舛添要一 外国人の地方参政権に賛成

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平成14年12月04日 参議院 憲法調査会
[002]
自由民主党 舛添要一
続きまして、外国人の参政権についてでございますけれども、これも様々な議論がございました。

お許しをいただきまして、私が書きました、朝日新聞の学芸欄に書きましたこの論文を皆さんにお配りしております。これは、2000年の6月2日の夕刊に掲載、朝日新聞の夕刊に掲載したものなんですけれども、私の父親が市会議員の選挙に戦前出たときに、ポスターにハングルのルビが打ってありました。これがなぜだろうということを非常に歴史学者として興味を持ちまして、そこにもありますけれども、現物のコピーはこれぐらい大きなやつでハングルが振ってあります。

実は、今日における外国人参政権の問題を語る前に、どうしても日本の植民地時代の話で事実がよく知られていない。結論から申し上げますと、この時期、そのときは朝鮮人と呼んでいましたけれども、日本にいる朝鮮人の方々は参政権のみならず被参政権もあったわけであります。この事実は相当の知識人でも、日本人も知らない、学校の歴史でも教えていない、ソウルに行って韓国の学者と話しても知らない。でありますから、是非議論の前提としてそれを分かっていただきたいというふうに思います。

そこにも書きましたけれども、1920年に内務省が朝鮮、台湾、樺太人といえども選挙権に要するすべての要件を具備するにおいては選挙権を有するということを既に決めてありました。そのときは納税額という要件があったんですけれども、普通選挙の実施とともにそれがなくなりまして、25歳以上の帝国臣民たる男子で、衆議院議員については1年以上、地方議会議員については2年以上、同一市町村に居住する者は日本人も在日朝鮮人も、選挙権も被選挙権も、参議院は30歳以上ですけれども、付与されていたわけであります。

しかも、日本語を書けない朝鮮人がいますので、内務省が30年1月にローマ字と同じく朝鮮文字の投票を有効とすることに省議決定をしているわけです。ローマ字と同じくというのは、既にローマ字で書いてもよかったわけです。ですから、植民地時代の帝国臣民と現在の状況は比べ物になりませんですけれども、戦前のある時期におきまして、ローマ字で書いてもよろしい、ハングルしか分からない人はハングルで書いてもいいと、こういう時代があったわけであります。

その後は戦争の進行とともに強制連行、弾圧、抵抗といった事態が起こってきますけれども、こういう時点を、こういう歴史があったんだということを踏まえた上で外国人の人権の問題も考えるべきだと思います。

私は、帰化要件を非常に緩くするならば、是非帰化していただくということは結構だろうというように思います。しかし、帰化要件が非常に厳しいままであるならば、外国人の地方参政権というのは同じ地域に住む人間として認めるということは一つの考え方であっていいと思います。



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