというのが通説であるようであります。

これは従来の戦争の際の例によりまして、たとえば第一次世界大戦におきまして、ドイツが大西洋の相当広い区域を危険区域、防衛区域といいますか、宣言いたしまして、そこに入る中立国の商船は無警告で撃沈を受けることがある、その場合には責任を負わないという宣言をした例があるのであります。当時の国際法の解釈といたしましては、それによってドイツ政府は責任を免除されるものではないというのが一般の解釈であったのであります。従って純法律論としては、やはり責任問題は依然として残るというようにわれわれは一応解釈いたしております。

[052]
自由党(自由民主党) 鈴木善幸
ただいまの中川アジア局長の御説明で、日本政府の今回の不祥事件、日本漁船の被害に対する損害賠償をあくまで要求し得るという見解が明確になったのでありますが、私どももこのことにつきましては、先般の英旅客機が中共の戦闘機によって撃墜されて、それに対して中共も損害賠償を支払うという態度を明らかにいたしておることによりましても、たといこの船が国府であろうとも、当然ただいまの日本政府の要求に対しては、これは賠償の責めを負うべきである。これはあくまでわれわれは要求しなければならない、こういう立場をとるものでありますが、問題は先ほど来参考人からも話があり、また海上保安庁の長官からもお話があったのでありますが、その砲撃を加えた怪船がはっきり国府の艦艇であったというそのことを、推定でなく具体的に立証する何らかの明確な証拠を政府機関も、関係者も今後せっかく努力を払われてつかむことが前提になる、こう思うのであります。このことについて政府の関係機関ではどのような努力を払っておられるか、そのことを伺いたいと思うのであります。

[053]
説明員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
今回の事件が発生いたしますと、すぐ攻撃を加えましたいわゆる怪船が、はたして国民政府の軍艦であったか、あるいはその他の国または政権に属する軍艦であったかということを確かめることが先決であると考えましたので、同日さっそく台湾の日本大使館に電報いたしまして、国民政府当局に事件の概要を告げるとともに、攻撃を加えた船が国民政府の軍艦でなかったかどうかという点について照会させたのであります。芳沢大使は、事件の発生しました日の夕方に先方に連絡いたしまして、その申入れをしたのであります。国民政府の外交部は、本件は、軍の関係事項であるので、軍当局と連絡してから調査の結果をお答えいたしましようという返事であったのであります。

なお、その際芳沢大使は、ちょうどその日の台北で出ております夕刊に、その事件が発生しましたと大体同じ時刻に、約10カイリほど距離は違うようでありますが、大体同じ水域におきまして、国民政府の軍艦が中共の船団を攻撃いたしまして、そのうちの2隻を撃沈したという発表をしておる事実を指摘したのであります。

国民政府外交部当局は、調査の結果を回答すると約束したのでありますが、今日に至るまでまだその回答には接していないのであります。われわれとしては、できるだけ早く国民政府側からの何らかの意思表示があることを期待しておるのでありますが、今後ともこの点につきましてはなお督促の上、一日も早く確かめる措置をとりたい、かように考えております。



[059]
日本社会党(社会民主党) 辻文雄
鈴木委員から詳細に御質問があって、大体のことが明らかになったようでありますし、また御親切なその後の考慮までお払いいただいたようでありますけれども、私ちよつとおりませんでしたから、ダブるかもしれませんが、参考人にお聞きしたいことは、その日の天候とか、攻撃をされたときどれくらいの距離でやられたのか、大体図解でわかるようですが、もう一度だけお知らせをお願いたい。

[060]
参考人(山田屋商店無線部長) 高原徹
同日の天候は、お手元に差し上げましたものに書いております通りで、東根漁労長の口述書にもございますし、てんまつ書の方にもございますが、同日の天候は半晴、雲量3分の1、風向ゼロ、風力ゼロ、視界2、うねりゼロ、波浪ゼロ、気圧は1022ミリバール。

襲撃された当時の距離は、第1回の襲撃のときは相手が見えませんので不明であります。第2回目の攻撃は、150メートルのところに見たというのがただ1人ございますが、ほかに見た者がおりませんので、私の方では不明としております。第2回目の攻撃後、第3回目の攻撃までの間にこれを見たものは多数おりますが、そのときの距離は150メートル、相手の人影が見える程度の明るさでございます。第3回目の攻撃は150メートルの距離から受けております。第3回目の攻撃後、相手の船形を見たのは、距離が100メートルということになっております。

[061]
日本社会党(社会民主党) 辻文雄
これを拝見すればもうお尋ねすることがないのですが、そういう場合に、この図解を見ますと、あなた方が乗っていらっしゃったのには、ああいう日の丸のしるしがついておったんでしょうが、相手方から攻撃したのが、第1回目はわからなかった、第2回、第3回は天候も割合に静かで、どんな船かわからぬということはないと私どもが現場にいなくて考えると考えられますが、そんな場合に150メートルぐらいの距離になっていて、国府のものであったか中共のものであったかというくらいの何かしるしか何かがおわかりになりませんでしたか。

[062]
参考人(第三十一山田丸通信士) 大古貞水
私当時通信士として乗船しておったのでありますが、全船員とも砲撃がはげしく船室より上部にからだを出すことはあまりにも恐怖に襲われた関係上出し得なかったのであります。それで、少しの時間の間砲撃がやみまして、その間を見はからって、単に少し目撃してまた待避するような状態で、はっきりした状況はわからないのであります。

それで私たちが目下判断するところによりますと、大体国府軍の軍艦ではないかと思われる点があるのであります。それは海上保安庁、水産庁監視船、また当該漁場に出漁中の漁船の方位測定によって、中共船は毎日方探測定し、1個の監視船にそれを集結して、三角方位によって中共船の位置は大体出しております。当時海上保安庁巡視船はほとんど済州島近海から北部におられたようであります。その付近に大体中共船が多かった関係上、まとめた報告は毎日14時03分から送っていただいております。その報告によりますと、その当時漁区ははっきり覚えておりませんですけれども、農林漁区の160区、及び332区付近に中共船が多かったようであります。554区付近の状況は、その当時全然わかりません。それで私たちの会社の各船間におきましても、中共船のキャッチにはいつも当っておりますけれども、現在554区付近には方位測定できないのであります。これはあまりにも中共船が遠距離にある関係であると思います。

それからもう一つは、砲撃を受けました当時、こちらの情報によりますと、中共船護送船団10数隻付近航行中、それを国府艦艇が2隻撃沈した、こういう報道でありますけれども、私どもとしましては、撃沈され、五十五山田に乗船して救助されて天草に向ったのでありますけれども、その間日本漁船は多数見受けられました。但し日本漁船が中共船を見た場合は、ただちに怪船の報告は今までしているのであります。但しそのときは全然そういう連絡もありませんでした。

[063]
参考人(山田屋商店支配人) 松尾重三
要するに飛弾が多いために船員はすべて待避しておったわけでございまして、すでに沈没に瀕して海中に飛び込み、なおまた片船の船員はそれを救助するにやっきとなっておりますし、そばを振り向くひまも何にもなかったらしゆうございます。その間に敵船は姿を消したので、それもどこに行ったか、どの方向に行ったかさえも判明していないのでございます。

[064]
日本社会党(社会民主党) 辻文雄
その場合、たとえば李ラインなどで逮捕されておった当時、一応停船をしろとか何とかいう、そういう向うからの指示はなかったわけですね。

[065]
参考人(山田屋商店無線部長) 高原徹
砲撃を受けました初めは暗夜でございまして、相手は無灯火でございますために、もちろん向うを船の側から発見した者はおりませんし、またそういう信号を受けたという口述をした船員は1人もございません。

[066]
日本社会党(社会民主党) 辻文雄
政府の方にお尋ねしますが、外務省は総括的になりますけれども、保安庁あるいは水産庁の角度から申し上げるのですが、今のような参考人のお話ですが、国府の船だということは、今参考人がお話になったようなことが基礎になって、大体交渉をしておられますか。あるいはそのほかにも何らかのあなた方の立場から、砲撃をした船は確かに国府のものであるという見当がつくような調査がなされておりますか。

[067]
説明員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
政府としまして、ただいま参考人の方々が言われましたようないろいろのその当時の模様、それ以上に何も資料はないのでございます。

しかしここにわれわれが一つ注意しておりますのは、同日ちょうど同時刻に、大体同じ海域におきまして海戦が行われて、中共の船2隻撃沈したという先方の発表、これは先方は確かと思って発表したに違いないと思いますので、それが発生しました時日と非常によく符合しておりますので、あるいは国府の軍艦が中共の船と間違えて日本漁船を撃沈したのではなかろうか、これは推測でございますが、一応推測するのも無理ではないのではないかというふうには考えますけれども、しかしこれは非常に重大なことでありますので、先方のはっきりした調査の結果を待ってからこちらとしても措置をとりたい、かように考えて先方に照会したわけでございます。何とか近いうちに先方からの報告がありまして、ある程度の事態が判明するのではなかろうか、かように考えております。

[068]
日本社会党(社会民主党) 辻文雄
そうすると、国府の方で、あなた方の交渉の過程においては、自分たちの方の船がやったのだという言明は、今のお話では、していないわけですね。

[069]
説明員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
今までのところは何ら正式な回答がないのであります。しかしながら、ただいま参考人の方々が申されましたようなこちら側で見ました状況というようなものは、それぞれ参考資料としてそのあとから追加的に先方に渡しております。

[070]
日本社会党(社会民主党) 辻文雄
今私がそんなことを言うとおかしいが、たとえば鈴木委員がおっしゃった通りに、公海についてはその操業は自由だという本質的な建前を日本の方では立てている。そういう場合に、操業に出航して行って、そうして何をやるかということが一つと、それから長官に申し上げることですが、私も常に言つているけれども、沿海漁業とか、あるいは領海でもだんだん魚族がいなくなって、ほんとうに沿海漁業というものでは飯が食えなくなるという意味において、あるいは少々の危険とか、あるいは少々の線の逸脱というようなことをやっても、実際の生活を立てるためにみな出かけるんじゃないか、これが私はほんとうの現実だと思う。

あなた方の方からは、こういう危険があるから行ってはいかぬとかなんとかいうことは言ってありましようが、その他にもそういう場合に、現実としては食生活の上から出かけて行くということに対しての何らかの援護、守りというようなことは平素おやりになっておりませんか。たとえばそういう船が出ると、その出た近所ではやはりこちらの方でも注意をするばかりでなしに、何かそういうときには早く逃げるとか、何かするようなことを知らせるとか、誘導するとかいうような構えばどうなっておるか、ちよつとお教えいただきたいと思います。

[071]
政府委員(水産庁長官) 清井正
その点は先ほども御説明申し上げた点に触れていますが、海上保安庁の船と協力いたしまして、私どもの船も現場の方に相当出ているのであります。特に公海自由という原則がございますから、私どもといたしましては、国府が言っております防衛海域というものを認めておりません。

しかし現実に戦闘行為が行われる危険がありますから、そこへ入るのは危険であるぞということは連絡いたしておるのであります。従って漁業をしちやいかぬぞということは言ってないのであります。そこが非常にむずかしいところでありますけれども、現実のわれわれの建前といたしましてはそうせざるを得ないのであります。そういうことでずっと来ておるのであります。

そこで私どもの方の監視船もあそこら辺が危険だということは重々承知しておりますから、その方面に重点的に動いております。現実にそういう操業中の漁船に、警告したり、たまたまこういう船が臨検を受け、立ちのきを命ぜられたという事実を連絡する、こういうことをずっと繰返して来ております。また海上保安庁の船も、そういう事実がありましたときには各漁船に連絡をしておるということで参っております。われわれがしょつちゆう警戒を厳重にして、付近を重点的に警戒いたしておるということは事実でありまして、ただいま言ったように、連絡を緊密にするということを積極的にいたしておるわけであります。



[077]
外務政務次官 秋山俊一郎
今回の三十一、三十二山田丸の不祥事につきましては、かつて例のないとまで考えられる問題でございました。3、4年前であったかと思いますが、東支那海において銃撃を受けて撃沈された船もございます。しかしこれは相手がはっきりしておるのでございます。今回のごとくまったく国籍不明といったような、やみ討ちを食ったということは、前例がほとんどないことでございまして、被害を受けた方々に対してはまことに御同情にたえないのでありまして、私どもも同じ郷党の者として深甚の弔意を表しておる次第でございます。

ただいま辻委員から御要請があったのでございますが、今のところはっきりとその加害者がわかりません。当方においては多分これじやないかと思っておりましても、相手方がまだはっきりと返事を――はっきりも何も、返事をして参りません以上、これと交渉する段階には至っておりませんけれども、御承知の通り国民政府とは日本は国交を開いております。中共その他と違いまして直接交渉のできる立場にございますし、またかなり友好的な関係もございますので、この問題は、私はそう日にちをかけないではっきり出て来るのではないかと考えております。そういう際におきまして、できるだけ友好的な手段をもちまして、被害をこうむられた船主の方あるいは船員の方々のできるだけ御納得の行くような方法に、われわれとしても極力努力をいたしたい、かように考えて、出先機関を通じまたその他と連絡をとりまして、さような目標に進んでおりますので、いましばらくお待ちをいただきたいと思います。

[078]
日本社会党(社会民主党) 辻文雄
秋山次官のお言葉非常に心強く思いますけれども、同時に今日まで私2年間くらい秋山次官と、次官におなりにならない前、いろいろ郷党の仕事をやっておりますときに、ほとんど実現させて御協力願っておりますので、今のお言葉は私は心から信頼いたします。どうかさようにお運び願いたいと存じます。





昭和29年12月02日 参議院 本会議
[060]
日本社会党(社会民主党) 森崎隆
先ず事件の概要を申上げます。

撃沈されました第三十一山田丸、66トン弱でございます。及び第三十二山田丸、65トン強でございますは、いずれも長崎市山田吉太郎氏所有の漁船でありまして、この2隻の漁船は去る11月22日他の僚船と共に支那東海農林漁区554、これは東経122度より122度30分、北緯28八度より28度30分の海面を申しまするが、この附近で操業中、午前5時50分頃突如といたしまして、国籍不明の軍艦より約100メートル乃至150メートルの近距離から攻撃を受けたのでございます。艦艇は500トン程度の駆潜艇又はフリゲート艦のごとく、午前5時53分より約30分間、前後3回に亘り猛烈なる銃砲撃を加え来たり、突然のこととて周章狼狽のうちに乗組員は各人各様の行動をとつたのでありまするが、武器は砲又は機関砲及び機関銃らしく、同艦艇はまさに沈没寸前の第三十二山田丸の乗組員が全員海中に飛び込まんとするのを見ながらも、これを救助もいたしませず退去をしたのでございます。このため、第三十二山田丸は午前6時30分頃、第三十一山田丸は午前7時過ぎ、それぞれ沈没をいたしましたが、附近にありました第五十五山田丸に救助せられたのであります。乗組員の損害は死亡2名、負傷者5名との報告でございます。

なお船主山田吉太郎氏による事件記録の中には、1つ、政府において許可された区域内で、而も公海において明らかに国民政府に所属すると推定される艦艇から全く理由なき銃砲撃を受けて沈没し、貴重なる生命に死傷を受けたことは、天人、ともに許されぬ暴挙である云々と書かれておりますし、2つには、私はこの記録に基きまして、国会に対し、政府に対して国民の立場から、遺族の立場から、罹災船員の立場から、又水産業者の立場から、抑えることのできぬ憤激を、諦め切れぬ悲しみを、死の戦慄と窮状を、又こみ上げる怒りを訴える云々等の悲痛な心情が吐露されております。

そこで、外務大臣に先ずお尋ねいたしますが、第1に、攻撃いたしました艦艇が国民政府の艦艇らしく、特に同じ日の11月22日の国民政府側の発表によりますると、同日の明け方、国民政府の軍艦が中共の船舶10数隻を捕捉攻撃いたしまして、2隻を撃沈したという戦果の発表があつたという事実ににらみ合わして、事の真相をいち早く国民政府へ問合せられていることと存じまするが、今日までの折衝の経過をお知らせ頂きたいと思います。かかる問題は幾多の不慮の不法災害に悩まされ続けて来ました日本の全漁民の神経には、一人残らずピリツと響いて、更に大きな不安を与えているものでございまするから、私たちの要求を待たずとも、いち早く折衝の上、すでに旬日を経ました今日では、せめて中間報告でも当然あつて然るべきものと存ずる次第でございます。又問合せにつきましては、期限付で回答を求められておりまするか否かも併せて伺いたい。

第2に、本事件と関連してお尋ねいたしまするが、国民政府側では中国本土との間に広範囲な防衛水域を設定いたしまして、日本漁船の立入りを拒んでいるようでございまするが、公海の自由の原則が破れましては、我々としましては迷惑千万に存ずる次第でございます。これに対しまして、如何なる態度を以て臨んでおられるか、外務大臣にお尋ねを申上げたい。

(中略)

以上で私の質問は終ります。(拍手)

[061]
北海道開発庁長官・内閣総理大臣臨時代理 緒方竹虎
第三十一、三十二山田丸の撃沈事件につきましては、何よりも今後同じような事件が繰返されないように、特にあの方面は事件を誘発しがちの所でありまするだけに、政府としてもこの事件の処理を契機に万全を期したいと思つております。政府としては、そのために飽くまで真相を究明いたしまして、要すれば相手国政府に折衝する所存でありまするが、いずれにしましても、多くの犠牲者を出しましたことにつきましては甚だ遺憾に存じております。

仮に砲撃いたしました軍艦が中華民国の軍艦でありました場合、中国側が当該海域の危険性について、かねて警告を発していたといたしましても、その海域に入つた漁船に対しまして何らの警告を与えず、直ちに砲撃を加えることは明らかに不法行為と考えられまするので、事実の真相が明確になりますことを待つて、適当な措置をとりたいと考えております。

将来の保護、保障につきましては、これは現在でも漁業者が非常な苦労をなめつつあるということは、政府といたしましても十分に承知いたしておりまするので、今回のような不幸事が繰返されないように、今回の措置を通して十分の努力をいたしますると同時に、同方面に出漁する漁船に対しましては、現在でも危険防止の意味から注意はして参つておるのでありまするが、今後の保護政策につきましては、更に関係者におきまして十分検討いたしまして、あの苦労の多い漁業者が今後も安心して行けるようにできるだけの措置をやつて参りたいと、政府といたしましても検討いたすつもりでおります。(拍手)

[062]
農林大臣 保利茂
お答えいたします。

山田丸の撃沈事件につきましては、只今森崎さんからお話の通りの状況で、大体私どももその通りに承知をいたしておりますが、国籍不明の軍艦がいずれの軍艦であつたかということは、これはやはり公式に突きとめられる必要が無論あるわけであります。この点は外務大臣から御報告があると思います。

その上で当然これは損害賠償と申しますか、補償要求をいたすべきものと私は考えております。と申しますのは、一昨年の11月からあの水域は中華民国政府と中共政府との作戦区域になつておる。従つてこの地域に入つて来ることは危険であるからという警告を受けておるわけであります。昨年におきましては、16隻の漁船が臨検、退去命令を受けておる。今年10月までに13隻の漁船が同様に臨検、退去命令を受けておるわけであります。従いましてこの山田丸事件までの間におきましては、そういうことで最悪の不祥事件を惹き起すところに来たつていなかつたわけでございます。今回の事件は全く不法にも、そういう措置がとられずしていきなり砲撃を加えられ撃沈を引き起したというような事情に相成つております。

今後につきましては、無論これは最善を期して行かなければなりませんから、監視船等を重点的にあの危険周辺に廻しまして、政府としましても十分の措置をとつて参りますと共に、この間、遠洋底曳協会を通じまして、業者側に対しても十分この水域の危険を徹底するようにはいたして来ております。

併しながらお話のように公海漁業の自由という原則の上に立つてやつておりますこの漁業をこの地域でやめるということは、私どもとしてはとるべき措置ではない、飽くまで危険防止についての措置を講じつつ漁業を確保して参りたいという点の上に立つて、今後善処して参りたいと存じております。

なお撃沈せられました両漁船は、御承知であろうと存じますが、900万円と1000万円の特殊漁船保険に加入いたしておりまして、支払の準備をいたしております。近日中に支払をいたす所存でございます。

なお、その他の関係のお話の補償等の問題につきましては、やはり国籍不明の軍艦が真にいずれの軍艦であつたかということを究明いたしまして、当然措置しなければならん。誤りないようにいたしたいと思います。

[063]
外務大臣 岡崎勝男
先ほどからお話がありましたように、この攻撃を加えた軍艦がどこのものであるかということの確認が先ず必要でありまして、折柄、森崎君も言われましたように中国側の報道では、これは新聞報道でありますが、大体同時刻に、多少距離は違つておりまするが、大体、同海域で海戦があつて、国府の海軍が中共船2隻を撃沈したということが出ておるのでありますので、外務省におきましては事件の起りました22日に、直ちに台北の日本大使館に訓令を出しまして、中国政府に対しこの点を指摘して申入れを行なつております。なお東京にある中国大使館に対しても同様に申入れをいたしておりますが、先方からはまだはつきりした回答には接しておりませんので、引続き督促中であります。

なお一部の新聞通信でありますが、それによりますと、国府側が撃沈の事実を認めたという旨の報道があつたのでありますが、その後同通信はこれを訂正して、右は誤報であると、こういうふうにまあ言つておりますが、どうも大体の時刻が合致しておりますので、引続きこの点をはつきりいたしたいと思つております。

それから砲撃した軍艦の確認ができますれば、先ほど副総理から答弁がありましたように、たとえあらかじめ危険だというこの海域に対する警告があつたとしても、その場合に何ら、あらかじめ措置をせずに砲撃するということは、勿論不法の行為でありますので、適当に従来の国際慣例等に基きまして処理する必要は当然あると考えております。

そこで農林大臣から申上げましたように、国府側は従来非常に広い水域を、危険区域とか警戒区域とかいつて、日本漁船の立入りをやめるように主張して参つたのでありますが、我が方としては、公海においてこのような水域を認めることはできませんし、又漁業者としても、魚の一番穫れる方面に出て行つて出漁する必要はあるのでありますので、国府側の申入れに対しては軽々にこれを容認することはできない。こういう立場で従来来ておるんであります。

ただ実際に戦闘行為が行われているという事実は、これは認めざるを得ないのでありますから、こういう実際戦闘行為の行われている海域だけは、これはどうも臨機の措置として出漁船がこれを避けるという必要は、これはやむを得ないことだと、こう考えておりますが、我々の基本的な考え方は飽くまでも徹底させるつもりでおります。(拍手)





昭和29年12月03日 衆議院 内閣委員会
[127]
自由党(自由民主党) 大久保武雄
先ほど田中君の御質問の中に、李承晩ライン等で漁船に対して不当なる攻撃があつたときでも、できるだけ外交措置でやれという御質問がありましたが、漁船に対する攻撃の中には、ナシヨナル・フラグを掲げていない攻撃がある。先般の東支那海における漁船の撃沈の問題について、あの攻撃船はナシヨナル・フラグを掲げておつたかどうか、この点を私は海上保安庁長官もしくは木村長官にお尋ねいたしたい。

[128]
説明員(海上保安庁長官) 山口伝
先般の第三十一山田丸及び第三十二山田丸の沈没事件でありますが、当時、実は都合3回攻撃を受けて沈没いたしたのでありますが、最初の攻撃は、たしかまだまつ暗な暗やみの中からいきなり撃たれたのであります。2回目がまだ暗くて、3回目がどうにか姿が見える程度でありまして、いろいろその当時の状況を調査いたしましたが、当時の乗組員は、非常な射撃を受けて危険にさらされたのでおびえておりまして、みな物陰に隠れたような状況で、実は、その船がどこの国の船であるか、どういうものであるかという確認が十分できなかつたのが残念であります。記号とか、あるいは型とか、そういうものをよく認めておりません。船型についてもうすぼんやりしたような報告であります。

[129]
自由党(自由民主党) 大久保武雄
木村長官にお尋ねしますが、内閣としても、攻撃国はまだ明確になつていないのでありますか。

[130]
防衛庁長官 木村篤太郎
まだはつきりわかつておりません。調査中であります。





昭和30年05月24日 参議院 農林水産委員会
[001]
委員長 江田三郎
ただいまから農林水産委員会を開きます。

まず最初に第六あけぼの丸の沈没及び山田丸撃沈事件の件を議題といたします。

本年2月長崎沖において第六あけぼの丸が韓国フリゲート艦によって衝突沈没をせしめられ、乗組員21名が死亡しております。

また昨年11月シナ東海において第三十一山田丸、第三十二山田丸が国民政府所属の艦艇に銃砲撃を受け沈没し、乗組員7名が死傷しております。

いずれも賠償その他責任ある措置がとらるべきであると考えられますが、韓国並びに国民政府との交渉の状況についてまず外務省から説明を聞くことにいたします。



[017]
委員長 江田三郎
続いて山田丸の事件の御説明を願います。

[018]
政府委員(外務省アジア局長) 中川融
第三十一及び第三十二山田丸が、昨年の11月の末に大陳島沖におきまして国籍不明の軍艦により攻撃を受けまして沈没した、非常な損害を受けたのでございます。死者2名を出しまして、負傷者も相当数出ました。非常な損害を受けたのでございまして、これにつきましては、その当時本委員会においても御説明いたしましたが、日本側といたしましては発生当時の実情というものを詳細に調べまして、時間の関係その他詳細に調べまして、その資料を全部これを国民政府に提出いたしまして、われわれが見るところでは、どうもこれは国民政府の軍艦がちょうどその同じ時に大体同じ場所で中共の艦船群を攻撃して2つの船を沈めた、こういう発表がございますので、それと同一事件であると思われる。先方の調査した内容とわれわれの調査いたしました内容とは、発生した場所におきまして若干の食い違いがございます。これもせいぜい10海里という程度のものでございました。何らかのこれは観測の間違いか何かによって起きた災いではなかろうかと思われますので、その点を十分納得の行くような、できる限りの説明資料を作りまして先方に調査を求めたのであります。

先方もこの点について至急調査しようということでございましたが、その後先方から参りました回答では、調査した結果、国民政府の海軍が行いました攻撃の結果日本の漁船を沈めたという確証を発見し得ないという返事が参ったのであります。

それに対しましてはこちらは、そうは言ってもあらゆる調査の結果がほとんど符合しておるではないか。わずか発生地点が若干差異があるだけであり、しかもそれもいろいろな状況、そのとき国民政府の軍艦から見れば、いわば実際の戦闘に当っておったという考えでおったわけでありましょうから、自然に観測等においても必ずしも詳細を期し得なかったのではなかろうかということで、さらに再考を求めますと同時に、とにかく的確に地点が例えば合致しなくても、大体これは常識的に見て国民政府の軍艦がしたその行為の結果起きた同一事件であると思われるのであるから、その事実にかんがみて、一つ適当な補償措置を講じてもらいたいということをさらに申し入れたのであります。

ところがその申し入れに対しまして、この申し入れは1月の10日にさらにしたのでございますが、その申し入れに対しまして、最近に至りまして国民政府から回答が参りまして、どうしても国民政府の軍艦がした行為であるという証拠がない、それのみならず国民政府の軍艦はしなかったのであるから、これについて山田丸の事件について、国民政府が責任を負うべき筋合いではないということを回答してきたのであります。これは4月30日付の文書をもって芳沢大使あてに回答をしてきております。

この回答はわれわれのとうてい受諾し得ない回答でございました。つまり第1回の回答におきましては国民政府の軍艦がした行為であるという確証はないという回答であったのでありますが、第2回の回答では国民政府の軍艦がしたことでないことはすでに明白であるという字句が使ってあるのであります。

これに対しましては早速今まで国民政府から通報のあった経緯から見て、国民政府の軍艦がしたことでないという証拠はどこにもなかったように……国民政府の軍艦がしたのであるという確証はたとい出なかったにしろ、国民政府がしたのでないという反対の証拠も出ていなかったはずであるのに、今日の回答において国民政府の軍艦がしたことでないことはすでに明白であるということを申したことは、どうした新しい事実に基くか、その新しい事実があるならそれを知らしてもらいたいということを申し入れるとともに、この経緯は従来は外交交渉の関係もあり、先方の立場というものも尊重いたしまして、できるだけ公表ということをできれば避けて行きたいと思ったのでありますが、こういうことになって参りますと、これは国民に対して実情を明らかにするという意味でも、あるいは公表しなければならなくなるかもしれんということをはっきり申し入れるようにという訓令を発したのでございます。

大体以上が経緯でありまして、三十一、三十二山田丸につきましては、われわれは事理を尽しまして、これの何とか実際的な解決をはかるということを主眼にいたして交渉を続けてきたのでありますが、国民政府側の回答というものは結局満足な回答が今までのところきていないのでございます。しかしながらまだ外交交渉というものを決してこれであきらめるときではないのでありまして、さらに本件につきましては、できる限りの交渉を継続して行きたい、またこちらが事理を尽すことによりまして、国民政府側の考え方というものも変えることができるのではないかという希望を持ちまして、さらに交渉を続けて行きたい、かように考えておる次第でございます。





昭和30年07月15日 衆議院 外務委員会
[015]
参考人(山田丸漁労長) 東根三郎
山田丸の東根であります。一応その当時の事件の模様をお聞き願います。

時は昭和29年11月22日の早朝であります。農林漁区554、詳しくいえば北緯28度24分、東経122度19分の位置であります。当時の状況を説明するのに、かりにこの部屋の天井が北、床を南、こちらの窓口を東、向うの入り口を西とします。時間は22日の5時47分、三十二山田丸が西に向いておったのであります。それに三十一山田丸は船尾を接近して東に向けたのであります。その船尾の間隔は5メートル、それで結局三十二から三十一山田丸は綱をもらって網を引くのであります。

5時57分に、この2はいおる船のどっちから来たかわからない。こっちからそれは確認してなかったのですが、怪船がやってきた。そして撃ち始めたのが三十一山田丸が東を向いているとすると、北西の方からこの2はいの船の方にたまが飛んできた。最初私の乗っていた三十一の方は三十二の陰になっていて船形は確認できなかったが、そのときに最初にたまの音を聞いた。それを私は拿捕に来たと思って、じっとしておれば何ら影響ないと思った。怪船がエンジンをストップしたままで惰力でずっと三十二の方から船形が出てきた。そして三十一の方にどんどんたまが飛んできた。そのたまが機関銃の曳光弾ですから、どんどん飛んでくるのが目に見える。そうして同時に砲弾を撃ち出した。それですぐに三十二の方がエンジンをやられて、これが全然航行不能になった。だから三十一は僚船をほうっておいて逃げるわけにいかない。それで死なばもろともで怪船に撃たれた。これで私が逃げれば僚船を殺してしまう、だからこの僚船を救うためには自分もここでともに死ぬ覚悟をしなければ救えないというのでそのまま怪船に撃たれたのです。ところがこの怪船が惰力で三十一の船首の方にやってきた。そして三十一の前面に来るまで射撃を続けたのです。これが約12、3分の間であります。

それからこの怪船が三十一の船首を回ったのです。そのときは一時射撃を中止し、それから、三十一山田丸の右舷の方からまた撃ち出した。その第2回目の射撃の始まりから第2回目の終るまで約4分か5分くらい。それでこの怪船がまだ惰力でずっと三十一の船尾の方に入ってきた。2回目の射撃が5分くらいで終って、第3回の射撃の始まるまでの間が2分ないし3分あった。そのときにずっと怪船が右回して、そのまま停止して三十一の右舷船尾に向って撃ってきたのであります。この射撃の終りは6時24分ないし5分だったのです。私が船室から出たときには、怪船はすでに西を向いて走っていました。そして怪船の向った方向は大陳島でした。

怪船が去ると同時に僚船の三十二を見たわけです。そうしたらすでに三十二は船首を海底に沈めて、そうして船尾を真上にしてしまっていました。三十二山田丸が沈没したのは6時30分でした。三十二が沈没にかかると同時に、その船員10名は海中に飛び込んだ。こちらの三十一は結局その場合にはエンジンもかかるし船員もおるのであるけれども、こちらの船員12名のうち、負傷者が3名と死亡者が2名いる。侵水が激しいために汽罐は3人で、海水をエンジンに入れまいと努力する。あとの3名は一生懸命排水ポンプで海水をかいている。無線局長は無線室で一生懸命無線の回復にかかっている。しかし三十一には、三十二の海中に飛び込んだ10名を救出しなければならぬ義務がある。海中に飛び込んだ10名は、ドラムカンあるいは魚艙のサブタにかじりついているが、そのままおれば非常に危い。そして三十一に来ようとするのだが、三十一に着くまでが非常におそかった。三十一と三十二の間は30メートルか50メートルあったが、それを泳いでくるのに20分かかった。

そして近くに操業していた船があったので、その船に救助を求めるために全速力で行こうとした。ところが海水が浸水しておるためにエンジンのクラッチがすべって全速力が出せない。それでほとんど半速という程度で徐々に行ったわけです。それで東の方に2隻の少し大きい僚船が操業しておった。こちらも極力排水し、重量物を海中に沈めてその僚船に向って走った。ところが7分くらい走ったときにアカが充満してきてエンジンの回転が下ってきた。エンジンが牛の歩みのようにポン、ポンといって非常にのろい船足だった。とにかくしかし全員をこの船に救助をしてもらわなければだめだというので、その船に救助を求めたわけであります。だから向うの船は、網を引いていたのをそのまま一度停止した。そこで私らは船を途中まで持っていったのですが、こっちの三十一が浸水が激しいためにエンジンがとまった。とまったときにこの船との距離はそう離れていず約50メートルくらいだった。それで三十一は浸水してデッキの上にすでに海水が2尺も入っておるということを見ておるものだから、五十三号、五十五号の両船が五十三号で網を入れていたのですが、五十五号が網を切り落して反対側に回ってきた。それで三十一を包囲する形になり、三十一の船員が全部乗り移って、おかげでこういうふうに皆さんの前で説明をするように命を全うして帰ってきたわけです。これで事件の説明を終ります。

これに対して災害を受けた船員が、第1回の射撃を受けた場合に、私の方は避難のために全部消灯を命じたわけです。なぜ消灯せよと言ったかというと、あかりがついていると船が大きく見えて向うにはっきりわかってしまう。だから灯を暗くするとわからなくなるので消灯せよと言った。ところがこちらのエンジンをとめたわけです。どうしてとめたかというと、今まで私たち兵隊の経験からいくと、船を襲撃する場合には、エンジンがかかっている場合にはエンジンを襲撃してくるのです。そして航行不能に陥れておいて撃沈するのです。エンジンをとめると向うは一応安心する。航行不能に陥らせたあとは攻撃が緩慢になる。それでいわゆる敵か味方か識別が出てわかるわけです。それでこの場合エンジンをとめて、結局船員にすぐ避難しろと言ったのですが、しかしそのころは目に見えてどんどんたまが飛んでくるのです。言葉でいう雨あられのように飛んでくるので、船員はのがれるところがない。曳光弾のために、一発々々たまが飛んでくるのが自分の目に見える。それでどっちに逃げようにも逃げ場がない。ただもうネコににらまれたネズミといいますか、すくんでしまう。それで機関銃のたまを装填する合間に少し射撃が薄くなる。その間にあっちへ逃げ、こっちへ逃げしたわけです。それで第1回の射撃のとき操舵室におったわけですが、被弾が左舷に当っていたのが右舷に当り始めた。だから右舷にもう1隻怪船がおるものと誤認して、それで右舷の戸をあけるために右手を持っていった。そのときに手を撃ち貫かれて、今でもこの傷跡が残って、これだけしか筋が動かぬわけです。

第1回目の襲撃のときに船長の多田美幸が、やはり同じ時分に砲弾のために右下腹部から左下腹部に抜けて、それが致命傷となって即死した。それから井筒高義氏は反対側の右舷に怪船が見えた場合に、その船体を見るために頭を上げたときに目から入って後頭部に抜けてこれも即死した。それから上田久雄も同じ砲弾の破片を左下肩部に受けまして、現在重傷で療養中であります。それから吉田市次郎は比較的軽い傷で済んだわけです。それで三十一号が五十三号に救助せられる場合に、2人の死体をどうして持っていくか、持っていく方法がない。それで私はすでに沈没するところを救助せられて、途中この2人の船員の死体を持っていくわけにはいかないので、魚艙のサブタに体をくくって海上に投入したわけです。それで五十三号に救助されてからそのサブタを拾って、船員の死体を収容したわけです。

大体事件の人名の状況はそれだけであります。

それで船内の状況としまして、船橋船首に径約7寸くらいの弾穴3カ所、径約1尺くらいの弾穴が1カ所、それから右舷デッキ上、第一魚艙横に径約1尺くらいの砲弾の穴が1カ所、それからまかない室の右舷に1尺5寸くらいの弾穴が1カ所、それから機関銃のたまはほとんど船体は見るかげもないくらい受けておるわけです。

それで三十二号の方はすぐ沈没したために、片方の船長が確認しておらないので、三十一の状況で御判断願ったらそう大差はないことであります。それで結局こういう現在までの状況だったのですが、私は今月初めに療養を終って帰った。その間何ら事件の進展がないものですから、先生方に再度のお願いに上ったわけで、どうぞ今までの状況でありますから、一つ諸先生方の一そうの御助力をお願いいたします。

[017]
参考人(山田丸船主) 山田吉太郎
私が山田吉太郎でございます。11月22日早朝東シナ海農林漁区554区におきまして撃沈せられ、死者2名、重軽傷5名を出しまして、ただいま当時のなまなましい記録を東根漁労長より述べました第三十一、第三十二山田丸の船主でございます。

本件につきましては事件発生の当初より、政府の方々並びに国会の皆様より深甚の御同情を賜わりまして、これが解決に引き続き御努力を仰ぎ、また本日国事御多端の際、重ねて御審議を賜わりますことは、まことに感謝にたえない次第でございます。厚く御礼申し上げます。

私は当時死亡船員2名の合同葬儀を営みますと同時に、この事件の真相を親しくつぶさに、一刻も早く中央に報告するため、上京いたしまして衆参両水産委員会に訴えたのでありますが、幸い各方面の御同情と御理解のもとに外務省の外交交渉に移っているのでございまして、私はもちろん遺家族、罹災船員を初め全国の漁業関係者は、ひとしくこの成り行きに深甚の注目を払っているのでございます。

当時ビキニの水爆問題で世論もやかましいときであったのでありますが、米国は率直にその補償をなしているのでありまして、国家といたしましても鄭重な弔慰の方途を講じられ、また生存船員に対しても十分な治療と慰謝をなされたことは当然のことであります。あれを思い、これを考えますとき、私たちはどうしても割り切れないものを感ずるものであります。

相手が米国でありましょうとも、また国府でありましょうとも、公海で日の丸の標識をつけました漁船が、不法な災害をこうむる事態につきましては、当然その補償がなされるべきでありまして、しかも直接撃沈せられるにおきましては事重大であります。日本国民の生命に変りはないのであります。

時と場所をほとんど同じゅうして2隻撃沈の国府の戦果としての発表は、わが同胞の犠牲においてなされたことのてんまつは、前回の水産委員会のときにおきまして御審議の通りでありまして、その後の外交交渉の経過は知る由もございませんが、多年の懸案でありましたところの中共との漁業協定も成立いたしました際、友好関係にありますところの国府との間にいまだその解決を得ませんことは、まことに残念に存ずる次第でございます。

死亡船員2名の遺家族は、いずれも幼少の子供をかかえておりまして自活の道も不可能でありますので、郷里の徳島県に帰って親族の援助を受けて生活しておりますが、将来の不安に悩み続けております。当時の乗組船員22名のうち、重傷であったためいまだ作業能力が回復しておりません2名を除く他の18名は、他の漁船に職分に応じ分散して乗船して、さしあたりの生活を営んでおります状態でございます。

船主といたしましても、一日も早く代船を建造し、全員の職場を安定せしめたく、せっかく日夜努力中でございます。死亡船員の遺家族並びに身体障害の船員に対しても、できるだけの援助は惜しまない方針でございますが、この撃沈による損害とデフレ下におきまする業界の不振等によりまして、十分なことができませんことを残念に存じております次第です。

この問題は、国会の皆様方の御援助によりまして、また政府の方々の御尽力によりまして、国府との間に必ず解決せられることを信じ、またそれを期待しておる次第でございますが、ここに私が特にお願い申し上げたいことは、前議会におきまして政府委員の御発言にありました、すなわち、これは損害賠償を要求し、適切な補償をすることが大事だと思うが、その前に、あるいはそれと関連を持つ代船建造、遺家族の問題についても、この事態の特殊性を十分認識しておるので、何とか努力をしてみたい、今ここですぐ具体的に申し上げる段階ではないが、ただ事態がきわめて特殊な事態であるので、関係方面とも相談し、できるだけ要望に沿うよう十分検討していきたい、と真誠あふるる御同情をいただいておりまして、遺家族並びに船員それを唯一の慰めとしておる次第でございます。従いまして、なお今後この上とも皆様の御同情を賜わりまして、外交交渉もさることながら、国内的に何らかの御措置をお願いできますならば、まことに仕合せに存ずる次第でございます。まことにありがとうございました。



[172]
日本社会党(社会民主党) 今村等
一応参考人の御意見を伺いましたので、政府に対して質問をいたします。台湾海峡に対する国際法上の解釈は一体どういうふうになっておりますか。また銃撃を受けた場所は東支那海の農林554区とかいうところと思いますが、一体どういう考えを持っておられるか。

[173]
外務政務次官 園田直
公海であると解釈しております。

[174]
日本社会党(社会民主党) 今村等
台湾海峡に対する中共の態度、国府の態度、この点についてどういうお考えを持っておられるか。

[175]
政府委員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
台湾海峡につきまして、ただいま政務次官から御説明されました通り、もちろんここは公海でございます。

しかしながら、ここで中共と国民政府との間に戦闘行為が行われておる、あるいは戦闘行為が行われる危険があるということから、国民政府の方ではすでにだいぶ前から、ここら水域全体を一種の軍事水域というふうに指定いたしまして、できればここには入らないでもらいたい、また入った場合危険は入ったところで負担してもらわなければ困るというようなことを申し入れられた事実があるのであります。

そういう申し入れに対しまして日本政府は、このような公海の一部を、勝手に入ってはいけない水域であるというふうに断定することは、承服できないとはっきり返答しておるのであります。

なお中共の態度でございますが、中共と日本とは国交がない関係上、中共がどのような解釈をこの台湾海峡についてとっているかということは不明でありますが、現実の問題といしたましては、ここ半年くらい前までの間は、ひんぴんとして台湾海峡において、日本の漁船が中共の艦艇に拿捕されたのでありますが、その後御承知のように、民間漁業代表の方々が中共に行かれまして、中共との一種の操業取りきめをされたのであります。その内容等はすでに大体御承知のことと思います。政府としては、中共が台湾海峡にどのような考えを持っているかということは承知していない次第でございます。

[176]
日本社会党(社会民主党) 今村等
今の説明によりますと、戦闘区域であるから入るなというようなことが言われておるという。しからばその結果、山田丸その他の漁船に対して、政府は何かの上において注意をされておったかどうか、こういうことが非常に問題になりはしないかと思う。

入っていけないというところに山田丸三十一、五十五、大洋丸とたくさんの船が入って操業しておったのでありますから、もしそうだとするならば、政府は、危険区域であるからその漁場に入ってはいけないという一片の警告もしくは注意をされたことがあるか、その点一つ伺っておきたいと思います。

[177]
水産庁長官 前谷重夫
お答え申し上げます。水産庁といたしましては、この事実を業者の団体を通じまして、操業者に十分注意をするようにということで通知をいたしております。

ただ公海の問題でございますので、これに立ち入り禁止とかあるいはそういう立ち入ってはいけないというふうな措置はいたしておりませんが、注意を喚起いたしております。

[178]
日本社会党(社会民主党) 今村等
参考人の東根君に聞きますが、あなたは山田丸三十一号の漁労長であったと思うが、そういう何か注意がありましたか

[179]
参考人(山田丸漁労長) 東根三郎
お答えいたします。私が昨年の6月20日に漁労長に就職いたしまして、撃沈当時までそういうことは入手いたしておりません。その以前のことは私としても、責任上存じておりません。

[180]
日本社会党(社会民主党) 今村等
それでは政府はこれに対して今までどういう態度をもって臨まれたかということと、それから現在相手国船がどこの国かわからない。怪船であるということをいわれておるのでありますが、しかも東シナ海における状態から見まして、われわれの常識から考えてみますと、日本の船かあるいは中共か、あるいは国府か、韓国か、どの国の船であると考えられるか、その当時の模様からいって、いまだに相手国がわからない。

日本の山田丸2隻撃沈をしたところの船の国籍が不明であるということは、どうも私どもは合点がいかないのでありますが、この点どういう方法をとっておられるか、承わっておきたいと思います。

[181]
外務政務次官 園田直
向うから危険な区域であるから、立ち入りを遠慮してもらいたいということは、念のために水産庁から通知はしてもらっておりますが、それは危険な地域であるから立ち入らない、また立ち入って事故のあった場合は、損害はこちらが持つということを認めた上の通報ではございません。こちらはそれを拒否しております。が念のためにそういうことがあったからという意味でありまして、法律的にそれを認めておるわけではございません。

なお山田丸遭難者の方々の御報吉をよく聴取をし、及び中国側の怪船の情報とつき合せて、事故地点、その他の状況、または交渉の経緯から見ますと、同日に台北の新聞には、中共船2隻を撃沈したという報道も来ておりますし、中国艦艇の所為に間違いないと私は断定をいたしております。

[182]
日本社会党(社会民主党) 今村等
ただいまの政務次官の答弁によりますと、政府はいわゆる台湾の国府の船であるということは間違いない、こういうようにお考えになっておるのですか。

[183]
外務政務次官 園田直
そのように推定いたしております。



[206]
日本社会党(社会民主党) 木原津與志
台湾政権というのは、御承知のようにこれは敗戦政権です。いつつぶれるかわからない。おそらく今年一ぱい持つか来年一ぱい持つかわからないし、これは独立国家としての外交交渉の相手になる国じゃないのです。中共から一発食らえば立ちどころに併合されてしまう国なんですよ。

こういうものとあなた方とがこれから幾ら外交交渉をしても、おそらくこれはにっちもさっちも行かなくなるという見通しが多いと思うし、その間操業中に受けた人命の被害あるいは漁船の被害の補償というものを、こういう泡沫政権から取ってやるというような交渉を、あなた方が本気で考えておられるということはナンセンスなんですよ。

ほんとうに国民の被害ということを真剣に考えるならば、もう少しあなた方は真剣にこの問題に取り組んでほしいのです。国家補償の道がないという今のお話の趣旨でありますが、同じく公海の被害だと思うのだが、あのビキニ環礁の水爆の実験で被害を受けた焼津の漁民の人、あれはビキニ環礁を80マイル隔ったところで漁労に従事しておって、灰をかぶって、ああいった状態になった方なのです。今度の山田丸の被害者も、公海上受けた被害としては、同じ性格のものだと思う。ところが、ビキニ環礁のあの被害者に対しては、アメリカの損害賠償もあり、国家としても遺族その他に対して補償があったのだが、あの補償はどういう法的根拠に基いて補償をされたのか、その点お伺いしたい。





昭和30年07月22日 参議院 予算委員会
[101]
自由党(自由民主党) 秋山俊一郎
次に、外務大臣にお尋ねいたしますが、これも過ぎ去ったことでありますが、昨年11月22日でありましたか、台湾海峡において日本の三十一、三十二山田丸という漁船が撃沈をされまして、2人が死亡いたしまして、そうして4人の者が重軽傷を負ったのでありますが、これが当時交渉いたしまた当時には、やや中国政府もこれに対して何らかの処置をしようというような意図もあったようでありますが、最近において、おれの方の船がやったのではないというはっきりした答弁を公けにしてきたということで、われわれは非常に意外に存じておりますが、これを外務大臣はどういうふうに考えておられますか。またこれに対する今後の処置をどうしておられますか、お伺いいたします。

[102]
内閣総理大臣臨時代理・外務大臣 重光葵
この案件が今まだ結末を見ておらぬということはその通りでございます。中国側すなわち台湾の国民政府は十分わが方の主張を認めておらぬ、従って本件の解決を見ておらぬということは事実でございます。これはさらに解決を見るように、そうして日本の主張を認めてもらうように最善の努力を続けていかなければならないと思います。さような状態にあることを御了承願いたいと思います。





昭和30年07月27日 衆議院 外務委員会
[024]
日本社会党(社会民主党) 戸叶里子
外務大臣にお伺いしたいのですが、先ごろこの委員会におきましても、参考人の意見を聞きましたように、山田丸の拿捕の事件がございました。それだけでなくて台湾海峡で外国汽船が拿捕、攻撃をたくさん受けておりますけれども、国際法上から見て、こういうことは妥当ではないというふうに考えられますけれども、この点に対する大臣のお考えを承わりたいと思います。

[025]
内閣総理大臣臨時代理・外務大臣 重光葵
その点については外務省の係の者からお答えさせます。

[026]
政府委員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
御指摘の第三十一山田丸、第三十二山田丸の沈没事件でございますが、これはすでに半年以上にもなりまして、いまだに先方が国民政府の責任に基く行為であるということを認めるに至っていないのでございます。これはわれわれとしてははなはだ遺憾に思っておるのでございますが、しかしあらゆる証拠その他を照らし合せてみまして、どうしてもこれは国民政府のそのときそこにおりました軍艦が、中共の護送船団と間違って日本の漁船を攻撃して沈めたと判断する以外に方法はないとわれわれは考えております。

御承知のように起きた場所というものが先方の調査と日本側の調査とに約10海里ほどの差があるのみでございます。なおこれも計算によれば7、8海里まで短縮することもできる状況において起きたことでございます。起きた時刻は全く同時刻に起きておるのでございまして、先方も中共の船を2つ沈めたということを発表しております。こちらは日本の漁船がやはり2隻撃沈されておるのでございまして、これらの事情を詳細に先方にいろいろな材料をそろえまして提示いたしまして、先方がこれについての責任を認めるようにということで交渉してきておるのでございますが、先方はまだ証拠がないというようなことからこれを認めてはおりません。

しかしながら引き続きこれにつきましては台北及び東京におきまして、強力にこれに対する交渉を進めておりますので、これも何とか国民政府側で道理のあるところを認めて、これについて適切な補償措置を講ずるという挙に出ることを期待しておるところでございます。

[027]
委員長 植原悦二郎
戸叶里子君に御注意申し上げます。山田丸事件は実はこの間質問が済んだのですが、あなたは欠席されてお聞きにならなかったのであります。なるべく繰り返さないようにお願いいたします。

[028]
日本社会党(社会民主党) 戸叶里子
それは例として引いただけなんですが、山田丸事件でなくて、ほかの外国船も台湾海峡で拿捕されている事件を御承知だと思います。そこでこの地域を台湾の政府が一方的に海戦区域とでもみなしているのでしょうか、それとも封鎖でも宣言しているのでしょうか、この点を伺っておきたいと思います。

[029]
政府委員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
台湾海峡一帯を国民政府当局は一種の作戦区域というふうに指定いたしまして、ここに入る船は全部自分の方に通報してもらいたい、なおここでいろいろな事態が起きても、その責任は入ってくる船にある、というようなことを布告いたしております。

なお台湾の近海及び中国大陸に近いところの海域というものを、国民政府は封鎖海域として宣言しております。これはしかし台湾海峡全面に及ぶ海域ではないと考えております。

[030]
日本社会党(社会民主党) 戸叶里子
条約局長に伺いますけれども、今のように一方的に作戦区域として封鎖海域を指定するということは、国際法上許されることでしょうか、その点承わりたいと思います。

[031]
政府委員(外務事務官(条約局長)) 下田武三
私どもの見解によりますれば、国際法上封鎖が認められるためには、一定の要件がございます。特に実効的の手段をもって封鎖を確保するという実効的要件は最も大事なものの一つであります。

台湾海域を、国民政府側の措置は実効的に封鎖の実をあげる手段を持っていないことは確実なことでございます。でございますから、これは国際法上の封鎖と認めるには要件が足りないと存じております。従いまして、日本政府はこういう処置に対しましては、累次申し入れを行なっておるわけでございます。

[032]
日本社会党(社会民主党) 戸叶里子
国際法上違反であるならば、やはりその点を主張いたしまして、日本の拿捕漁船などについての解決、そういうものをなるべくすみやかにやっていただきたいということを要望する次第でございます。





昭和32年02月19日 参議院 農林水産委員会
[042]
無所属 千田正
それでは、先ほど秋山君から質問がありましたが、それに関連して申し上げますけれども、台湾の問題、漁船撃沈に関して台湾政府に対するところの損害賠償その他に対して、その処置も全然できておらないのですが、これはどういうふうな進行をしておるのですか。

[043]
政府委員(外務事務官(アジア局長)) 中川融
第三十一及び第三十二山田丸の撃沈事件でございますが、これもその後機会あるごとに国民政府と折衝しておりまするが、遺憾ながらこれまた向うが従来の態度を変えていないのでありまして、これにつきましても、はっきりといつ解決するという見通しはつきかねる実情でございます。この件も、ただいまの第三繁栄丸と同じく、われわれとしては何らか被害者に対して国内的に便宜措置を講ずべきではないか、かように考えております。この点につきましても、農林当局と十分お打ち合せしたいと思っております。

[044]
無所属 千田正
今のような問題は、被害にしては非常に大きなものではないけれども、現実にとっては、日本の政府の外交そのものが非常に弱腰じゃないか、何もやっていないじゃないかという結論にしか到達しない。

たとえば李承晩ラインの問題にしても、今もって解決しておらない。韓国の抑留者の問題もその通り。さらにラッコ、オットセイの国内処置という問題にしても十分でない。ことごとくが外交と相待ってやらなくちゃならないところの水産行政という点においても、非常にわれわれは不満足であります。責任を一体だれがもってやるんだ。少くとも2年たってもまだ解決できない、3年たってもまだ解決できない。一体これで日本が独立国といえるか。



前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
漢数字は一部アラビア数字に変換、一部括弧と句点を入れ替えています。
基本的に抜粋して掲載していますので、全文は元サイトでご確認ください。